のみもの
やっと知ってる人間に会えて僕は心底ほっとしていた。翻訳機は正常に動いていたけれど、自分の耳で言葉がわかった実感がないことがこんなに寂しいことだとは思っていなかった。ロウさまは言語習得は簡単な道ではないと言っていたけど、一年くらいかかっても良いから、ある程度言葉を習得してから来ればよかったという気持ちが湧いていた。
だからフェーニャと母国語で喋れたときはとても嬉しかった! 言葉が通じることがこんなに嬉しいなんて!
安心感で力が抜けていると、フェーニャが怯えているのがだんだんわかってきた。どうしてなんだろう。僕は攻撃したりしないのに。いや、彼女はきっといろいろ複雑な状況なのだろうから、僕自身じゃなくて、この状況自体に怯えてるのか。
「ねえフェーニャ」
戸口近くから突っ立って動かないフェーニャに語りかける。彼女は緊張した様子で僕の顔に視線を動かした。僕の存在がよほど信じられないんだろう。さっきからまじまじと眺められている。僕もそうしたい気持ちがあるけど、僕からフェーニャにやるのはちょっとあまりいただけないので、なるべく控えめにいる。
「お茶をいれる? ていうの? 教えてくれない? たぶん喉が渇くって感覚だと思うんだけど、僕こっち来てからまともに『飲む』ことができてないんだ。一通りの家具は用意してくれたんだけど、特別待遇だね。でも使い方がわからないんだよ」
フェーニャはびっくりしていた。緊張で肩が上がり気味だったのがもっと上がってしまう。それから、一気に力が抜けたらしい。
「わかった。教えればいいのね?」
やっといつも通りのフェーニャの声が聞こえた。さっきまで喉に何か詰まってたみたいな声だったから、ようやくいつも通りを聞けて安心した。
フェーニャはいろんなことを教えてくれた。僕が最初にやったみたいに、いろんなものの名前を教えてくれて、使い方も実演して見せてくれる。
「本来の意味でのお茶というのはもうここでは飲まれていないの。代わりに野菜くずを煮出してスープにしたものをそう呼んでる」
そう言ってフェーニャは『かまど』とか『急須』とかいうのを上手く使って用意をし始めた。机の上に道具を並べ置いて、『火』をつける。ゆったりと真っ直ぐに立ち上る黄金色は物理的な温かさを伴っていて、とても不思議な気持ちにさせられた。この揺れ方はなんだか、カリャードに生えてたツタみたいな感じもする。けどツタはこんなにまぶしくないし明るくないし、小さくもなかった。
一通りの道具がそろってしまうと、フェーニャも椅子に腰かけて手順を見せてくれた。かまどは小さなもので、火を置くための構造と、その上に物を置くための構造があるだけ。これらは金属で作られてるらしく、ここではとても大切に使われていると教えてくれた。急須は別の材質で作られているらしい。いずれにせよこういう複雑で硬い構造のものは貴重品扱いなのだと伝えられた。
「そうなの? エルフたちはフェーニャのスーツのことを見る限り、もっと贅沢に使われてると思ってたみたいだけど」
「そう」
淡泊な反応だ。簡単な相槌こそが一番判断の付きにくい情報だと、先生が教えてくれたのを思い出す。裏があるような気がしたけど、まあ、今はいいや。僕が常世の国の使者としてしなきゃいけないことは、まだ一ミリくらいしかできていないのだ。
そのことを考えると状況はあまり良くなかった。外がかなり暗くなっていて、表情が見えにくくなっていたからだ。かまどを使うときに『ろうそく』につけた火だけじゃ暗すぎる。
だけど僕はそんなことはかまわなかった。
「ねえフェーニャ」
スープというものを飲んで一息つく彼女に話しかける。
「あれが『暮れ残る』なの?」
二回目ともなると一回目ほど新鮮な反応は得られなかったけど、フェーニャはやはり驚いていた。「そうよ」とだけ返されて、そのまま静かになってしまったので、僕もお茶を飲んでみる。
口の前に持ってきて困ってしまった。これは、その……どうやってやるんだろう。うんうん唸っていると、様子が面白かったらしく、フェーニャが笑ったのが視界端に感じられた。
「笑ってないで教えてよ」
「そんなこと言われても、やってみるしかないんだよ。私たちだって『小さい頃に特訓してできるようになったんだから』」
後半意味ありげにゆっくりと語られる。ああ、多分僕が前に言ったことなんだろうな。空を飛ぶとか歩けるようになるとかの話あたりでそんなようなことを言った気がする。
仕方なく革袋に口を近づけて、スープをかじるみたいに流し込んだ。口の中に流れ込んできた液体は思いのほか熱くて、慌てて革袋を離して口を結び置いた。吐き出しそうになるのを頭に血が上りながらどうにか飲み込むと、激しく噎せこんだ。つ、つらい。食べ物を食べるのがこんなにつらいなんて!
