鳥と唄う日々
フェーニャはきっと、そういう話題はあの場所でしろと言うだろうとわかっていたけど、言われたことがあまりにも突拍子がなくて、我慢の限界が来てしゃべってしまった。言ってみて余計に、その単語があまりに馴染まなくて、混乱してきた。
フェーニャは僕のほうを呆然と見つめると、身を起こして、僕のほうに寄ってきた。それから僕に抱き着いた。
「何を聞いてきたのか、小声で話して」
背中を撫でながらも、冷静な呟きが聞こえてきた。それに落ち着けられて少しずつ、僕は語ることにした。
エクレムさまは、フェーニャのことがエルフに伝わったとき、まことしやかな噂が立ったと言っていた。それは、フェーニャがドゥルーヴさまの子ではないかという噂だった。
ドゥルーヴさまはエルフでも随一の医学者らしい。その腕をもってすれば、フェーニャの記憶を任意にいじれてもおかしくないのではないか、という予想が立ったというのだ。本来エルフの妻となるエルピスはニュクスに下らなくてはならないが、なんらかの事情があってそれができないまま子を成して、殺すこともできずにそのまま育てていたのが、この前の隕石のときに偶然露見したのではないか、というような説らしい。
この考えは全体的に穴だらけな上になんの証拠もない想像だから、ドゥルーヴさまに直接聞きにいけた人はいないそうだった。ただ、ドゥルーヴさまなら、フェーニャの特異体質をエルピスに引き起こすこともできるだろうと思われていて、可能性の高い筋として見守られていたのだ。
そして、フェーニャがニュクスに降りれた手段も、おそらくはドゥルーヴさまが教えたものではないのかという予想だった。記憶が少し戻ってきて、自分のことを知りたくなったフェーニャが降りてきたのではないかという認識でまとまっていて、だからエルフたちは何も聞かなかったのだ。フェーニャがエルフに何をしようとも、それはエルフ側に責任のある事象なのだから、基本的には詰問のようなことはしないだろうということだった。
もちろんフェーニャはそんな存在じゃない。他の世界とかいうところから来た存在だ。でももしも、もしも本当にそんな子がいたらどうしよう。そんな気持ちが湧き出てきたら、混乱して、なんだか泣けてきてしまったのだ。
フェーニャは適度に、静かに相槌を打ちながら、僕の背中を撫でてくれた。その手つきは優しいけれど、きっと頭の中は優しさとかけ離れたことを考えているに違いなかった。
「そう、ありがとう、びっくりしたよね、私は大丈夫だから」
最後にそう語って、フェーニャは僕を寝床に導いた。話し切ってしまうと、疲れがどっと降りてきて、急激に眠くなってきた。
「しばらく寝てて。食事を取ってくるから」
一緒に行かなくていいのかと訊きたかったけど、そんなことよりも体力が限界だった。たぶん上手くやってくれるだろうと、都合のいいことを考えながら、視界は明るい闇に落ちた。
「服を作る仕事をすることにする」
帰ってきて起こされて、最初に語りだしたのはこの内容だった。
「どうして? スパイラの才能あるってカラも言ってたじゃん」
スパイラは球形の競技場で行う球技のことだ。カラはうちの村出身の数少ない専業選手で、前にフェーニャと軽く遊んでみたときに素質があると言ってくれてたのだ。スパイラは元々狩りのときに備えて三次元的な動きを覚えるための競技でもあるから、狩りでも十分に仕事扱いとしてやっていけるだろう。
「家に籠りながらできる仕事がやりたいの」
今は外向きの対応をしているから真意は読み取れなかった。けど、何かしら意味はあるのだろう。
小鳥の丸焼きを頭からかじっていると、フェーニャは僕の顔をじっと見つめて「そっちのほうこそ、明確な仕事って決めてるの?」と訊いてきた。
「基本的には狩りでやってくつもりだよ」
「あまり、得意そうな印象はないのだけど」
「いいんだよ、ここじゃその日の食事さえ獲れれば文句なんか言われないんだから」
少し愚痴っぽく言うと、そうなの、と淡泊に返された。そもそも狩りは単独で行うものじゃない。カリャードの外は危険だから、基本的には数人以上のチームで周囲の状況を見張りながら行うのだ。仕留めるのが得意でなくても状況の確認伝達係ができれば十分重宝される。たまに内容が慎重すぎたり大雑把すぎたりするやつもいるけど、人数がいれば情報の質は比べられるし、大した問題じゃなくなるから。
