そらへ

 気が付いたのはエクレムさまのお陰だった。狩りの最中にわざわざやってきて、話しかけてきたのだ。ドゥルーヴさまがフェーニャと落ち合う約束をしたと。

 合流場所を聞いて胸騒ぎがした。だからエクレムさまと一緒に駆けつけて、それで、結局僕にできることなんか全然なかった。それどころか僕は人攫いの計画に加担していたのだと知らされた。僕は馬鹿だった。そして馬鹿だと思い知らされて、償いをする前に死ぬのかもしれない。飛ばされた左腕からは勢いよく血が溢れていた。フェーニャが怪我したときと比じゃないくらいに。

 痛みで目が熱くなっていた。残っている左腕の部分をかきむしってかき抱いて、声にならない悲鳴を上げていた。それでもなんとか、フェーニャのことが気になって、顔を向けた。動揺している、ような気がする。視界がにじんで、はっきりとわからない。

「フェーニャさん、今すぐドゥルーヴを解放してください!」

 エクレムさまが何か叫んでいた。ああ、痛い。左腕が痛いのだろうか。心臓が血を送るだけで痛みが全身に響いてくる。全身が痛いような気がしてくる。ああ、いたい。

「ドゥルーヴなら最適な対応ができる、ひょっとしたら繋げることすらできるかもしれない、今すぐ解放してください!」

 エクレムさまの声は泣いていた。どうして、ああ、そういえば彼が僕の腕を飛ばしたんだった。

 フェーニャはすぐには答えなかった。いや、ひょっとしたらすぐだったのかも。ほんの数秒すら永遠に感じられるのは、きっと痛みと熱さのせいだろう。

「で、きない」

「アルルさん、他のことを考えて! 左腕のことは見ないで!」

 フェーニャに押さえつけられたままドゥルーヴさまは叫んだ。言われなくても正直左腕のことなんか考えられなかった。フェーニャが僕にさせていたことのショックが今になって頭に響いてきて、そのことばかり考えていた。

 視界はかすんでいた。それでもフェーニャのことを見続けていた。フェーニャは顔を伏せて、それから力強くこう語った。

「……追ってきたら、こいつの腕を破壊する」

 ああ、やっぱり、駄目なのか。

 フェーニャは右手でドゥルーヴさまの首元に武器を押し付けて、左手で腰元から何かを取り出した。左腕に右手が一度触れるような仕草をすると、頭の周りを覆っていたものが消えた。それから棒を口元に当てる。笛か。

 たちまち鳥が集まってきて、あっという間に群れは二人を包み込んだ。そして飛び去って行ってしまった。僕のことを置き去りにして。

 空白が僕の心に滑り込んできた。フェーニャと共に、僕の意識は遠のいていく。最後に頭に浮かんだのは、たった一度だけ見た、気の緩んだ笑いを見せるフェーニャのことだった。



 群れに包まれてしまうと、ドゥルーヴは大人しくなっていた。それでも油断せずに武器は喉元に当てていたけれど。

「これから」

 不意にドゥルーヴが声を発した。

「どこへ向かうんですか」

「私が元居たところへ」

 自分が発した声の生気のなさに、少し驚いた。さっきのは、随分、疲れた。

「相当、無理をしているようですね」

 ドゥルーヴもまた、疲れた声を発していた。けれど顔色はあまり変わっていなかった。

「無理をせずに居られたことのほうが少ないよ」

「そうでしょうか、ぼくにはそうは見えなかったですけど」

 減らず口を。攻略対象でなければ、殺してしまいたかった。

 上昇の速度は緩やかだった。プログラム通りだ。私の体質がどうなっているのか、具体的には判明していない以上、減圧症対策をしたほうが安全だ。上に向かうにつれて水が冷たくなっていくのが感じられて、ヘルメットモードを再度起動する。視界の端に周辺状況が表示された。真っ直ぐに上昇していると、気温は下がるばかりだ。気持ち程度の寒さ対策に、迷彩モードを暗黒色に塗り替える。

「もう聞いたっていいでしょう、あなたのそのスーツはなんなんです?」

「船外活動ユニットをベースに改造開発した多目的作業ユニット」

「つまり端的に言うとなんなんです?」

「宇宙服を改造した戦闘服だ」

 ドゥルーヴは、あまり驚いていないようだった。宇宙というものの存在も知っているらしい。やはりエルフは、地上の文明のことを知っている。

 上からの光がまぶしくなってきた。氷上まであとわずかというところになって、群れは動きを変えた。上昇から誘導へと。

 カリャードの海溝からそれほど遠くない場所に私の故郷はあった。凍った海の底から群れの影の動きで合図を送ると、直上の氷が道具によって破壊される。作られた小さな穴がまた凍っていかないうちにドゥルーヴを放り投げて、自らも上陸、いや上氷した。外気温でエルピスの服は凍り付いて、穴から這い上がるときの動きで砕け散った。

「急いで適温室へ送れ! 凍り付かれて死なれたら元も子もないぞ!」

 周囲で人間が騒がしく動いているのを感じる。私は排水機構を使ってスーツ内に満たされた海水を絞りだしていた。そしてその代わりに少しずつ空気を取り入れて、久々に気体による呼吸を味わおうとしていた。肺がすぐに適応してくれなくて、長いこと噎せる。

 うずくまって咳き込み続けていると、人影が差した。顔を見上げて、思わず息を止めた。けど動きを止めることはできなくて、また噎せてしまう。

「礼を示すのは落ち着いてからでいい」

 人影はそう語ったけど、そうは言っても一刻も早く回復しなくてはと気が急った。ようやく落ち着いてからすぐに姿勢を正して、ヘルメット越しになるが敬礼する。

「約束のものをお連れしました、大佐」

「ご苦労、レナータ・エドゥアルドヴィチ・ロギノヴァ少尉」

 ああ、これでやっと、家に帰れる。


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