エルフの住処
殺るしかないと思った。腰ひもに着けておいた強化繊維に手をかけて、一気に飛びかかる。狙いは首、一撃かあるいは三モーションのうちに絞め落とす。
アルルの腕を振りほどいて、崖を駆け上る。勢いをつけて蹴って、女の背に回り込んだ。そのついでに繊維を首の前に押し当てて、足が地面に着地した瞬間に一気に自分のほうへ引き寄せる。
「え、なに?」
嘘だろ、全然効いてない! エルフの肌は硬いとは聞いていたが、生物の持てる硬さか!? 魚の鱗だって甲殻類の殻だってここまで硬いことはないだろう。
次の手を考えながら締め上げてるうちに女は「やめなよ、こんなの効かないから」と繊維に手を掛けた。そして両手で引きちぎる。
「嘘……」
ありえない。人間のできることじゃない。ハルピュイアよりもよっぽど化け物じみている。
潜在能力があまりにも未知過ぎて、一旦距離を取った。まさかここまで防御力が高いとは……アルルがエルフのことをあくまでも人間扱いしていたので想定を見誤った。ここでの常識をもう少し自分の目で見定めるべきだった。
じりじりと距離を取りながら、女を観察する。女はこちらの様子を伺っているようだった。あまりに高い肉体強度の自負があるのか、恐れだとかそういうものは一切見せていなかった。
「なんでそんな殺意満々なのかわかんないけどさー、もうちょっと穏やかに話し合わない?」
一度殺意を見せているのにそんなことできるわけがない。私が殺気を持って襲い掛かったことを知っている人間は殺すしかないのだから。
緊張しながら相手を睨んでいると、女は悠々と近づいてきた。それから、不意に踏み込んだ。速い。合わせて避けたつもりがかわしきれず、右腕を掴まれた。あまりの握力に皮膚が破れ、血が溢れる。熱さが腕に響き渡った。
「えっ、嘘嘘嘘ごめんね!? そんなつもりはなくて……え、あんた皮膚柔らかすぎない!? 成人してるよね!? ちゃんと薬食べてる!?」
うるさい。さわがしい。次の一手を考えながら激しく睨みつけていると、女の後ろに影が見えた。バキ、という音がしてナイフが割れる音がする。
「あーそういやもう一人いたね」
女は私の手を離すとアルルのほうを向いて、また猛烈な速度で迫った。対応しきれずに簡単に腕を掴まれて、体を放り投げられる。崖のほうに叩きつけられて低い声で呻いたのが聞こえた。
「まあそういうわけだからさあ、あんたらにはあたしに傷一つつけらんないよ、物理的に」
二人の人間に殺意を向けられたのに、平然とした態度で女は語りかけてきた。
「だから話し合おうよ。正直暇してたんだよね。まさかほんとに侵入者警戒の仕事が役立つ日が来るとか思ってなかったからさー」
女は自らべらべらと立場を語り始めた。そうか、エルフにはそういう仕事があるのか。エルピスにもなくはなかったけど、どちらかというと天気を読むことのほうが役割として強かったな。ここじゃ雨という概念はないけど、火山灰の飛んでくる日という天気がある。
「というかほんとごめんね、血を流させるつもりはなかったんだよ。まさかこんなに肌の柔い子が来るなんて思ってなくって……医者に診せるからちょっと事情話してくんないかな、じゃないとあたし以外の人が話聞きに来ると思うし……大事にはしたくなさそうな感じっぽいよね?」
少し考えていた。他のエルフに関わられるくらいなら、適当な話をしてこいつを丸め込むほうがまだマシなように思える。
「君と、交渉がしたい」
あくまで堂々と話しかけた。弱気なところを見せたら余計に付け込まれる。何か意図でもしない限り、交渉は凛とした姿勢で挑むのが原則だ。
「交渉って?」
「私が君に襲い掛かったということを、伏せてほしい」
「それはちょっと難しいなー」
セリフの響きは軽かった。この女、あまり使命感とかは強くなさそうだ。ならやりようはある。
腕の血がどくどくというのが感じられて、熱さが痛みに変わってきた。思考をするのに少しうざったい。
