空への誓い
呆然とするしかなかった。
イサミさまは陰鬱とした顔をしていたが、語り口は淡々とした響きのあるものだった。なぜそんな風に語れるんだ。いや、感情をあまり見せてしまうとそのまま発狂したくなってしまうほどの内容なのか。語り終えてからの彼は強く強く唇をかんでいた。握りしめたこぶしは、細かく震えている。怖い、のだろうか。
正直彼らが語ったような「受け入れられるわけがない」がよくわからなかった。というのも、何を言ってるのかがよくわからなかったからだ。なんか凄いことをしゃべってるんだということは伝わってきたのだけど、使われてる言葉? 概念? が難しくて心まで伝わらないのだ。頭のとこで寸止まって、聞いたことの内容が渋滞している。
体を棄てて強い体に脳みそだけ移し替える? 脳みそはそんなに重要な器官なのか? 他の器官はなくてもいいものなのか? 心臓も腸も筋肉もあますところなく僕の体だ。脳みそだけ移しても僕だって言えるとはなんだか思いにくい。
ひょっとしてこの人たちはみんなそういう疑問にぶつかるのか? いや、ぶつかる暇もなく体を変えて、それから大人になってそういうことを考えるのか? だとしたらそれは可哀そうな感じがする。ひょっとして「結婚は人生の墓場だ」みたいなやつなのかな? だいたいみんな、後悔しても遅いけどなんとなく適応しちゃったんだよね、みたいなことを語ってくる。本気で以前に戻りたいと思ってるわけじゃなくて、単に別の人生への憧れ、みたいな感じだけど。
あんまり空気がどんよりしているから、なんだか僕がわからずに座っているのが可哀そうになってきた。向こうは大マジなのに空振りさせちゃなんか可哀そう、とにかく質問、でもしてみるか?
「あの、僕らにその、思い入れがあるからやたらハグとかしてくるんですか?」
とりあえずテキトーなことを言ってみる。内容にびっくりしたらしく、少し空気がざわついた。それから誰が返答すべきか目配せの押し付け合いが始まった。そんなに答えづらいことなのか?
最終的にエクレムさまが視線に押し負けてしまったようで、恥ずかしそうに、小さめな声で話し始めた。
「その……僕たちはエルピスと同じ作りなんですよね、だからその……エルピスにも本当は、柔らかいものへの安心感というのがあるんです」
ごにょごにょとしていてすぐに本題に入らない。まあ確かに硬いのと柔らかいのだったら、僕だって柔らかいほうがいいけど。
「エルピスはでも、自分自身の体の柔らかさである程度その欲求を補えるんです。夫婦だったり友人だったりの接触だとか……そういうのでもいいですね。でも僕らは自分自身の身体も、夫婦や友人の体も硬いです。カチコチなんです」
それが当たり前なのか。なら慣れてしまいそうなのに、と思うと、僕の表情に気づいたのか、エクレムさまはもう少し付け加えてきた。
「柔らかいものへの安心感っていうのは、なんとなくなものじゃなくて、結構本能的なものなんです。慣れとかじゃかき消せないんですよ。加えてここは上よりもずっと暗いし、水圧、ああええと知らないですね? 空気が存在することの圧力ってのがあるんです。ここはそれがとても強くて、ふわふわしたものとかとてもじゃないけど存在できない」
なるほど、ここにエルピスが住めないのはそういうことなのか。
「だから……上で君たちに会えると嬉しくなっちゃうんですよね。決して、決して君らの権利とかを軽んじてるわけじゃないんですよ? だけど柔らかいものは貴重なので……本当に……」
だんだん声が小さくなっていった。なりあえず納得した。ことにして他の質問を考える。ええと、そう、同じ作りってことは……
「僕らも本来はエルフと同じくらい長命ってことなんですか?」
真面目な雰囲気が再来した。さっきみたいな視線の押し付け合いは起こらなくて、自然とイサミさまのほうに視線が集まる。
「結論から言うと、それはわからない」
驚いた。それって、同じ種族って言えるのだろうか。