「つら、いんだ、けど。みんなこんな、つらい目に遭うの?」
「それはアルルが下手なだけだよ」
下手認定されて落ち込んだ。けどフェーニャがだいぶリラックスできたみたいだから、まあいいかな、とも思った。
肺の奥がなんか変な感じがするのを延々と感じていて落ち着かなかった。その落ち着かなさに混ぜて、どうやって話を切り出そうか考える。できればずっとこうしていたいけど、そういうわけにもいかない。さっき一人でいたときは家の外に人が何人か居るのを首輪が教えてくれたけど、今もそれは変わっていないだろう。
机に手を置いたり、喉近くに持ってったりせわしなくしていると、フェーニャが言葉を吐いた。
「要件は」
ただそれだけだ。語尾上がりすらない。でも僕に問いかけてるのはわかったから、フェーニャのほうを真っ直ぐに見つめた。
「フェーニャは今、幸せ?」
「関係のないことを……」
「関係があるから聞いてるの」
強めに言い含めると、少し面食らったらしい。困惑した様子を見せて黙り込んだ。何か考え込んでいるらしい顔つきをしている。
「幸せだよ。私はこの国に仕えて、仕事ができているんだから」
「そっか」
嘘だな。なんとなくそういう感じが伝わってきた。いや、本当の部分もあるのかもしれないけど、幸せっていうのは頭で考えるようなものじゃないから。きっと感じ取るものだ。僕はのんびりと空を見たり鳥が飛んでくのを眺めたりするのが好きだけど、ああいうときに感じるのが多分、幸せな感じなんだと思う。先生に訓練をつけてもらって日が浅いけど、人が何かを考え込むときと、感じ取ろうとするときの表情の違いくらいはなんとなく伝わるものなのだ。
「僕はさ、フェーニャがしんどいようなら、技術を渡す条件にフェーニャを引き渡すことをいれようかと思ってたんだ」
フェーニャは驚愕した。それから周りを見て、透明な壁に革を掛けて隠した。もう外は暗いのに……ああ、そうか、外からは良く見えてしまうんだ。
彼女の動きをぼんやりと眺めていると、フェーニャは大股で歩み寄ってきて僕に囁きかけた。
「そんなことをはっきりと言わないで」
「言うよ。最初から僕の目的はこれだった」
フェーニャはますます困り果てていた。何か言いたそうにしているが、上手く纏められないらしい。
「でも今幸せなら関係はないね。初めから話すよ」
そういうと少し安心したようで、大人しく聞こうという意思を見せてくれた。対面の椅子に座り直す。まだ落ち着かなげなところはあるけど。
「結論から言うと。エルフたちは同盟を組みたがっている。それも世界全てとだ」
話に入ると、フェーニャはよくわかってないらしく、表情に変化がなかった。いや、真顔になった、のかもしれない。暗くて微々たる変化が分かりにくい。
しかし結構凄いことを言ったのに、こう反応が薄いと語りがいがないなあ。ひょっとしてエルフたちが僕に世界のことを教えてくれたときもこんなだったのかな。
「ひとまずは自分たちの土地の安全を条件に、君たちに技術提供をしたいと言っているよ。悪くないんじゃないかな」
そこでやっと表情に変化が見えた。悪くない条件に喜びがにじんでいるが「ひとまず」というところにちゃんと引っかかりを感じたらしい。
「ひとまずってどういうこと?」
「エルフたちは『ただ待つこと』をやめることにしたいらしいよ」
緊張が走った。予想通りの反応だ。超技術を持つ集団が動き始めるというのはプレッシャーのあることだ、と彼らが言っていたのだ。
「君たちの力も借りたいらしいけど、最終的には、この氷河期を終わらせたいと言っている」
