流れを変える
アルルの言っていたことを語ると、大佐は私以上に難しい顔をしていた。当然だ。最終的な規模が壮大すぎる。国にも認められてない極秘作戦の総指揮として判断するには身が重いというか、ふざけた話だった。
アルルが曰く、エルフ化の技術は帝国に公開すると言う。その代わり人員を割いて、現時点から過去における世界の海流と天候の関係調査をするのを手伝えと言うのだ。おそらく帝国だけでは手が足りなくなるだろうからローマ属国とも和解して手を組めと。つまりは世界平和のために力を合わせましょうと言うのだ。
なんて馬鹿馬鹿しい案だ。しかし寒さを厭っているのは地上の民全員の課題だから、報告するだけの価値はあるかもしれないと見た。
上流層は火山により近く、エネルギー活用されて床暖房効果のある地帯に住んでいるが、そもそも火山のエネルギーは『安定』という言葉との縁が皆無な代物だ。常に余剰エネルギーを蓄電池に貯め、活動が弱まったらすぐに使いあてる。蓄電の技術がまだ発達しきってないから、もしも長期に活動が弱まったらという不安は大きい。ましてや大地震や噴火が起こったら一発で国は終了する。多少のコントロールは技術案があるが、下手に実験して藪蛇を起こしたくないとかで、実証的な研究が遅々として進まない。
その点エルフは物凄く頑丈だから、別の火山での実験だとかも容易に行えてきたらしい。あれは強大な自然界のエネルギーに対抗するための緻密な檻だという。職業軍人からしたら羨ましい体なのだが、その本質は戦闘ではなく作業用ロボットだった。生き残りはもうカリャードだけだと思っていたからずっと、軍事転用なんてことは考えていなかった。今になってその可能性を示されて震え上がったが、もしも自分たちの試みに協力してくれるなら、後の世で優位な立場になるために多少用いることを許そう、という。もちろん自分たちに歯向かわないことを条件として。
現実的な案と非現実的な妄想の入り混じる内容だった。技術は渡すが軍事転用はするなというのは不可能だと思ってそういうブレが生じたのだろう。想像力があるのは悪くはないが、交渉というのはゴリ押しから妥協案に雪崩れていくものだ。最初から妥協しては訳が分からなくなってしまう。あの言い方ではそのうち絶対にカリャードの人員に火の粉が降りかかるだろう。……アルルはまだそのことをわかっていないようだった。
「全体を呑むのは私の判断に余ると言いました。しかし技術提供を受ける代わりに人員を多少与えるというのは悪くない案です。後半を実行するのはやれるだけ先延ばしにしてしまえば、時間間隔の緩いやつらですから、百年はごまかせると思います」
そう提案すると大佐は蝋燭の火をぼんやりと眺めた。アルルの小屋から少し離れた小屋は、アルルの部屋と同じくらいの豪勢さだった。持ってこれるだけいろんなものが「個人用」として用意されている。アルルのやつ、自分がどれだけ好待遇を受けていたかわかってないだろうな。
大佐は自分用の椅子に腰かけて足を組んでいた。いつだってこの人はリラックスできて羨ましい。そういう性格なのだろうか。リラックスと言えばアルルも大概いつでも呑気なやつだった。さっきも状況のことをよくわかってないのか、朗らかに笑っていたけど、それはエルフの左腕のせいだと教えてくれたな。
肉体は魂の器だという言葉がある。それはエルフたちの間でよく語られる言葉らしい。アルルもそれを実感したと言っていた。これは肉体は魂の器でしかないという意味ではなくて、器の形が変わってしまうと魂のかたちも変わってしまうという意味で語られるというのだ。体があまりにも無敵になると、全てに余裕が出来てきて性格が変わってしまうらしい。それが少し怖かったと語る彼には、確かに自分自身への怯えが現れていた。
大佐は長いこと悩んでいた。私はその間ずっと、姿勢を変えずに突っ立ってないといけないからくたびれる。まあでも、上に立つというのは大変なことだろうから、それと比べれば大したことはないのだろう。
今は上から指示を仰げばいいのだけど、これから家のことを考えてのし上がらないといけない。気が重い。最初の任務を経験して分かったが、私はあまり自分から上を目指すことはしたがらないのだ。そうも言ってられないし、親のことを思うと前を向くしかないが。
