得たもの
重力を感じながら目が覚めた。久々の感覚だ。カリャードに居たときも別に重力がなかったわけじゃないのだけど、地上のほうが手足の動きは重い感じがする。
完全に管理された温度と湿度の空間。部屋自体は狭いものだけど、太陽の光を模した照明から差す薄暗い光には、温かさがあった。
朝だ。いつも寝起きに見ていた光景だ。戻ってきたという実感が襲ってくる。
身を起こしたままぼんやりとしていると、短いアラームが鳴り響いた。ベッドの正面にあるパネルを確認すると、すぐに向かうべき部屋の番号が書かれている。
速やかに寝間着から軍服へ着替える。外へ出るわけではないから装備は簡易的なものだ。礼装用の形に近い薄めの材質のシャツと上着類、それからサーベルを用意して、指示された部屋へと向かう。手袋をはめるのは道すがらで構わない。
歩きながら、エルフの住処のことを思い出していた。あの場所は、ここの光景とよく似ていた。地下に作られた人工の太陽光、地熱の流用のために火山の近くにある構造。おそらく向こうの祖先が我々の技術を盗んだか、我々の祖先が向こうの技術を盗んだかだ。ただ、中が水で満たされていたことと、街の大きさだけはかなり状況が違っていたから、そこは彼ら独自の技術なのかもしれない。
階段を下り、道を何度か曲がると、目的の部屋が見えてきた。今からやることはわかっている。取調室でやることは取り調べに決まっている。
ドアを何度か叩くと名を尋ねられた。素直に答えると扉は小さめに開いて、すぐに入るよう戸のわきに立っていた男性に目配せされた。あまり周囲に見られたくないらしい。指示通り足早に入ると、扉は静かに閉められた。
わきに居た人物は大尉だった。あまり顔色がよくないようで、情報収集が上手くいってないらしいことが伺える。薄暗い部屋の中でもはっきりとわかるほど、恐ろしさを隠せない顔をしていた。部屋の窓越しに隣室のドゥルーヴに視線を投げたり私に視線を投げ返したり、目の動きが忙しい。何か言いたいようだが言葉にならないといった感じだった。私のほうから何かを言うのも失礼かと思ったので黙っていると、大尉はようやく、恐怖の浮かぶ声で私に言葉を投げかけた。
「なんなんだあの怪物は」
「お伝えした通りです。接触衝撃波兵器以外は使い物になりません」
大尉は忌々しそうな顔をした。欲しいのはそういう情報じゃないということは私もわかっているが、あいにく私もエルフのことはあまりよく知らないままだ。もう少しじっくり調べてもよかったのだが、ハルピュイアとの遭遇を報告してから妙に上から急かされて、じっくり調べる感じではなくなってしまったのだ。
おそらく諸外国との対立――ローマ帝国の復活を騙る烏合の衆だが、あれらとの衝突を警戒したのだろう。都市一個の大きさじゃこちらが圧倒的に優位なのに、そこまで震え上がったのは多分この作戦が公に認められていないからだ。私だってこの目でアルルを見るまでは、水底の国の民なんているのかどうか怪しいと疑っていた。いくら戦況が硬直状態だからと言って、神話のような話に縋るなんて馬鹿馬鹿しい。
それが実際国があって、一定以上の暮らしがあって……上層部は水中でも生き残れるほどの技術を持つ民なら超文明を持っていてほしいと願っていたようだが、それは外れた。唯一それに該当しそうな民であるところのエルフをさらってきたは良いものの、肉体強度が高すぎて拷問もできそうにない。
拘束するのは一応なんとかなった。エルフの体も薬の適応と同じようになってるらしく、水呼吸と空気呼吸両方に対応してたからだ。切り替えるときに大層噎せて消耗していたので、その隙に厳重に縛り上げて監視している。
だが、正直これで拘束できているのか誰もわかっていなかった。ヤリャクを討ち取ろうとしたときに使った強化繊維を使って、その上から金属の捕縛器具で固定しているのだが、ヤリャクがあれを余裕で引きちぎったときのことを思い出すと全然安心できない。ここに居る誰もが、彼は時間稼ぎをしてそのうち脱出するに違いないと踏んでいた。
「それで、いったい何を訊いたんですか」
「ロクなことは訊き出せていないよ、そもそも彼の背景が何もわかっていないのだから表面的なことしか訊き出せない。あまりそういうことを繰り返すと彼に我々が『相手のことをよく知らない』ことがバレてしまう」
なるほど、それで私が呼び出されたのか。
「つまり私がやれということですね」
「そうだ。武器はやる。必ず情報を引き出せ」
全く無茶ばかりを言う。急かすのに耐えてもう少し長くカリャードに居るべきだったかと思ったが、今は反省している場合じゃないな。
棒状の武器――接触衝撃波兵器を受け取って、隣の部屋へ移動する。部屋番号のプレートは原則的に簡略的な記号でしか書かれていない。侵入者が見たときにわかりにくくするためだ。だからきっと、もしドゥルーヴが文字を読めたとしてもすぐには状況がわかっていないはずだ。一時的に置かれている場所なのか、これから本格的に拷問にかけられるのか、それがわからないということは多少なりとも心理的なダメージを与えているだろう。あまり気が追い込まれて情報の正確さが落ちても困るのだが、エルフは肉体強度への絶大な自信があるはずだから、そこまでは追いやられていないはずだ、と思う。
しかしどうやるべきか。なるべくなら腕は失いたくない。足なら壊してもなんとかなるだろうか。なるべくコンディションのいい状態で技術を提供してほしかったが、そもそもに情報がもらえそうにないのなら仕方ない。