「というのも生きてる環境が違いすぎてね、多少の種族差が生じるところまで来ている。これは別におかしなことじゃないんだ。かつて地上の……天の上の民がバラバラに暮らしていたときも、同じようなことはあったんだよ。暑さに強い民や寒さに強い民や、空気が薄くても大丈夫だったり、潜水が得意だったり……ああ、空気が薄いって言うのは」
「あ、もういいです、とにかく得意なことが違ったってことですね」
最も偉い人のセリフを遮ったことで、周囲にびっくりされた。けどイサミさまはそこまで気にしていないようだった。少し間を置いてから「……そうだ」とだけ答えて、とがめるようなことはしなかった。
あと聞いてないことはなんだろう。そうだ。ヒトの形をしたヒトの動きをできる入れ物ってなんだろ。あんなにカチカチなものは、エルフ以外じゃ触る機会がないから、どんなもので出来ているのか想像もつかなかった。都合よくその辺に落ちているとは思えないし。
エルフの体について質問をすると、さっきペンを持参していたうちの何人かがまたそれとなく目配せをしあって、そのうちに一人の女性が声を上げた。
「いろんなもので出来てるから一言では言えないけど……表面についてもの凄く簡単に言えば、焼いた砂で出来てる」
「焼いた砂」
その辺に落ちてた。
「と言っても砂の材料はもの凄く綿密に計算されて精製されてるから、簡単には作れないよ。ざっくり言えば砂とか土の仲間ってこと」
「土人形に魂が入ってるってことですか? 詩人の語るお話みたいですね」
何気なく言葉を返すと女性はきょとんとした顔をした。
「そうだね、確かにそうかもしれない。そう思うと、この体も悪いもんじゃないかもしれないね……」
悪いだなんて、僕は全然思ったこともないのに。彼女は感慨深そうに掌を見ていた。僕らがエルフやハルピュイアの身体能力の高さを羨むように、エルフも僕らのことを羨ましがったりしているのだろうか。
ハルピュイアといえば、さっきの話にはハルピュイアのことが出てこなかった。どうしよう、聞いてもいいのかな。関係ないから省かれたのか、僕が知らなくてもいいって思ったから喋らなかったのか、理由がわからないからちょっと聞きづらい。
少しもだついたけど、今この場を主に回してるのは僕っぽい感じだから、やっぱりもう少しだけ訊き出してしまうか。
「さっき説明されなかったけど、ハルピュイアは……なんなんです? 僕らとは違うんですか?」
緊張感が走った。まずかったかな。最近動きが怪しいし……繊細なところだったかもしれない。目配せする隙も無く、イサミさまが語りだした。
「あれは、我々とは完全に違う種族だ」
「まあ元から同じようには見えませんけど……」
「そうだ、さっき言ったところの設計図が違うんだ。もう二度と、天の上へは戻れない」
厳しい顔をしていた。どういうことだろう。何が言いたいのかわからない。
「戻れない、てどういうことですか? ハルピュイアもどこかから来たんですか?」
「ああ、そうだよ。我々の祖先と同じように地上から逃れ、水底に舞い込み、そしてもう戻れないんだ。我々の火山技術の恩恵を掠め取った上で、地上を棄てたんだよ」
「何もそんな言い方をしなくても……」
いいじゃないですか、と言いかけて言葉が詰まった。凄い剣幕で睨まれたからだ。
「我々が命をかけて制御してる熱を、彼らは取り放題取っていってるんだぞ!? しかもやつらは知性まで失いかけている! 百年くらい前まではまだ言葉が通じたものを、どんどん野生に戻っていってるんだ、やつらは人であることを棄てたんだ!」
いきなり怒声を浴びせられて、体が固まってしまった。そ、そんなに怒ることなのだろうか。確かに言葉が通じない相手が近くに住むのは怖いけど、僕らはまだしもエルフのほうが強いんだから心配することないのに。
怯えて縮こまっているのを見て、イサミさまははっとした。「すまない、どうも感情的になりやすくてね……」と申し訳なさそうに謝られる。向かいに居るカンナさまが心配そうに眺めていた。
