そらの上の国

「さっぶい!!」

 氷上に現れてすぐ絶叫した。なにこれ信じられないくらい寒い。顔が凍りそう。大はしゃぎ? していると周囲にいたらしき人がドン引きしながらこっちを見ていることに気が付いた。

「すみませんなんか毛皮みたいなのないです? 顔が……」

「あっ、はい」

 優しい人たちだ。受け取ってすぐに顔をぬぐった。全身毛皮で覆った服を着てるとはいえ、さすがに顔の露出までは防げない。

「ありがとうございます、できればあったかいところまで送ってくれたら助かるんですけど……」

 セリフを言いかけたところで頭に鈍痛が響いた。ああ、そうなるだろうなあ。

「通報を」「いやまず縛り上げろ」「今日の漁はどうするの?」「仕方ない、グラーニャ、お前一人で村に戻れ。厳重に縛れば大丈夫だろう」

 痛みに頭を抱えていると縄をもって手を縛り上げられた、動かない左腕を無理やり後ろに纏められ、箱のような何かに放り上げられる。そのまま僕は気を失った。


 床の振動が伝わってくる。それから、自分の全身が縛られていることに気が付いた。左手の拘束が厳重ではないことを確認する。うん、警戒されてない、まだ単なる義手だと思われてるだろう。

「気が付いたか」

 これは……ソリの一種か。前方を見ても犬だとかの動物が居ないということは、これが電気というやつの力なのか。不思議な感じだ。音がうるさくてあんまり考えることに集中できない。

「どこに向かってるんです?」

 ソリを操作する男性に話しかける。言葉が合ってるのか自信がないが、ともかく知りたいことは聞かなきゃわからない。

 フェーニャが去ってからひと月が経っていた。エルフたちは自分たちの住処が爆撃されることを恐れて、なるべく早急に計画を実行するように促した。中には火山の誘爆を恐れて実行はないだろうと言い切る人もいたが、別の派閥に技術を盗られるのを恐れて丸ごと爆撃する可能性も考えられると言って聞かない人たちがいたのだ。

 彼らはエルピスに被害が及ぶのを極端に恐れていた。人類を氷河期明けまで生存させるのが使命なら、氷上に人が居ることで彼らの意味はなくなってしまったような気もするのだけど、ともかく任務を実行するなら早くしたほうが良いとのことで一致した。

 そして僕が戦闘訓練をしている間に、ロウさまが翻訳機を開発した。僕は元々耳飾りをしていたから、穴をちょうど塞ぐような形で収まるものを作り出したのだ。男の耳飾りは文化的にない場所もあるから、怪しまれるのを防ぐという意味もあるらしい。まあ結果的に短期決戦の計画になったから、怪しまれるも何もなくなったのだけど。

 一体どういう仕組みでなってるのかはわからないが、まずは一般ロシア語の翻訳をしてくれるらしい。それから念のため他複数の言語も実装したと言っていた。長い時間が経ってるのでニュアンスや方言の変化も起きてるだろうから、そこは徐々に対応してくれるという。ロウさまが居なくても十分に言語が通じるように仕上げたと、技術者の人が誇らしげにしていた。

 現地の言葉を聴きとるときは、ピアス穴にある集音機兼振動機が人の声をキャッチする。僕が話したいときは小声で喋るか、頭の中で考え事をすると、首飾り……というか形状からすると首輪のようなものなんだけど、それが翻訳してくれる、らしい。それからまた翻訳機が振動して、僕に喋るべき言葉を教えてくれる。時間がひと月しかない間での発音練習は結構苦労したんだけど、完璧ではないでも通じるところまではいったようだった。

 でもさっきはあまりの寒さに母国語やジェスチャーも混じってしまったから、翻訳機が上手く動いてくれたのかがよくわかっていないのだ。

「村の中央だ」

 よかった。ちゃんと伝わってるらしい。どうにか身を起こそうとすると男性は「やめとけ。姿勢を低くしといたほうが風に当たらずに済む」とアドバイスしてくれたので、大人しく従う。今風に当たったら滅茶苦茶冷たいだろう。

