第11話
八津房尽は、琥珀を漆間涼の元へと案内すると、離れたところから成り行きを見守っていた。
琥珀が心配で見守っていた、などと生易しい事を言うつもりはない。
果たしてどちらに物事が転がっていくか、観察していた、という方が正しい。
涼が協力的で、琥珀の手伝いをしようが、突然現れて訳の分からないことを言う少女を拒絶ようがどちらでも良かった。
いや、それは建前だろう。
尽の使役する妖の中でも戦闘能力の高い狗神を琥珀に預けたのは、少なからず『漆間を殺してしまえ』という気持ちがあった。それは否定できない。
困惑し、その行為を否定する琥珀を、お優しいことだと冷めた気持ちで眺めていた。
誰からの愛情も与えられず、死ぬことを目的に生かされ閉じ込められていたのだ。
もう少し歪んでいても、おかしくない筈なのだが。
どうやら予想が外れたらしい。
頼りない少女の小柄な背中に視線を向けながら考える。
思ったよりも穏やかに会話を続けていた涼と琥珀だったが、途中で雰囲気が変わったことに気づいた。
恐らく、琥珀は神楽に飲まれたのだろう。
琥珀は、いや、琥珀だけではない。歴代の巫、所謂生贄たちは、神楽の転生体だという事は確かだ。これはそういう呪いだからだ。神楽は輪廻を繰り返し、産まれては死んでいる。
けれど、それが同一人物かといえばそうではない。
彼女たちは神楽の記憶をはっきりとは思い出さず、それぞれの人格を維持しながら死んでいく。
琥珀が神楽に飲まれてしまったのは、恐らく尽が彼女に教えたからだ。
昔話と称した過去の出来事の概要だけの説明が、彼女の記憶の琴線に触れてしまったのだろう。
哀れだと思った。
同時に、苛立ちを感じる。
大昔に死んだ神楽という女に飲まれてしまうほど、琥珀は弱くないだろう。
あんな環境にいたというのにその心は綺麗なままで、自分の為ではなく誰かのために、ここまで来た少女は、とても強い。それこそ、いつの間にか歪んでしまった自分なんかよりもずっと。
「あなたが呼んでくれたら、自分を失わないでいられるような気がする」と、彼女は言っていた。
出会って数日しか経っていない尽を、頭から信用しているような言葉だ。
何を馬鹿なことをと思っていた。
けれど今は、その名を呼んで駆け寄りたい衝動を感じる。
唇を噛んでそれを押し込めた。そんなことをしてしまえば、せっかくここまで来たのに台無しになってしまう。
狗神が涼に襲い掛かった時、ようやく終わったと尽は深い息をつく。
けれど、想定外の出来事が起こった。
眩い光とともに狗神はかき消され、路上に琥珀が倒れている。
彼女は死んだようにぴくりとも動かず、呼吸をしているかどうかも近寄ってみないと分からない。
傍に行き抱き上げると、外傷もなく、生きてはいるようだった。
涼が彼女に手を伸ばしていたが、これはお前の物ではないと思い苛立つ。
漆間涼も、琥珀に何かしらの感情を抱いているようだった。それが過去からの呪縛だとしたら、なんて盲目で、偏執的で、しつこいのか。
覡神楽はもう死んだ。
今腕の中にいるのは、頼りないながらも必死で前に進もうとしている、無知で純真で、ひたむきな、琥珀というただの少女だ。
自分がただの八津房尽であるように。
部屋に戻ると同時に、七色の羽を持った小さな陽炎が姿を消した。
陽炎は、追跡や、姿隠し、近距離の転移が得意な蟲だ。姿は小さいながら、使役するのは割と骨が折れる。
一度気を許すと忠誠心の高い狗神とは違い、とても気まぐれだからだ。
狗神も陽炎も、那智のような人型をとれる妖と比べれば、その力は獅子と子犬程の差がある。
それを駆使して那智に挑んだとしても、勝てない事は目に見えていた。
結局自分は無力だと、尽は思う。
動かない琥珀をベッドにおろす。
額に手を当てると、手のひらに電気が走ったような痛みを感じた。
「まずいな」
想像していたよりも、強力な封印の呪縛だ。
漆間涼の首飾りの宝石には、強い力が込められているようだった。
何かの護符なのだろう。子細は分からないが、大きな力の作用を感じる。
このまま放置しても琥珀は目覚めないだろう。
恐らく、漆間の術がかかっている。相手を封じ込める力。長い冬眠に、或は仮死状態に入ってしまったようなものだ。
術を解かなければならない。厄介なことだと、尽は思う。
しかし、一端は漆間が無防備な人間だと考えていた自分にも責任がある。
「お前は、眠っていた方が幸せなのかもしれないな」
死ぬことのみを存在意義とされ、死んだ女の呪縛から解放されず、誰も『琥珀』という少女を必要としていない。
那智も、漆間も、神楽が欲しいのだろう。