食べ終わって一息ついたら、なんだか暇な感じがしてきた。今日一日ぐらいは何もしなくても誰にも怒られないけど、フェーニャとの関係は周囲が思うようなものじゃないから、あんまり居心地がいい感じではなかった。どことなくそわそわして落ち着かないけど、かといって今日この日に元気な嫁さん一人ほっといて散歩したら絶対仲を疑われる。それはフェーニャとしても避けたいところだろう。じゃあフェーニャを連れてどこかに行くというのも、それはそれで騒がしくなりそうで面倒くさそうだった。
ぼんやりと虚空を見つめていたら、暇なのだということが露骨に伝わったのだろう。フェーニャが「明日から仕事をするための布の調達に行きたいの。付き合ってくれる?」と言い出した。それくらいなら気晴らしにもなるし、散歩するだけよりかはウザ絡みも減るだろう。二つ返事で引き受けて、普段着に着替えることにした。
「あ、そういえば」
そこで僕自身の役割に気が付いた。
「結び布着付けるの、一人でやるので大丈夫?」
「別に問題ないけど……なに、やりたいの?」
「や、その、一応訊いただけ」
エルピスの女性の結び布――胸元を隠す布は、既婚者と未婚者で結び付ける位置が違う。既婚の女性は背中の真ん中らへんに結び目が来るようにするのが基本だ。一応、その作業は面倒だろうから結婚相手がしてあげるものだということになっているけど、実際男の手を煩わせることのほうが面倒なので、自分で前で結んで後ろにずらしちゃう女性ばかりだと聞いていた。本当にそれをやり続けられるような仲の夫婦は、よっぽど仲がいい夫婦だけだ。
でもなー、最初の日くらいはあってもよかったんじゃないかなー。ちょっとやってみたかったのでもったいない気持ちがした。
上着を脱いで、さらし布を巻き直して、腰布の荷物を確認する。それからフェーニャのほうを見ると、準備ができたのが伝わったようで、竜皮の外へと向かって行った。
カリャードの近くには、布の養殖場がある。と言ってもたまに手入れをするくらいで、勝手に生えてくるのを拝借してるだけなんだけど。狩場側の地面に立って火山側に背を向け、左手のほうに向かうと、段々と植物のサイズが大きくなっていく。それに合わせて少しずつ上のほうに飛びながら進んでいくと、最終的には巨大な植物の森に辿り着くのだ。僅かな風の流れでゆらゆら揺れる幅広なツタを見極めて、自分が仕立てるのにふさわしい素材を見つけ出す。ツタは僕らの身の丈の何倍も大きく、幅も、腕一杯に広げてようやく収まるか収まらないかくらいの広さをしていた。
裁縫の仕事は結構幅が広い。布の調達をメインにして縫物自体はあまりやらない人もいれば、刺繍を入れることを主にやってる人もいるし、竜の皮や鳥の鱗を加工して使うことに楽しみを見いだしてる人もいる。でも一番多いのは、布の調達と裁縫、どっちもやる人だ。うちの母さんも裁縫で生きてる人だけど、だいたい現地で良い布を探してから思い付きで作ったほうが楽らしい。調達師から選びとるのは、婚姻服とか正装みたいに完成形のイメージがはっきりしてるときだけだそうだ。
森の中に適当に分け入って行くと、唐突にフェーニャが立ち止まった。慌てて行き過ぎないように体勢を整える。それから、下に降りて行かないようにひとかきして空に近づいた。ここにいる分にはフェーニャの体質は向いていていいなあと思った。
この森はとても豊かだ。巨大に育ったツタは定期的に枯れ落ちて、自重を支えきれなくなって流されて地面に落ちていく。脆くなったツタは鳥たちの絶好の食糧で、腐ったツタが積もる森の下層は鳥の楽園になっていた。腐敗臭のする砂煙の中で呼吸したくないのと、エルフが「あそこの鳥に手を出すのは緊急事態だけです」と言いつけてくるのとで、エルピスは普段森の下層には降りないことになっていた。
フェーニャはしばらくざっと見極めをしてから、こちらに話しかけてきた。ここはカリャードの外でも特殊な環境で、障害物や隠れ場所が多いから、声を上げるのもわりと気楽に行えるのだ。
「あれがちょうどよさそう。手伝って」
近くのツタを指さしてすぐに、フェーニャは飛んで行った。見失ったりしないように後を追いかける。フェーニャは目を付けたツタを上のほうから順にじろじろと眺めて、満足したらしい。僕に「上から切っていくから、曲がらないように支えてて」と頼んできた。
慣れれば一人でも大したことないらしい作業なのだが、フェーニャはまだそんなにやったこともないし、僕自身としてもただここで見守るだけでは具合が悪いので引き受けた。ツタの端を掴んで引っ張りつつ、フェーニャの作業を見ようと空を見上げる。意外と手捌きは慣れた感じのもので、的確に繊維の流れを読みながら滑るようにして布を切っていった。近くまで辿り着くと、フェーニャはこちらの腰元を確認して、はっとした。
「小刀が……」
