「アルル」

 北の空が赤くなっていた。風もなく澄んだ晴れの空、青い空に一本の煙が立ち上っている。

 あれは……すぐに引き返さなくてはならない。狩り場の近くに置かれたモービルにまたがって全力で中央都市へ向かい始める。

「スヴェータ!? どこに行く、スヴェータ!」

 近くに居た漁師に呼び止められたが、今は構うところではない。電報やら配達員やらの方法を使わずに、素朴で強力な、狼煙という方法を使うとき。それはよっぽどの事態なのだ。しかも狼煙の色は赤かった。感覚でもわかるだろう、あれは警報だ。あれが見えるエリアの工作員全員に緊急徴集をしている。

 全力を出したモービルの向かい風は強かった。今漁場に出ていて良かったかもしれない。最大限に厚着をしていたからそのまま乗るだけで済んだ。度々フードをかぶり直しながらいくつも村を通り抜けると、お尻が痛くなる前には中央都市の城門についた。本来遠くにあるモービル置き場をぶち抜いて門に辿り着いたからか、門兵に呼び止められる。この周辺には侵入者警戒として近くに置いてはいけないことになっているのだ。入ったときの足や、出てきたときの足になると危険すぎる。特に後者が。

 中央は城壁都市になっていて、氷のレンガで作られた城壁は金属にも劣らない強さを抱いて海に臨んでいる。地熱や昇華で欠けていってもその場に山ほどある氷は、頼もしい資源であり研究対象だった。

「レナータ・エドゥアルドヴィチ・ロギノヴァ少尉です。すぐ中央に行かなくてはならないのですが」

 フードを取ってから急いて強めの語気で語ると、大柄な門兵に抑えられた。

「待ってください、中央はあなたを探しています」

 それから電報を渡された。中を見てみると「常世の国の使者が来た。今すぐf-01区城壁門に来られよ」と書いてある。

「まさか」

 そんな、ありえない。でも可能性があるとしたら。

「アルル……」

 電報の紙が握りつぶされる。

 門兵にことわって、兵の休憩室に入れてもらった。蝋燭の炎を借りて、炙って燃やす。これは残しても身に着けてもいい情報じゃない。頭がふらつくけど、今すべきはぼんやり座ることではなかった。

「報告ありがとうございます。上には私が指示通り動いたと伝えてください」

 それからまたモービルにまたがった。燃料は少ないだろうが多分保つはずだ。もし様子が変わってきたら村のほうに寄っていこう。

 心配は現実になることはなく、モービルの燃料は最後まで保ったまま到達した。さっきより考えることが多いせいで頭と体の一致しない感覚が続いている。そんなはずはないという思い込みと、絶対にアルルだという直感がせめぎあって落ち着かないでいた。

 いや、直感だけではないのだ。エルフたちは一族総貴族のような扱いをされていて、実際それに応えていそうな雰囲気だったから、誇りを考えると彼らのうちの誰かがやってきたとは考えにくい。だとすると事情を知ってるエルピスかハルピュイアになる。ハルピュイアには親しい者が居なかった。事情を知ってるのはアルルだけだ。でもなんで、こんな時期に。

 ざわつく心を抑えるように深呼吸をして、モービルを降りた。それからf-01門に向かう。

 道中、門から少し離れたところに簡易な基地が設営されかかってるのが見えた。もうそろそろ日暮れだというのに、わざわざこんな時間からどうして。まあいい。その疑問はすぐに解かれるだろう。おそらく使者絡みなのだから。

 今度はちゃんとモービル置き場に置いてから駆け足で向かった。門兵は私の顔を見るとすぐに上層部に通す。休憩室にはゆったりと腰かけながらも厳しい顔をした大佐が居た。異常事態なのだということが瞬時に見てとれる。

「お呼びでしょうか」

「やあ、おそかったね。正直困り果てていたよ」

 私なりの全力で来たことは承知で語っているのだろう。彼ほどの人でも当たりたくなるほどの困難とはどういうことなのか。

「イレギュラーが起きたようだ。君は『エルフが来たら爆撃する』と言って牽制したらしいね、それは間違っていなかったようだ」

 休憩室に据え置いてあるチェス盤を弄ぶ彼は、全く楽しそうな顔をしていなかった。黒いナイトの駒をくるくると盤に押し付ける。

「実際エルフは来なかったよ。エルフではない者が来た」

「どういうことでしょうか」

 自分の直感が当たるのも外れるのも怖かったが、彼のセリフを急かさずにはいられなかった。

「アルル」

 大佐の語った単語に、思わず息を呑んでしまった。緊張したのが露骨に伝わってしまったらしい。大佐はくたびれた顔をしながら「やはり知ってるね」と小さく笑いかけた。

「彼の左腕はどうやらエルフのものと同じ方法で精製されているらしい。おまけに宇宙服と同じ手法による格納型ヘルメットも持っている。HMDでフォローを受けつつ左腕で防御されたら、他が生身でも全然効かないんだよ。おそらくエルフの素早さで特訓してるらしい。精鋭も全然歯が立たなかった」