「は?」
とんでもないことを言ってるのが伝わったらしい。素で出ただろうセリフはわりと低い響きがあった。
「何を言ってるんだ? できるわけがないだろう」
「それはやってみなくちゃわからない。らしいよ」
僕自身は技術者じゃないので聞き伝らしい言い方しかできないが、とにかく説得しないと。
「火山技術の外がどれだけ寒いかわかってるのか? 植物限界がすぐに訪れて生態系は壊滅するんだぞ? 微生物すらまともに生き残れない」
「ごめん僕そういうのわかんないんだ」
実直にそう言うとフェーニャは頭の痛そうな顔をした。なんだか可哀そうなのだけどごめんとも言いようがない。この一か月僕がしたことと言えば戦闘訓練漬けで、まともに知識の勉強をさせてもらってないから、彼女の心痛の想像がつかなかった。
僕だったら話し合いの席に全然話のわかってない人が来るのは不安なんじゃないかと思ったけど、僕が今感じていること以上に状況は深刻だから、知らないまま行ったほうが良いと説得されてきた。つまりは多分、フェーニャが感じてることのほうが正しいのだろう。
「ただエルフたちは、氷河期の訪れに海流の変化を想定していて……ほらカリャードの食事場を思い出してくれる? 熱風が吹き抜けてたでしょ?」
僕がそういうとフェーニャは思い出すように視線を机に向けていた。腕を組み片手を口元にして考え込む姿が蝋燭の火にあてられて浮かび上がる。服装は全然違うけど、あの日の夜のことを思い出してしまって、なんだか気恥ずかしくなって視線を逸らした。
「確かにあれは、今思えば不思議な構造だったが……それで?」
「あれはカリャードの火山技術なんだ。小さいけど、暖流を捏造できるって言ってた。もっと大きなことをすれば、海流の操作ができるんじゃないかって」
厳しい顔をしていた。多分言ってることが無茶苦茶なんだろう。僕は世界の大きさを知らないから、なんとなくできるような気がしてるけど、フェーニャからしたらとんでもない話なのかもしれない。
やっぱり頭で考えさせるのは駄目か、何か別の方法で説得するしか……そう思いかけたとき、不意にフェーニャがはっきりと喋った。
「わかった。その提案を上に話そう」
「えっ」
逆にびっくりしてフェーニャを眺めると少し不快そうな顔をしながらこちらを見られた。
「言ってることが突拍子もなさすぎるが、それだけのことをできる技術をこちらにもらえるなら上も悪い気はしないはずだ」
上に話す、としか言われてないけど、僕にとっては大助かりだった。良かった。この方法で間違ってなかった。フェーニャはエルフと直接対決しているから、エルフの脅威を身に染みてる。エルフのことを知らない人よりかはずっと、過大評価をしてくれるだろう。
「それじゃあ僕らが君たちに提供することと、君たちにしてほしいことの話をするね」
そうして語りこんでいると、夜は更けてしまった。もう眠らないとと言ったら彼女は、僕に手出しをしないよう掛け合ってくれると言って部屋を去っていった。
もともと夜更かしをする習慣があったから、知らない質感のベッドにいるのと相まって長いこと寝つけずにいた。フェーニャのこと、どうしようか……。
いくら頭で迷っていても仕方がない気がした。きっと明日、全てわかることだろう。僕がやるべきは、今夜左腕を盗られないように警戒して眠ることだけだ。
そうして僕の知らない、太陽の昇る夜明けが来た。
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