エルフの歴史
昔、我々の祖先は地上に住んでいたんだ。ああ、疑問そうな顔をしているね。君の知っている地上じゃない。本当の地上のことだよ。と言っても君は見たことがないから、説明が難しいね。
君の知る言葉で言うなら――天の上、だな。
君はどんな想像をしているかはわからないが、天の上はね、ここよりもだいぶ違った場所らしい。まず空気をひとかきするだけじゃ空は飛べない。複雑な理論と精密な道具があれば飛ぶこともできたらしいが、とにかく生身の体で上昇するには凝った道具が必要だったんだ。
そして天の上の世界には限りがあった。とても広いけどね。ずっと真っ直ぐに歩いていけばその内に元居た場所に戻ってくるようになっていた。これは理論上の話だ。ズーハオが今映してくれたが、こんな感じに球体になっている。じゃあ今我々はどこにいるかというと、ここだ。
この、球体の青色の部分の底の底のほう。それが今我々の居るところだ。さっき、真っ直ぐに歩いていけば元居た場所に戻ると言ったが、それは現実にはできないようになっている。何故かというと、天の上の人々は……この青色でない場所、茶色とか緑とか白の場所でしか生きられなかったからだ。
我々の祖先はこの地上、陸地と呼ぶのだが、そこで暮らしていた。この球体は信じられないほど大きいからね。人口も信じられないほど増えた。さっき言った地上で空を飛ぶ技術以外にも、もの凄く高い塔……建築物だね、とか、もの凄く広い施設だとかを作る技能があった。そしてあらゆる言語があり、あらゆる思想やあらゆる道具が発達していったんだ。遠くに居る者と一瞬で意思疎通できる道具だとか、効率的に大量の食品を生産する施設だとか、そういうものがたくさんね。
ここまではまあ、楽園的に聞こえるかもしれない。けどやっぱりそれだけじゃなかった。あらゆる言語や思想があるということは、それだけ対立の種があるということだ。この巨大な球体の、ああ、これは星とか天体というものなんだけど、で、我々の居る星の名前は地球と呼ぶ。それで、この地球の陸地のありとあらゆる場所で同時に戦争が起きたことが何度かあってね。それはもう神が罰を下しても良いものだったのだろう。
大丈夫かい? 少し疲れているようだけど、これはまだ導入なんだ。とりあえず、祖先は巨大な球体の別の場所に住んでいたということだけ押さえてくれればいい。
さて、本当に神自身が罰を下したのかはわからないが、そのうちに地球にあることが起こった。星全体の気温が下がり始めたんだ。ズーハオ、そう、こんな感じに、星全体が白くなってね。この白いところは人が住むのに大変な環境になったんだ。ほぼ真っ白だろ? つまり星全体が住みにくくなったんだ。
原因はよくわかっていないが、これは可能性としてすでに語られていたことだった。真に受けて動く人は少なかったようだがね。太陽の――ああ、これは地球に光と熱を注いでくれている天体なんだが、その太陽の活動が下がる兆候がとか、海の――我々の居るところだね、これも果てしなく、いやむしろ陸地よりも広いのだが、この海の流れ……我々の思う空気の流れだね。これが変わったから影響して冷え込んだのではとか、いろいろ言われたよ。
君は気温が下がるというのがピンと来ないだろうね。ここは年中同じ気温に保っているからわからないかもしれないが、気温というのは、地上じゃ結構激しく変わるものなんだよ。
寒冷化が進み、最初は一過性じゃないかと期待されてたんだが、さすがに数十年ともなってくるともう寒いのが当たり前になっていたらしい。それにどんどん寒くなっていって、このままじゃ人類は、ああ、人間、の難しい言い方なんだが、絶滅するかもしれないと思い始めた。
いろんな国がいろんな対策を練り始めたよ。国を越えた活動をし始めた集団も居た。国とは集団の一単位だ。なんといえば丁度いいかな……民族の共同体意識がある限界、では君が知らない単語が多すぎるな。まあいい。それは大事なことではない。問題は寒さの乗り越え方だ。
その頃には、その時点で人間が持っている技術では長期的に生き残れないだろうと見切られていた。だからそのときのエネルギーが尽きてしまう前に新しい技術が間に合うことに賭けたんだ。木を燃やすとかの素朴なエネルギーすら、木の生えない環境になったら使えなくなってしまうから必死だった。
あー君は、そうか、燃やす、も知らないな。考えてみれば氷も知らないわけだし……まいったな。氷というのは我々の知る空気の別の状態でね。この空気はどんどん冷やしていくと固体になるんだ。そしてその固体が地表を深く完全に覆ってしまうと、植物の芽が出ないんだよ。芽が出せる温度以前の話だね。
人間が生きていくのには最低限の温かさが必要なんだ。君だって風邪で寒いときは服を着こむだろう? そしてできれば出来立ての温かい食べ物が食べたいと思うだろう。陸地じゃ基本的に温かさを得る方法は何かを燃やすことが主体だったんだが、あるとき気が付いたんだ。自分たちで燃やさずとも、勝手に燃えてくれるものを上手く扱えないだろうかと。
というか最終的にはそれ以外に選択肢はなくなってしまった。地球が全体的に、勝手に冷えてしまった以上、地球が一部だけ勝手に燃えてくれてる場所に移るしか、生き残る術はなくなったんだ。
何が言いたいかというとね、つまりは、火山だ。ここだって本当はずっとずっと寒い場所なんだよ。それを火山の熱エネルギーをコントロールして掠め取って生活している。食事場を吹き抜けている熱風がそれなんだ。
でもね、火山はそうどこにでもあるものじゃない。君は数字をいくつまで知っている? 千の単位くらいまでかな? そうか。数字にはそれ以上の単位があってね。千が十個あると一万という数字になる。一万が千個あると一千万と言って、一千万が十個あると一億という数字になる。