ノックもせずに部屋に入ると、椅子に縛り付けられたドゥルーヴが悲しそうにこちらを見上げてきた。それからまたすぐに視線を落とす。部屋の端には見張り番兼書記らしき兵がこちらをちらと眺めた。襟章を認めて慌てて敬礼しようとしたが手で制す。今はそういうのは要らない。
それよりもドゥルーヴの様子が気になっていた。意外だな。もっと追い詰められた顔だとか、怒りに満ちた顔を想像していたのに。どう出ようか、思わせぶりに武器をちらつかせながら周囲を歩くと、ドゥルーヴのほうから話しかけてきた。
「まさか地上に生き残りが居たなんて」
静かな喋りだ。私の応答を待っている様子だったので「我々も同じことを君たちに思っていたよ」と返した。
「水中に都市があるなんて、想像もしてなかったのか」
私に語りかけるというよりは、つぶやくような響きだ。それに対して、少し威圧的に問いかけをした。
「お前たちはどうなんだ、エルフの住処を見た限りでは、まるで地上のことを知っているような雰囲気だったが」
個人的に気になっていたことから入ろう。核心的なことを訊くのは後でもいい。
「知ってはいたよ、だけど関心を持とうとは思わなかった。私はエルピスの治療を生涯のやりがいにすると決めていたから、居るかどうかもわからない地上の民のことなんか、知ろうともしなかった」
引っかかる言い方だ。地上のことは知っていたが地上の民のことは知ろうとしなかった……。
「なぜ地上のことを知っていたんだ?」
「エルフの義務教育でそう教わるんだよ。はるか昔に星は凍り付き、その前に我々は水の中に逃げたとね。よく考えてみれば我々も火山のエネルギーを用いているのだから、同じようなことを君たちができないはずがないんだよな」
頭は良いようだが、賢くない感じがする。脅してもいないのにぺらぺらとよく喋るな。自分がしていることが情報の流出であるとわかっているのだろうか。
「我々は自分たちが特別だと思い込みすぎた……」
私に言ってるのではなかった。後悔の念が思わず漏れ出てしまった雰囲気だ。
「特別、とは?」
さすがに黙り込んでしまった。なるほど、エルフの特別意識、あの慢心、そこに何かあるのは確実のようだ。
話を進められなさそうなので、仕方なく武器を構えた。ドゥルーヴの表情は存外にもあまり変わった様子を見せなかった。真っ直ぐに向かい合って、心臓のあたりにあてると、私の顔を見上げてきた。
「そんなことをしても無駄だよ、やめなさい」
「ああ、私もここを破壊しようとは思わない」
武器を構え直す。跪いて、ふくらはぎの外側に触れ直した。
「お前は医者だったな。なら振動がどういう影響を与えるかというのはよく知っているはずだ」
それでも彼は全然怯えた様子を見せなかった。
「いいのか? 壊されれば、そう簡単に脱出させるような義足は与えられんぞ?」
「大したことないね、むしろ思い知ればいいさ」
随分な大口を叩くやつだ。いいだろう。やってやる。武器のスイッチに手を掛けると、語ることにした。
「硬質な固体は振動波による共鳴が起こると、いずれその変形に耐えられなくなる」
ほんの少しだが、緊張した動きが伝わってきた。耳をふさぐこともできない彼はこれから起こることの解説を聞き続けるしかない。
「変形しようとしてもできない状態に陥った固体は、自己破壊することによってエネルギーの発散をすることになる。……意味はわかっているな?」
「わかっているよ。要はエコーの酷いやつをやろうとしてるんだろ君は」
「察しが良いね。なのにそれを引き受けるのか」
わかってはいるようだが、わかっているからこそ、彼は目を閉じていた。やはり緊張している。
「そこの、ちょっとこっちに来て手を貸してくれ。こいつの目を開けて頭をこちらに向けさせろ」
部屋の隅にいた兵に語りかけると、怯えに震え上がった顔になった。まあ無理もない。恐る恐るに近づいてきた青年に、手でこまねいて顔を近づけさせる。
「繊維を使って首をもたげさせろ、さすがに目を閉じる力まではそこまで強くないはずだ」
本当はそうでもないと思うのだが、できると思わせないとまともにやってくれないだろう。青年は少し自信を取り戻した様子で作業に取り掛かった。
ドゥルーヴの抵抗力は意外と少なかった。きっと昨日から何も食べてないのだろう。ふくらはぎが視界に入っただろうというタイミングでスイッチを押した。
ほんの少し、拍子抜けする無音の間があった。それから、彼の表皮ははじけ飛んだ。私の瞳は閉じることはなかった。飛んでくる破片は幸いにも上のほうには来なかったから。でもそれだけじゃなかった。
ふくらはぎの表皮は破壊された。膝から半透明な袋が垂れ下がっていた。中には薄い赤色の液体が入っていて、複数の袋のつながり方はまるで筋肉を模しているようだった。そう。『模している』ようだったのだ。
「そんな……」
こんな、ことだったなんて。なんで気づけなかったんだ。生物にあるまじき硬度の皮膚と、身体を自由にいじれる超技術という単語があったのに。
「中はこんなふうだったんだな、話には聞いていたが見るのは初めてだよ」
上からセリフが降ってきた。驚愕したまま彼の顔を見上げると、ドゥルーヴは平然とした様を見せていた。驚いたけど、これを目の当たりにした後では、彼が痛覚を操れてもおかしくはなかった。
「なんだ、ひょっとして知らなかったのか」
自分の顔から血の気が引いていくのを感じる。作戦は失敗していたのだ。
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