「お前、どこから来たんだ」

 翻訳機の声越しに聞こえる男性の声は老年に感じた。前線で扱いにくくなった老人を端役に割り当てた、ということなのだろうか。

「見たでしょう、水の底です」

「馬鹿馬鹿しい、言い訳をするならもっと選んだほうがいいぞ」

 本当なんだけどな。ここじゃ本当の本当に、水底に人が居るなんて発想がないらしい。

 しばらくじっとしているとソリの音が静かになりはじめた。停止するのだろう。風景に溶け込んでいたのを見上げてみれば、外には立派な家が建っていた。

 それは白色をしていた。僕らの住む家と同じように、半球形をしている。違うのはそれぞれが複数くっついたり、ちょっと細長かったり、出入口の中も真っ白になってたりするところだ。景色に気を取られてぼんやりとしていると下半身の拘束を解かれて、上半身を引っ張り上げられる。されるがままに引きずられて、特定の家に向かっていった。

「あ、あれは何で出来てるんです?」

「まさか本気で言ってんのか? 氷だよ氷。多少混ぜ物はしてあるがね」

 男性は疑問に思いながらも素直に答えてくれた。そうか、あれも氷なのか、じゃあ触ったら冷たいのかな。そんなもので出来てるなんて……いやエリスの家もあんまり壁にもたれたりはしないから、そういうことなのかな。

 遠くにはまばらに木々が立っているのが見える。凄い! あれが本物の「木」なのか! エルフたちは森林限界がうんたらとか言ってたのに木が生えてる! ここは僕が思ってたよりももっと楽しいところなのかもしれない。

 期待と興奮できょろきょろとしていると、老人に腕をぐいと引っ張られた。大人しくしろと言うことらしい。でもそう簡単にできることじゃない。ここは、ここがフェーニャの故郷かもしれないのだ。

 目的の家に着くと、扉のない出入口をくぐり抜けた。ある程度進むともう一か所同じような出入口があって、そこに入ってさっきと反対の方向に進むと、やっと扉らしきものがある部屋に辿り着いた。ここでも扉は毛皮を使っているらしい。老人は「失礼します。不審な者を発見しましたのでお連れいたしました」と言って、中に入った。

 中は外と比べるとかなり暖かかった。僕は少し安心した。毛皮に着いた細かい氷はこれで解けるだろう。目の前には厳めしい雰囲気の――そう、軍人さん、といった感じの男が二人いたけど、全然怖くはなかった。白い机と椅子が一揃えあって、その上に革らしき布が敷かれている。二人はそこに座ってゲーム盤に向き合っていた。駒の形を見る限り、チェス、というやつをやってたのだろう。部屋のなかは思ったより明るかった。出入口と反対側にある透明な壁から、太陽の光が差している。

「そいつが? 何をしたというんだ?」

 男たちは立つこともせず、ただ姿勢をこちらに向けるだけで対応した。

「この村の者ではありません。いきなり海面に現れたのです。浮浪者かもしれません」

 なんか酷い言われ方をしてる気がする。フェーニャがカリャードに来たときのことを思い出して、フェーニャくらい可愛かったらこんなこと言われなかったのかな~という気持ちになっていた。

「そうか、とりあえず上に問い合わせよう。ご苦労だった」

 そう言われてすぐ、老人は立ち去っていった。良かった。なんだかんだ手荒なことをしない人だったし、僕にこの家が氷だと教えてくれた人を傷つけたりしなくて済む。

「ねえ軍人さん」

 手が縛られたまま、気兼ねなく話しかけると軍人さんはむっとした顔で僕を見た。

「なんだ坊主、初めに言っておいてやるが、もう少し分をわきまえた物言いをしたほうが痛い目に遭わずに済むぞ」

「それはごめんなさい、聞きたいことがあったんです」

 僕に反応した軍人さんは、帽子を取ったままリラックスしていた。もう一人の男は帽子や上着を着こみ始めている。外に出る準備をしているようだった。

「僕はどこに連れてかれるんですか」

「どこにも。情報を照らし合わせて、適切な場所に返されるだけだ」

 それは困ったな。僕がその場に居なくても僕の確認ができる技術が生きてるのか。丁度そのとき、あらぬ方向から明るい光が差してびっくりした。慌ててそっちのほうを見ると、外に出る準備をした軍人さんが小型の機器を手に持っていた。あれか。