それなら、琥珀の生きる意味はどこにあるというのだろうか。
「でも、俺は……」
それでも、彼女を起こさなければならない。
尽は呪符を数枚取り出すと、琥珀の額や胸、下腹部に貼付けていく。
まさかとは思うが、かつて涼の父は一つの罪を犯した。
もう死んでいるが、今の涼よりも無知ではなかった可能性がある。
己の命を使い、息子を守ろうとしたのだとしたら。
もしあれが、禁呪で作られた護符だとしたら、勝ち目は五分といったところだ。
害する者に、死の呪いを。
そういう方法も、ある。
尽は自分の力を過信していない。命を捧げて作られる呪い程、恐ろしいものはないと良く分かっている。
動かない琥珀は、蝋人形のようだ。深く瞼は閉じられ、長い睫が影を作っている。
尽は彼女を眺めながら、睫も白いんだな、と妙に感心する。
関心していてもしょうがない。両手で印を組んで、目を閉じた。
激しく何かに拒否されているような圧迫感を感じる。呼吸を整えながら、その力に抗わず同調するように施された術の輪郭を辿っていく。
目を開くと、琥珀の回りを被う蜂の巣のような檻がはっきりと見えた。
「禁呪か……」
頑丈な檻だ。
ただの護符では狗神は消せても、使役者までを害することは困難である。
二度と危害を加えることができないようにかけられた、これは死の呪いだろう。
目覚めることが出来ずに、衰弱していずれは死ぬ。とても質の悪いものだ。
檻の中の琥珀が、酷く遠く感じる。
漆間の父親は、あの護苻を造って死んだのだろう。いつか息子の命が狙われる事に気づいていたのか。
漆間は、いつも邪魔をする。
激しく憎悪が沸き上がるのを感じたが、尽は気づかないふりをする。
この感情は、違う。
漆間など、自分は知らない。
尽は首を振り、再び琥珀に意識を集中させる。
彼女はか弱いただの少女である。強烈な呪を浴びせられて、体力がどんどん奪われている筈。
解呪が長引けば、本当の眠りに堕ちてしまう。
心臓の奥がちくりと痛む。
恐怖に近い感情が、燻っている。
助けるまでに時間がかかってしまったら、自分が禁呪に負ける事があれば、琥珀は永遠に失われる。
不安を押し殺した、頑なな表情を思い出す。
たったひとりで、必死に悩んでいた。
琥珀本来の良心と、神楽の記憶に混乱し、溢れそうになる憎しみと悲しみの狭間で、最善の選択肢を探していた。
こんな、自分を信じたりして。
尽は自嘲気味にそう思う。
「起きろ、琥珀」
それに、目覚めたところで。
彼女が彼女であるのかどうか、尽には分からない。
この体の中身がすでに神楽だとしたら。己が仕出かしたこととは言え、それではあまりにも、琥珀が哀れだ。
いや、それだけではない。
それだけでは、ない。けれど、この感情も、気づいてはいけないものだ。
彼女を助けることは義務だと自分に言い聞かせ、尽は彼女を包む檻に触れる。
力を加えると、激しい拒絶とともに、全身に引き裂かれるような痛みが走った。
「無駄なことはやめろ、と言いたいが」
不意に声がして顔をあげると、琥珀の体を覆う檻に凭れる様にして、燃える様な赤い髪を持った男が立っていた。
ごてごてとした装飾をいくつも首にかけ、羽織を一枚着ただけの彼は、鍛えられた肉体を惜しげもなくさらしている。
「カグツチか」
尽は檻にあてた手に込める力を途切れさせないようにしながら、その名を呼ぶ。
その体は透き通り、薄く背後の景色が透けて見えた。
恐らく本体ではなく、施されている禁呪に分けた彼の力が具現化したものだろう。
「良く知っている。人はもう、忘れたものだと思っていたが」
「俺が知っているのも、言い伝えだがな。禁呪に込められているのは、お前の力だと」
「他の連中にはやめろと咎められるが、こればかりはやめられない。願いは業だ。人の欲だ。見ているのはとても楽しい。それに、捧げられた魂は俺の物だ。暇つぶしになる」
そう言って、カグツチは檻の中の琥珀に触れる。
「この魂も、俺の物だ。穢れを知らず、美しい。この娘は、俺の元にいた方が幸福だろう」
「黙れ!」
「楽しいな、八津房。お前もまた、とても矛盾しているな」
そんなことは、自分が一番よくわかっている。
尽は目の前の男を睨んだ。
「本来は、お前ごときに破れる檻ではないが、少しばかり遊んでやろう。夢の中にいる琥珀が目を覚ましたら、お前の勝ちだ。さて、お前の呼びかけで目を覚ました琥珀を、お前は裏切ることが出来るのか。見ものだな」
精々楽しませてくれと言って、カグツチは消える。
尽は小さく舌打ちをした。
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