 入ってくる情報の密度が高すぎてついていけない。この短期間で実用可能なところまで技術を仕上げてきたというのか? いやそこじゃない、考えるべきは。

「彼は、義手だということですか」

「ああ、そうだ」

 大佐はチェスの駒を置いて、足を組んだ。そしてこちらを真っ直ぐに見つめる。視界の端でそれを確認しながらも全く焦点が合わなかった。

 私がやってしまった。私が上手くやらなかったからアルルの左腕は飛んだ。アルルがここまで来てしまった。私が上手くやらなかったからアルルは。

 郷愁よりも絶望と後悔が襲い掛かってくる。待て、今はそんなことしてる場合じゃない。待て、落ち着け、落ち着け。

 三度ほど、深く息を吸って、吐いた。外よりは温かいはずの部屋の空気が冷たく感じた。私の呼吸が熱いのだ。落ち着け、大丈夫、私は、指示を待てばいいだけなんだ。そしてその通りに実行する。

「すみません、取り乱して」

「構わないよ、この後きちんと任務を果たしてくれるのならね」

 そう言って大佐は足を組み替えた。

「ここに来るまでに基地が造られてるのを見ただろう」

「はい」

 ここでの家のつくり方は二種類ある。一つは氷のレンガと接着用水溶液を用いて地道に堅牢なものを作る方法。もう一つは巨大なカタと放水機を用いて早急に作り上げてしまう方法だ。後者も段階を経て作るので多少の時間はかかるが、夜の極寒に入れば相当の速度で建造が進むだろう。

「あそこに使者殿をお招きしている。今上層部に作戦のことを話しても混乱を招くだけだからね、目的を探りつつ、時間を稼ぎたい」

「それで私が呼ばれたということですか」

 食い気味に話しかけると大佐は「それもあるが」と足を組み替えるのをやめて、今度は少し大開きに座って肘を膝の上に置いた。上目遣い気味に私のほうを見てくる。さっきから落ち着かなさげだ。

「彼は『フェーニャとしか交渉しない』と言い張るんだよ。フェーニャとは君の偽名だろう?」

 偽名という言葉を聞いたとき、少しどきりとした。何も間違ってはいない。

「どうにか上手く丸め込め。可能な限りこちらに優位に交渉しろ。いいな?」

 言い終わるが早いか彼はすぐに立ち上がった。近くに畳んで置いてあった軍服をちらと見てからこちらに視線を向け直した。

「そこに着替えがある。こちら側の使者として凛として臨め」

 そうして足早に部屋を去ってしまった。私は敬礼をする間もなく、ただ「承知しました」とだけ呟いた。

 もう一度深く息を吸う。そして吐く。着替えなくては。体が妙に重い。毛皮の上着を着ていたからだけじゃない。熱があるんじゃないかという頭の重さと戦いながら服を着替えて整えると、私も部屋を出ることにした。ここから少し歩く間に、話の方向性をまとめないといけない。

 日はだいぶ傾いていた。氷の反射光がまぶしくて、なんだか頭がくらくらする。いや、これはいつものことなんだ、くらくらするのは氷のせいじゃない。

 私の本来の役目はなんだったっけ。そう、技術を持ち帰ること。アルルがそれを持っているとは考えにくいけど……とにもかくにも技術をもらえるように話を進めるしかない。情に訴えてでもやるしかないのだ。

 問題は情に訴えるというのが上手くいく気がしないことだ。そう、うん、冷静になってきた。彼は私に多少の思いがあるようには見えたけど、色恋だとか家族愛だとかのそういうわかりやすいものじゃなかった。そもそも彼とは共犯の関係性だったのだ。今その罪が暴かれて、彼がどんな気持ちでいるのか……。怒り? 悲しみ? 憎しみ? 失望していたならここまで来ないだろう。

 アルルが居るだろう小屋に近づくと、収まっていた心臓の高鳴りがまた感じられるようになっていた。他にも建物は複数あったが、一つだけ離れて立っている小屋に、ざわついた視線が向けられている。その雰囲気で十分に把握できていた。彼がそこに居る。

 玄関の風よけの二重構造が、これほどに鬱陶しいものだとは思っていなかった。私はずっと地下や中央の温かさに包まれていたから、この土地の厳しさにちゃんと触れられていなかったのだろう。

 毛皮の戸の前に立つと、私が何かを語るよりも前に「フェーニャ?」という懐かしい声が聞こえた。戸を引き上げると、そこには以前よりもさっぱりとした髪の彼が居た。

「……アルル」

 使者として鍛えられたからだろうか。椅子にゆったり座っているだけなはずなのに、以前よりも精悍さのある顔つきをしている。服装はこちらから提供されただろう部屋着用の薄手のものだが、別の国の者なのだと感じさせる異様さがそこにはあった。それはきっと、前と同じように、左腕があるから、なのか。

「よかった、ちゃんと会えて。これでやることの半分は終わったよ」

 そう語る彼は、この状況で朗らかに笑ってみせた。

 ああ、彼は変わってしまったのだ。そう思わざるを得ないほど、彼はエルフの不気味さをその手に勝ち取っていた。


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