「わかった。常世の国作戦の一環として人員を割くことにする。夜明けが来次第三人で朝食を摂ろう。君が居れば私も参加しやすいだろうからね。彼に関心がある」
唾を飲んだ。大佐と食事!? しかもアルルがこの人と会う!? なんて失礼を起こすかわかったもんじゃないが、それも想定の上で話しているのだろう。
内心驚愕していると、大佐は「今日はご苦労だったね、もう帰っていいよ。明日に備えてくれ」と語った。上手く反応できなくて裏返り気味な声が出たが、なんとか「ありがとうございます、失礼します」と敬礼をしきって外に出る。物理的に頭が冷えてくる。
さっさと自分用の部屋に向かった。ここじゃ夜は特に速やかに動かないと死んでしまう。本来そもそも外に出るべき温度じゃないのだ。私もまた特別な立場なので、個人用の小屋が建てられていた。他の兵は複数人でまとめて一部屋に寝るのだろうからかなりの待遇だ。その分仕事の責任も大きい。大佐やアルルほどの家具は置かれていないけど、自分用の場があるということ自体がかなりのリスペクトになっている。
せっかく一人で考える場所を与えられたわけだけど、明日自分のすることを考えると眠れなくなりそうだったから、あまり深く考えずに寝ることにした。一人で考える自由があるということは、考えない自由があることでもあるから、別に罪を感じる必要もないだろう。むしろ緊張を解くことのほうが大事だった。
大丈夫。今までの私の努力を考えれば、ちゃんとこなせる。
そうして私は自分に言い聞かせて眠りについた。
翌朝は快晴だった。真っ先にアルルの部屋へ向かうと、彼はあまり良く眠れなかったらしくぼんやりとした様子でいた。どうやらこちらの言い分を信用できなかったらしい。私の言葉を疑っていたわけじゃないが、と付け加えていたが、交渉相手の言う言葉を信頼できないと明かしてしまうのは、やはり拙いなと感じた。
朝食に私と大佐が同席するというと、アルルは存外に喜んでくれた。凄く偉いほうの人なんだと説明はしたが、だったら余計光栄だと言っている。呑気なものだ。こんなやつだったろうか。それともこれも、エルフの左腕のせいなのだろうか。だとしたらあの技術は魔性と言って差し支えないな。
「大佐さん? てどんな人なの?」
敬語の使い方も知らないらしい。その場合は「大佐殿」だと一応訂正してから、頭の切れる人……に見える人だと言っておいた。実際のところ彼がどんな人なのか、言葉にしにくい人だった。
朝食は穏やかに進んでいるように見えていた。メニューはここらでは一番豪勢なものだ。調味料での味付けがされていたし、北方の獣肉がわざわざ送り届けられて使われていた。肉か魚、それと中央で栽培し配給された根菜と一緒に煮込んだスープが、ここでの基本食だ。魚を熱したものを毎日食うというところだけを見れば、カリャードとそんなに変わらなかった。この辺の土地では魚か海獣を食すのが毎日のルーティンだから、北方で狩られた獣肉を出すのは特別な措置だった。
そんなスープを見て、アルルは複雑そうな顔をしていた。液体を飲むのが上手くないからだ。それを知ると大佐は、芋や肉を細かくするように命じてくれた。そうすれば煮詰めて粥のような形にして、半固形として扱えるという。手間ばかりかけさせてハラハラしていたが、肉は結構気に入ったらしく美味しそうな顔をして食べていた。そのわりに食の速度は早くなかったけれど。
食事も終わりにかかって、食べてるのがアルルだけになった頃、大佐は話を切り出した。
「食があまり進んでないようだね、どうだい、一度他のことをしてみようか」
アルルはきょとんとして大佐の顔を見つめる。
「体を使えば気晴らしになるかもしれないよ。腕相撲でもしてみないか」
そう言って左腕を見た。空気に緊張が走る。いや、緊張したのは私だけだったのかもしれない。アルルも大佐も一見するとただ黙っているようにしか見えないのだ。
「いいですよ」
そう言うと革袋の口を閉めて、机の端に置いた。慌てて袋を取り上げる。敷物があるとはいえ氷で出来た家具なのだ。そのまま置いていたら冷え込んでしまう。