ハルピュイアは言葉が通じないわけじゃない。遠めに見る分でも、ちゃんと喋っているように感じられる。彼が言いたいのは、昔はもっと流暢に喋れたということなのかもしれない。僕が生まれた頃にはもう、あまりつらつらと言葉をしゃべる印象はなかったけど、エルフから見たら自分の生きてる世代のうちにどんどん衰えていくのが身に堪えるのかもしれない。
自分より強い相手に言葉が通じないというのは、正直怖い。けど、ハルピュイアはそれで不便にしてなさそうだし、それが耐えられない怒りになるなんて思ってもみなかった。
「あの……それで、結局フェーニャを助けるのに協力してくれるんですか?」
最終的には、元々聞きたかったことに戻ってきた。なんでエルフの体が土人形なことでフェーニャを助けるのに憚られるんだろう。純粋にそう思って問いかけると、エルフたちは皆一様に驚いてざわついた。
消耗したらしいイサミさまに代わって、カンナさまが問いかけてくる。
「我々のようなおぞましいものの力を借りてまで、彼女を救いたいと思うのですか」
「おぞましいってどういうことです? 僕から見たらエルフってそうなんだ、としか思わないので、特に問題はないです。なんか凄いことができるならその分だけ心強いというだけです」
少し驚かれた。それから、またざわめきは大きくなった。
「だから前から言ったじゃん、そんな気にすることないって。便利でいいな~ってくらいでいいって」
ヤリャクさまの声だ。前向きであっけらかんとしている。
「しかし我々のしていることは倫理に……」
「でもそうしなきゃ生きてけないんだよ? 生きてなきゃ罪も罰もない、よ、ね……?」
「どうした、いきなり元気なくなると不気味なんだが」
「いやなんでもない、ともかくさ、アルルくん? は私たちのこと特に何にも思ってなかったね、ちょっと恥ずかしいや。ジイシキカジョーってやつかも」
ヤリャクさまは自分のしたことを少し思い出してしまったんだろう。ごまかし気味に喋っていると、カンナさまが語り出したので、皆一斉に静まった。
「それこそ、特別意識のせいでしょうね」
カンナさまが僕のことを見つめた。あまりに真っ直ぐな視線に、少し背筋が伸びる。
「我々は本当はエルフという名の種族ではないのです。強いて呼ぶなら『管理者』でした。火山の熱エネルギーの管理者です。それをあなた方は次第に忘れて、物語に出てくる空想の種族と重ね始めた……」
カンナさまはまるで、本当に見てきたかのように静かに語る。
「そうして地上を懐かしみ、魚と呼ばれていた生き物を鳥と呼び、海棲哺乳類のことを竜と呼び始めた。偽りの空想の世界で、心を癒すことにしたのです」
いつの間にか、カンナさまの視線は下のほうに逸れていた。何を考えているのか読み取れない顔だ。少し虚ろなような気もするし、何か考えているような気もする。ほんの少し笑みも混じっているような、悲しみも含まれているような。
少しの間があったので僕はすかさず言葉をねじ込めることにした。
「でも僕にとっては本当の世界ですよ?」
視線がまた戻ってくる。
「……そうですね。それは、とても大事なことでした」
カンナさまの表情に穏やかさが混じり始める。周囲のエルフたちの様子にも、安堵が広がっているように見えた。
「アルルくんは」
さっき土人形のことを教えてくれた女性が声をかけてきた。
「もしフェーニャさんを救おうとするなら、本当の意味でハーフエルフになってもらう必要が出てくるけど、それでもかまわないの?」
どういう意味だろう。言ってることはわからないけど、フェーニャが遠くにいることを考えると、傷口が疼くから。
「それでフェーニャを助けられるなら、やってみせます」
構わなかった。とにかく僕の目の前にはやることが出来たのだ。だからそれに突き進むしかない。
湧き上がってくる意志の感覚は、感じたことのないものだった。これは一体なんなんだろう。多分これは……誓いというやつなのかもしれない。誓いは何かに立てるものらしいということを思い出す。
きっと僕のこの誓いは空に向かっているのだろう。僕の知るあの空に。僕の知らない遠い空に。
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