任務の成果
蒼白とした顔を現実に引き戻したのは私自身の意思ではなかった。状況に驚愕した兵士が叫びをあげて、そのまま部屋を転がり出ていったのだ。
「待てっ、部屋を出るな」
声掛けしたのも遅く、兵士は大尉に襟首を掴まれて戻ってきた。逃げたくて暴れる兵士を平然と抑え込めるのは、さすが叩き上げと言ったところだろうか。
「どういうことなんだこれは」
お怒りの様子だ。駄目だ、私との関係性をあまりドゥルーヴに見せてはまずい。何か利用されるかもしれない。
「……詳しいことは別室でお話します。別の兵を見張りに立ててください」
ドゥルーヴにちらと目配せしながら語ると、ようやく彼も状況を自覚したらしい。きっと隣室から見ていて彼もかなり取り乱したのだろう。一つ息を吐いて整えて、それから兵士を連れて部屋を出て行った。兵士は酷く混乱していて、今日のところはまともにこの任務に就けなさそうに見えた。
私があの脚を見て冷静でいられるのは、多分、私自身が一番、エルフの体の無茶苦茶さを知っているからだ。自分の任務の失敗……それ以前に、あの身体能力はそれこそ生き物じゃなくてもおかしくなかったから、今となっては軽い納得すら感じている。
新しく見張りが来るまではひとまずここにいるか。ただ茫然と突っ立ってるわけにもいかないので、先ほど破壊した脚を観察することにした。しゃがみこんでじっと眺めてみる。
砕けて飛散した表皮は非金属で硬質な物質だということ以上はわからない。大きめの破片を手に持ってみると、切れ口はするどいようだった。重さは同質量の金属類と比べて軽いだろうことが伺える。正確に測ったわけじゃないが、だから普通の生物のふりがしてられたんだろう。これ以上のことは解析班がやるだろうからあまり触らずにしておくか。問題は内部のほうだ。
膝から垂れ下がった袋は筋肉を模しているようで複雑な構造をしていた。その上、多分しなくてもよさそうな染色がされている。薄い赤色の液体が入った袋は輸血のパックみたいな存在感があった。輸血パックは不透明だから、そこはだいぶ違うけれど。エルフの医者が疑似筋肉器官を調整するとき、手元が見えやすいようにあえて透明な液体が入ってるんじゃないだろうか。
骨の存在は、あるのかないのかわからなかった。脊椎動物を参考にしているならあるはずだが、外骨格のある生物を参考にしてるなら、ないのかもしれない。今のところ見るかぎり人間に近しい形をしているから、脊椎動物寄りに見えるが……
突然、袋に小さな揺れが起こってびっくりした。慌ててドゥルーヴの顔を見上げると、彼は面白げに笑っている。
「この状態じゃやはり全然、動かすことはできないようだよ。よかったね、君たち」
良くない。不気味なやつだ。言ってることが本当かもわからない。不気味なやつすぎる。この状況で笑ってられるなんて。
動揺したことを隠したくて、口早に問いかけた。
「これは油か? 水か? それとも何か別の液体か。まあいい。ひょっとしたら、いや確実に、膝から下を切り離して解析されるだろうからな」
なんとなく、無意味だとわかっているが脅しもしてみる。案の定彼は薄笑いをたたえたままだった。
「それはどうだろうね。僕の体がどのようにつながっているかの確信を持つまでは随分時間がかかるだろう。君たちにこの体の解析がそう簡単にできるとも思えないしね」
その隙に逃げてやるという意思が十分に伝わってきた。きっと睨みつけていると、そのうちに部屋の扉が開いた。大尉が別の兵を連れてきたようだ。
「レーナ、こっちへ来い」
指示に従って立ち上がる。そのとき初めて、ドゥルーヴの顔が悲し気に歪んだ。少し驚いて彼のほうを眺めると、小さく「我々には本当の名すら教えてくれなかったのか……」と呟いた。
どう返すこともできなかった。私は部屋を去ると、大尉についてさっきいた隣室に向かう。
「あれは一体なんなんだ」
直球な質問だった。
「おそらくあれこそが我々の求めていた研究対象かと」
上手く答えられなくてぼやけた言い方になってしまう。頭ではわかっていたが、声に出して言うのは怖かったのだ。自分は「失敗した」のだと言うのが。
「あれが『身体を自由にいじれる』技術の成れの果てか?」
「……おそらく」
ああ、さすがにもう伝わっただろう。彼は失望した顔を見せた。
「つまり失敗だったということだね?」
答えられなかった。いや、答えなくてはならない。仮にも彼は私の上官なのだ。沈黙が長すぎてはいけない。口が上手く動かなくて、ようやく出た声は少し震えていた。
「はい」
視線を大尉に向けることができなかった。もしもドゥルーヴが今の私を見たら、どんな顔をしただろうか。特殊加工を施した窓からじゃこちらの様子は見えないはずだろうけど、彼は今私をあざけ笑ってるんじゃないかという妄想が頭を掠めた。
もちろん、単純に彼らの研究成果を持ち帰れたのだからそれはいいことなのだけど、私の任務は究極的には「技術者を連れ帰る」ことだった。こちらにもそれなりの技術者は居るが、それじゃすぐに使えるようにならないのだから意味がない。私は連れ帰ってからすぐに技術が使えるようにしなくてはならなかったのだ。
だからドゥルーヴを連れ帰ったのは完全なる失敗だった。医療技術は確かなものだろうし、元から全身がサイボーグなら――ひょっとしたら脳みそすらも人工なのかもしれないが、ともかく痛みをコントロールできるなら、足を失ったことによって腕が鈍ることもないだろう。だが多少手先が器用だというだけならこちらの設備で十分だったのだ。彼は神がかりな手術ができるが、彼にしかできない技術なんじゃ意味がない。我々全体が継承できる技術でないと意味がなかったのだ。
もう少し長く居座って観察するんだった。ヤリャクを扱えば多分何度でもニュクスに下る機会はあったのに。カンナのいう詫びも使えたはずだった。もう少しじっくり仲を深めていれば、エルフの体の真実に気が付けていた気がするのに。
後悔が頭の中を駆け抜けていった。冷や汗が出るが、大尉はなかなか次の句を出してこない。恐る恐るに顔を見上げると、何か考えあぐねているような様子だった。
ひょっとして私を急かしたのはこいつだったのか? この作戦の最高責任者はバザロフ大佐だが、彼は他の作戦でも忙しい身のはずだ。現場の指揮は大尉に任されていてもおかしくはない。私のほうからいろいろと必要な備品の要求は出したけれど、実際に魚型ロボットや爆薬の手配をしたり、具体的な命令を下したりしていたのは多分この人のはずだ。多少の責任感にさいなまれてもおかしくはないかもしれない。
懲罰が軽くなることを祈りながら見つめていると「今日のところは自室に戻って待機していろ」と低い声で指示された。「はい」と答えて、そのまま部屋を立ち去る。
少しだけ救われたような気持ちになったが、あれは「十分に考えてから懲罰を下す」という確定の合図のようなものだ。そう考えると気が重い。だが食事を摂らなければ待機もできないので、大人しく食堂に向かうことにした。日の差す時間と言えど早い頃に呼び出されたわけだし、大尉もそれくらいはわかって指示を出しているはずだ。
それからしばらくして、私は大佐じきじきに命令を下されることになる。
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