新たな任務
「d-18区画ですか」
新しい仕事が伝えられたのは、尋問から数日後だった。任務状況を作戦本部全体に知らしめるため一同が集まったのだ。大佐はお忙しい身なので、そういう機会でしかお姿を見られない。最後に私だけ残るよう指示され、二人だけで会議室に残っていた。少人数しかいない会議室は広々と感じられる。
手渡された紙には、次の任務で使う名前と境遇が端的に書かれていた。紙の端には住民番号が印字されている。捏造された住民票だ。
アルファベットと数字で表現される区画は、一般居住区画だ。暖かくて過ごしやすい地下と違って、寒くて厳しい生活がそこにある。アルファベットの中でも小文字が頭に付くのは中央都市から離れている証で、数字が大きいとさらに遠いことがわかるようになっている。
任務の内容としては、一般民に溶け込み生活を良く知ること、とのことだが、私にとってこれは、事実上の懲役だ。
「十八区は周辺部の中でもさらに警戒部に近い。女子供をわざわざ連れて暮らそうとする民が少なくて寒村化している。そこで配給分配の基礎量を多少増やすことにした。お前はそれ目当てに周辺の区画からやってきた女ということにしろ」
「一人でですか? その政策では生い先の短い老人で配給をせしめようとするものが来るほうが自然なのでは……」
「訳ありが来やすい環境だということだ。女一人で漁慣れしていなくても怪しまれにくいだろう」
それはだいぶやりやすくなる。ありがたい配慮だった。
私は大概のことは一通りこなせるが、細かいレベルで生活の知恵を身に着けているわけじゃない。今まで常世の国作戦専用に教育を受けていたから、漁も猟も生活感の出るところまで仕上がっていないのだ。このままだと潜入任務のときに手慣れなさを怪しまれる状況だったので、大佐の判断は全く悪くはないのだが。
正直このタイミングで暖かい特区を出ろと告げられるのは、罰にしか聞こえなかった。
「……懲役、ということでしょうか」
気になっていたことを訊き出すことにした。黙っていて腹に抱えたまま任務にかかることのほうが心身によくないからだ。最悪の場合、任務にも集中しづらくなる。私が漁村に隠れるのは告げられた命令だけ以外にも意味があるかもしれないのだ。なるぺく大佐の意図する通りに動きたかった。
「そうじゃないよ。元からこの任務が終わったらこうするつもりだったんだ。むしろ今回のことで君は優秀さを見せつけたんだから誇りに思いなさい。一般生活への馴染み方を知ればもっと有能な工作員になれるからこそ、命令しているんだ」
本心で語っているのかわからない。元々この人はそういう人だった。だが口にしたからにはそういう振る舞いをしてくれるだろうと期待させてくれるから、不思議な人だ。
「任務の結果のことを気にしているのならもう少し言っておこう。君はよくやっていたよ。あれは純粋に間が悪かった。上からの命令も、時には自分のタイミングで見定めるという経験をお前に積ませないまま向こうに送った私にも非がある」
「おっしゃらないでください、そんなことはありません。私が上手くやれなかったんです」
この人は優秀なのだ。そんな彼に自分自身を責めさせるようなことを言わせたくなかった。
彼は少し悲し気に語っていたが、私がそれを打ち消そうと語るとすぐに態度を切り替えてきた。
「そう思うか。だったらより励んでくれ。そうすれば私が上に行ったとき、取り立ててやろう」
威圧するような語りではなかった。本当に励ますつもりで語っているような態度ではあったが、内容に違和感はあった。この人のこういうところが危ないのだ。私はそう簡単に呑まれるつもりはない、と思わせるところまで彼の策略なのかもしれない。
「お心遣い、ありがとうございます。それでは、準備をしてきます」
大佐に背を向けてから最後にざっとファイルに目を通して、それから閉じた。廊下では開かないのが原則だ。
次の名前はスヴェトラーナか。ちゃんと名前に反応できるようにしておかないとな。私はスヴェトラーナ。私は、スヴェトラーナ。言い聞かせ、次の人格のイメージをまとめながら自室へと向かった。次は薄着の服は使わないだろうから、もう荷物をまとめてしまおう。
扉の前に立って、手袋をしたまま数字キーを押す。中に入ると、寒村から寒村へ移った人間として自然なように、荷物をまとめ始める。地上向きの厚めの肌着が何組かと、狩りや縫製の道具が一揃え。脂や肉の上納に必要な道具は多分現地で配給されるだろう。されなかったらそのときに考える。
案の定荷造りはあっさりと終わってしまった。ベッドに腰かけ直すと、自然とカリャードのことを思い出していた。
常世の国作戦は一時休止になった。どの程度時間を置くのかはわからないが、再開する予定があるということらしい。
私の顔は割れている。さらにエルフは長寿命だ。正確なところはわかっていないらしいが、アルルの言うところによると、百年から百二十年くらいらしい。エルピスの寿命観念はだいたい五十から六十年くらいらしいので、つまりは倍以上という感覚なのだろう。その間は確実に警戒され続ける。だがそんなに長い間待ってられない。どういう仕組みを使って疑心を解くのかは知らないが、確実に十年以内にはもう一度行う、とのことだった。
その際は私が参考顧問としてまた徴用されるらしいので心しておくようにとも言われた。なんにしてもドゥルーヴを一目見てもらわないことには、エルフへの向き合い方はわからないだろうなと思う。私だってヤリャクと出会って初めて思い知ったのだ。あの肌に触れて、あの素早さを目の当たりにしないことには、あいつらの脅威はわからないだろう。ハルピュイアの錬成なんかより、あれが他の国に渡ることのほうがずっと恐ろしかった。
ハルピュイアも確かに恐ろしかったが、あれらはだいぶ野生に堕ちていた。人間の道理で扱うべきか、動物の道理で扱うべきか微妙な代物を使おうだなんてそんなリスキーなこと、普通はしないはずだ。あの少女は多分ローマの属国製だろうが、私より後にあつらえられたんだろう。教育が不十分のように感じた。あるいは目的に合わせたのか、それともハルピュイアの脳が向いていなかったのか。それはわからないが、千のハルピュイアより、百のエルフのほうがずっと厄介な相手なのは間違いない。
エルフには追ってきたら爆撃をする、と脅しかけたが、それがどの程度効くものかわからなかった。大佐はどの道爆撃をするつもりはないらしい。カリャードを爆撃してもし火山を誘爆した場合、こちらの火山までどうなるかわからないからだ。地球の底は複雑なもので、火山が本当はどうなっているのかよく知らないまま恩恵を受けている。
それにドゥルーヴの破片とロボットの持ち帰ったデータを軽く解析したところ、やはり並みの爆撃ではエルフにもエルフの住処にもダメージを与えられないことがわかった。エルピスやハルピュイアは死ぬだろうが、その精神的なダメージによって水から上がってこられた場合……百すべてが上がってきたらとてつもないことが起こるだろうと語られた。全く、無敵の体というのは困ったものだ。
上が私に新たな任務を下すまで、私はスヴェトラーナでいればいい。ただそれだけのつもりだった。
事件はそれからひと月後に起こった。
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