僕の腰には、ヤリャクさまに割られてしまった小刀がまだ収まっていた。刃として洗練されてないけど、黒曜石の割れ目はそもそもに鋭いから、ないよりはあったほうがいいだろうと思ってそのまま着けていたのだ。
「ごめんなさい、今度私が調達してくるから」
「いやいいよ、気にしないで」
それでもフェーニャは少し気にした様子をしていたが、とりあえず目の前の作業を終わらせないとと思ったらしく、ツタの端から切れ目を入れて無事長方形に切り取った。風に揺らめいてゆっくりと離れていくのをフェーニャはつかみ取って、巻き上げていく。
「やっぱり駄目だね。アルルのお母さんみたいにスムーズにいかないや。刀が合わないのかと思ったんだけど」
「いやうちの母さんは数十年やってるはずだから、あれと比べることないよ」
加工する前の布は厚みがある。巻き上げて運びやすくしても荷物として巨大なので、持とうかと提案したけど「仕事にするなら慣れておかなきゃいけないから」と断られた。
そのまま森を抜けたので口を閉ざす。会話を再開する気にならなかったから、カリャードに入っても黙ったまま帰ることになった。最初の頃フェーニャは寡黙な性格で通ってたので、こういう距離感で外を歩くのは特に気にならない。荷物が大きくてバランスがとりづらいのだろう彼女はゆっくりとした速度で前に進んでいく。それに合わせてゆっくりと道を歩いていった。頭の中では、家に着いたら何をしようかということを呑気に考えていたのだけど、あんまり真面目に考えていなかったので、なんの案も浮かばないまま家についてしまった。
家の中に入るとフェーニャはせかせかと動き始めた。竜皮を閉めて、鍵を掛ける。それから布の端を引っ張って天井のほうに持っていった。どうも裁縫をする準備には見えないので、何をするのだろうと思いながらじっとしていると、視界に小鳥が入った。
「あれ? なんで家に?」
「そのままにしてて」
静かに言いつけられたので、触らずに放っておく。どうせ大したことはしないだろう。多少建材をかじられたところですぐ直せるし。
フェーニャは採ってきた布を壁に貼り付けて、端を軽く編み込んでいった。巨大な絵を飾るときみたいにも見えるけど、この布にはまだ何も描かれていないし、これから描くことを考えたとしても描きづらそうだ。それから天井に編まれている照明を、布の切れ端を作って包み込んだ。
「何してるの?」
「これからわかる」
越してきたばかりで片付いていない荷物を端のほうに纏めて避けて、それからフェーニャはベッドのほうに座った。視線を向けられたのでつられて僕も隣に座ると、鳥がフェーニャの近くに寄ってくる。
フェーニャは鳥に触れた。なぜか鳥は大人しくしていて、動かない。撫でるような叩くようなしぐさを何度かすると、唐突に鳥から強い光が照らし出された。その光は一方向にだけするどく伸びていて、ちょうどさっきフェーニャが布を張り付けたあたりに、大きな絵を描き出していた。
言葉も出ずに呆然としていると、フェーニャが「この光源をまともに見ちゃ駄目だからね、目が潰れるよ」と囁いてきた。思わず「ひぇっ」と声が出た。こんなに綺麗なのになんて恐ろしいものなんだ。
「こんなことができる鳥なんて聞いたことないんだけど、どこで見つけてきたの」
「鳥じゃないのよこれは」
空気を読んで、お互い囁き声で会話する。相変わらずフェーニャははっきりしたことを言ってくれない。鳥じゃないってどういうことなんだろう。
家の壁に描き出されたものをよくよく見ると、直線ばかりが使われている。なんだか珍しい感じの絵だ。もの凄くまっすぐな横線が一本、上のほうに描かれていて、そこから数本、二本組の縦線が下に伸びている。その下にまたもの凄くまっすぐな横線が一本入っていて、あとはいろんな大きさの四角が繋がったり組み合わさったりしていた。
「これは何?」
「エルフの住処を横から表したもの」
びっくりした。今朝に行ったばかりなのに、いやそれ以前にフェーニャは隅々まで探検したわけじゃないはずなのに、こんなものどうやって手に入れたんだろう。
図の細かさよりもフェーニャの得体の知れなさに驚いて顔を眺めていると、フェーニャはまた鳥を触った。すると鳥からの光の加減が変わったので図のほうに目を向ける。今度は向きを変えてエルフの住処を表したようだった。
僕も馬鹿じゃない。フェーニャがこういうものを確認することがどういうことなのかはわかっている。彼女はもう、盗むものを決めたのだ。
別れは近い。フェーニャはまだ隣にいるのに、なぜだか胸の奥が少し痛んだ。
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