アルルは袋が取り上げられたことを気にせずに大佐に手を差し出した。もちろん左腕だ。それから大佐も左腕を出したので、私は席を立って審判をすることにした。左手で革袋を背中の後ろに持って、右手だけで二人の手を掴む。
「レディ、ゴー!」
瞬間的な終わりだった。私は勝敗を告げることもなく席に戻る。手加減なしだなと思うが、それが知りたかったんだろう。大佐は大人の強さを知った子供みたいな顔をして、信じられない、という雰囲気を漂わせていた。
「この左腕の力を、その体で扱いきれるのかい?」
「それはまあ、多少の訓練はしました」
実際『多少』なのかはわからないが、訓練をしたこと自体は本当らしかった。
「昨日のことなのだがね、君たちの提案を受け入れようと思う」
率直に本題に入られてアルルは少しびっくりした。それから嬉しそうな顔に変わっていく。
「本当ですか!?」
「ああ、実際肌で感じてみて、この技術は有用だと思うよ。そのためなら多少の人員を割くことくらいわけないさ」
そこまでは本当なんだろうなと思いながら、内心冷めた目で眺めていた。表情に出すとアルルに不審がられかねないから控えていたが。
「ありがとうございます、そのことなんですけど、もう一つ、お願いをしてもいいですか?」
空気感が変わった。何をするつもりなんだ。心がざわめく。彼の言う内容が直感される。
「フェーニャの所属を、こちらに移してほしいんです」
血の気が引いていった。恐ろしくてアルルのほうを見ることすらかなわない。かといって大佐のほうを見るのも怖すぎた。
「……君はレーナと偽装結婚をしていたというが、情が移ったかな?」
「はい」
迷いのない断言だった。恥ずかしくて下を向くことしかできない。ここで私にできることが見つからなかった。
大佐は少し迷っているようだった。なぜこんなことで迷うんだ。断ればいいだけの話なのに。あるいは迷うようなことなら今ここで決断すべきことじゃないのに。アルルが交渉して、こちらがどうするかを決めるこの状況なら、アルルはいくらでも待ってくれるはずなのに。
アルルの食事袋を掴みながらじっと膝の上を見ていると、大佐がつぶやくのが聞こえた。
「いいだろう、その条件を引き受ける」
反射で大佐の顔を見上げてしまった。何を考えてるのかわからない顔だ。真顔とでもいうのか、わからないが、気分がいい顔ではないのだろうということは間違いなかった。
蒼白とした顔で大佐を見つめていると、近くでアルルが「ありがとうございます」と言ったのが聞こえた。意味がわからない。私は売り渡されたのか? 技術と引き換えに?
混乱する頭のまま食事は終わってしまい、私は状況のわからないまま、アルルと共に旅立つことになっていた。
旅立ちはすぐのことだった。アルルは自分が着てきたという毛皮の服を纏い、そこから丈夫な紙を取り出した。技術の情報がほんの少し載っているらしい。この字の読める者に解析してくれと伝えていた。私はアルルの近くに立っているのに、全てのことが遠かった。
まだ日の高くない時間、いよいよ水底に戻るときが来て、怖さに震えていた。冷たく苦しい水の中に潜るのだ。まだそんなに月日が経ってなくて薬が排斥され切ってないから大丈夫だというが、怖いことに変わりはなかった。
最初にカリャードに下ったときみたく、余所から持ってきた大岩で氷に穴を開ける。あのときは岩にしがみついての降下だったけど、今回はアルルにくっついていればいいという。大穴を前にして固まっていると、アルルは左腕を差し出した。
「大丈夫だよ。いつも通りだから」
なぜかそれで、緊張が解けた。そう、いつも通りに戻ればいい。私は少し浮いてしまう女で、彼はそれを見つけた男に戻ればいい。
安心してアルルの手を取った瞬間、破裂音がして胸部に熱さが走った。
振り返りながら倒れこんでいく。誰がやったのかが視界に入った。見送りのため、遠巻きにこちらを眺めてる男だった。
「たい、さ……?」
ああ、そういうことだったのか……私の所属を引き渡した後、私を殺せば情報は流出しない。
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