 えっとつまりこれからあれを持って彼は遠出してしまう。まずいな、足がなくなってしまうかもしれない。複数あるかもしれないけど、僕じゃ正確に操作できない。後々大事にしないようにするには、今のうちに二人を説得して、一人には僕のことを黙っててもらうしかないか……。

 顎を引いて、首輪を操作した。左腕の義手が動くようになったので、静かに縄を引きちぎる。

「ねえおじさん。ちょっと話があるんですけど……」

 外着を着た男性が動きを止めた瞬間、背後に回って体を拘束した。抵抗は感じたけど左腕の力の強さにひるんだ瞬間を狙えばあっさりと後ろ手に纏められる。そのまま膝立ちまで姿勢を下ろさせた。ゲーム盤に向き合っていたおじさんがびっくりして懐から何かを取り出したので、右手で外着の男性の頭を握る。

「少しでも何かするならこの人の目を潰すよ」

 迷ったらしかった。拘束されてる男性は右手の握力も恐れたのか全然動かない。これならやりやすいと思って左手を使って体を探った。右手は頭を掴んだままだ。さっきの機械を取り出すと、どうしようか一瞬迷う。壊すのは別に目的じゃないし……いやでも、僕のことを黙っててもらうなら壊したほうが安全かな? そう思って左腕で握りつぶすと、外着の男性が「ひぃっ」と悲鳴を上げた。右手でそうされることを連想してしまったのだろう。

 僕が外着の男性に気を取られているうちに、武器を持ったおじさんが妙な動きをするのが見えた。武器の構えだと思って、外着の男性を後ろに叩きつける。頭ごと放り投げると壁に上手くぶつかったらしく低く呻きを上げた。このまま気絶してくれればわけないんだけど。

 おじさんはやはり武器の構えをとっていたらしい。破裂音が聞こえて僕に何かが飛んでくるのが見えた。油断していた。自分の左腕の強さに。

 僕の心拍数の上昇を察知した首輪がヘルメットモードを自動発動していた。おかげで初弾が頭にぶつかるのは防げたし、あれが拳銃と呼ばれる類のものであることもわかった。頭にぶつかるのは防げたけど、他に散らばったやつが体に当たったのは普通に超痛かった。視界端に「威力想定:害獣用散弾銃」と書かれてるのが見えたけど、そりゃ獣も逃げるよなこれは! 毛皮で着込んでいなかったらもっと痛かっただろう。

 受け身で床に転がった拍子に痛みを興奮に変え、興奮作用で痛みを打ち消す思考に入る。僕が強いのは左腕だけだ。そう、左腕は無敵なんだ。

 一回転して立ち上がるとすぐに、拳銃の男に襲い掛かった。彼はまた武器を構えようとしたけど動きが遅い。エルフよりもずっと遅いんだから動きをとらえるのはたやすいことだった。それにここはカリャードと違って動くのに空気の抵抗感がない。右腕で腕を左に払って構えを崩して、左手で武器を掴む。そのまま握りつぶした。

 男は腰を抜かしてへたり込んでしまった。僕を見上げて「な、にが狙いだ」と問いかけてくる。後ろから外着の男性が襲い掛かってくるのがヘルメットの反射で見えたので、ちょうど頭が来るだろうところに左腕を置くと勝手にぶつかってうずくまってしまった。

「僕をとある女性に会わせてほしいんです」

 僕の任務が始まった。


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