よくわからないといった感じだね。まあともかく、途方もない数字だというのはわかったろう? これがね、百億人くらいの人口が――人間の数がそれくらいになっていたんだ。それが僅かな火山の麓を巡って、争った。
火山を巡る争いに入った頃にはすでに、寒さによって弱って自然に減っていたところももちろんある。けど、元は百億あったのが、大規模な戦争で大幅に減ったんだ。正直きっと、このときばかりは人間がたくさん死ぬのに罪悪感どころか安心感すらあっただろうね。生き残れる土地は少ないとわかりきっていたから。
それで最終的に火山地帯を制していった国があった。寒さによる怖さを一番よく知っていたのは、元から寒い国だ。慣れてるからと言って慢心できるようなものじゃないんだよ、極寒というのは。そうしてさっきロウが言っていたロシアという国は元から極寒で有名な国でね、いち早く、数少ない火山を勝ち取るに至ったんだ。
フランスは国としては単位を維持してるか定かでない。国がたくさんある場所の一つでね、ただ立ち回りが上手いことで名のしれてる国だったから、あの周辺の国を統括する立場に上手いこと滑り込んで生き残ったんじゃないかな。
フェーニャはおそらく地上の火山文明の生き残りだ。ロシアが制覇したのはここから一番近い火山のはずだから、そこから彼女はやってきたのだろう。我々は実際地上を見たことがないからどんな規模の都市になったかはわからないが……金属を扱えているのならかなりのものなんじゃないかな。
我々がフェーニャの出身について語れるのはここまでだ。次は、フェーニャの目的について語ろうかと思うが……大丈夫かい? いや、私も少し疲れたんだ。というより、今から語ることが一番……しんどくてね。
フェーニャは「身体を自由にいじれる超技術」が欲しくて来た。その目的で我々を狙うのは間違ってなかったんだよ。どういうことなのかというと……はあ、駄目だな。最初から話そう。我々の直系の祖先の話だ。
……彼らは寒冷化する星の中で、別の場所に活路を見いだしていた。海の中だ。結果的に我々もまた火山を活用しているけど、最初は純粋に、海の中に逃げられないかと考え付いたんだ。
地上の――天の上の空気はね、我々の知っている空気、これは本当は天の上の言葉で水と呼ぶんだけど、水よりもずっと冷えやすく、ずっと熱しやすい。だから、相対的に影響の出にくい海の水の中なら、寒冷化はまだマシなんじゃないかと考え付いたんだ。
そして我らの祖先は、寒冷化が終わることを諦めていなかった。というよりも、永久に海の底に暮らすのはね、……嫌だったんだよ。
だからいつか戻れるようにしたんだ。エルピスというのは種族の名じゃない。本当はね、君たちの食べてる薬の名前なんだよ。我々が地上に暮らしていたころの神話に出てくる言葉でね、希望という意味がある。災厄の詰められていた箱の中にたった一つだけ残った希望という物語なんだ。エルピスによって我々は地上に還る希望がもたらされているんだよ。
驚いているようだね。一度休もうか? 大丈夫かい? まだ続けるか。私としてもさっさとすべて話してしまいたい気持ちがあるよ。語るのが怖い気持ちもあるが……。
エルピスは体を水中に適応させる薬だ。地上より暗い状況でも見えるように脳みそに働きかけ、水圧に耐えられるよう肌を硬くし、何より呼吸をできるように肺を作り変える。本質的には一時的な適応薬だから、これを摂取できなくなるとそのうちに溺れ死ぬ。それに本来の姿を無理やり変えているからね。どんなに君たちに栄養を確保させても、寿命が短くなってしまった……あれだけ栄養を摂っていれば、本当はもう少し長く生きてもいいはずなんだ。
思い出したかい? そうだ。老人は食べれなくなって衰弱して死ぬんじゃないんだよ。薬を摂れなくなって、呼吸ができなくなっていって死ぬんだ。
一度、止めにしないか。そうか。君は強いな。いや、私が弱いのかもしれないね……。
エルフとエルピスは同じというのはどういうことか? オティエノが喋ったのか? ああ、責めないよ、その程度じゃわからなかっただろうからね。私たちエルフもまた、生まれてから十二歳まではエルピスと同じように薬を摂取して成長するんだ。遺伝子的には、多分、同じ種族のはずだ。
ああ、遺伝子というのはね、神が決めた生物の設計図みたいなものかな。作り手が違えば微妙に違ったり、入れる模様が変わったりもするけど、作り方が同じなら同じ作りの家ってことになるだろう? そういう意味では、エルフとエルピスは“同じ作り”なんだ。
でも成人したエルフは違うね。それはなぜかというと……ああ、こわいよ。声が震えている。君は本当に知りたいのかい?
……私たちは十三歳になると、エルピスの身体を棄てるんだ。火山のエネルギーはとても危険な代物だから、それを管理する人間もタダじゃ済まされない。正直人間の手に負えるようなものじゃないんだよ。けど生きるためには使わなきゃならないから……だから耐えられるような身体に乗り換える。
ヒトの形をしたヒトの動きをできる入れ物に、脳みそだけ移し替えるんだ。フェーニャが欲しかったのは多分、その技術のことだったんだろう……何に使おうとしてるのか、考えたくもないが。
だからドゥルーヴじゃ駄目なんだよ。彼はエルピス専門の医術者だから。脳を体に移し替えるときに多少のサポートはできるけど、そっちのことは全然知らないんだ。だから、彼女の任務は失敗している。
これが現時点で我々にわかっていることの、すべてなんだ。
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