「代わりに私にできることを提供しよう」
「提供って?」
アルルがこちらのほうを見たのがなんとなく伝わってきた。不思議だ。光はほぼないと言っていいのに、波の揺らめきなのか、はたまた何か私の知りえない身体能力の拡張なのか。ここに居るとときどき、視覚に頼らない方法でわかったのが感じられることがある。
「エルフはエルピスのことが好きなんだろう?」
「まあ、親愛なる同胞だしね」
「そういうのじゃなく」
女は一瞬きょとんとした顔をした。それから、顔を輝かせた。
「ぎゅってしていいの!?」
「まあ、殺したり壊したりしない限りでは……」
女はすぐさま駆け寄ってきて、恐る恐るに抱きしめてきた。本当に言った通りだ。まさかアルルの言ってたことが役に立つとは。エルフは柔らかいものが好きらしく、結果的にエルピスへのスキンシップ過多になることがあると教えてくれてたのだ。凄く疑わしかったのだが、まさかこんなに効き目があるとは。
「ああー生き返る~~、ここじゃ柔らかい子って全然いないんだよね、子供とか滅多に生まれないし……」
どういうことだろう、少し引っかかる。甲殻類みたいに、子供はかなり柔らかいのだろうか。肉体強度の高さと引き換えに、生殖能力が低くて数が少ないんだろうか。
女は少しの間私を抱きしめたあと、不意に離れて「そんじゃ医者に診せにいこっか! そのあとまたぎゅってさせて!」と元気よく依頼してきた。殺意に対する処置としてはあまりにも楽観的なのだが、こちらとしては都合が良いのでこのままでいこう。あるいはこいつが演技派で、いいとこだけ取っといて他のやつに情報収集を任せるのかもしれないけど。
「そっちの子もついてきて! 加減はしたけど一応診てもらったほうが良いでしょ」
女はアルルのほうを見てそう叫んだ。アルルはあえてなのかわからないが今の今までじっとしていた。恐る恐るに身体を動かすと、こちらへ寄ってくる。それから小声で問いかけてきた。
「フェーニャ、大丈夫?」
腕のことを訊いたのか状況のことを訊いたのかわからなかったので適当に返す。
「これから考える」
私がアルルと合流できたのを見ると、女はゆっくりと進み始めた。
どの程度の距離を歩くのかはわからないけど、念のためでもう一度アルルと腕を組む。エルフの身体能力を見せつけられてから、いかに自分が弱いのかを思い知らされてしまった。弱い存在はひとまず、集まっていたほうが望ましい。
弱いと言えば、アルルのことがよくわからなかった。私がやって駄目だったんだからアルルが出ても駄目に決まっていたのに、なぜあそこで襲い掛かったんだろう。ハルピュイアのときは冷静さと勇敢さのあるやつだとも思えたのだけど、あの状況での行動は勇敢さと評価しづらかった。やっぱりこいつのことはよくわからない。まあ、わかりたいわけでもないけど。
前方を歩く女が唐突に立ち止まった。地面に伏せって、独特なリズムでノックする。これは、モールス信号のSOSのリズムに似ているな。少しするとガチャリという音がして、円形の蓋が開いた。
「どうしたヤリャク」
男の声だ。
「お客さん。ちょっと加減を間違えて怪我させちゃったんだ。エルピスだよ、手当てしてほしいんだけど」
男はびっくりして飛びあがってこちらの面子を確認した。死人でも見たみたいな顔をしている。
「男と女か」
「そう、早くドゥルーヴを呼んで。第三治療室空いてるよね? 連れてく」
第三、ということは治療室がたくさんある環境なのか。
「アルル、エルフの全人口って」
「だいたい百人くらいって聞いてるよ」
前に聞いたことを小声で確認した。微妙だな。最大が三つなら多いというほどでもないかもしれないが。それ以上あるなら、ここの社会にしては多いほうに感じられる。治療室が多いのはなぜなのかを考えないと。医者や看護師が多いと、この後の計画にも関わってくるだろう。
「ヤリャク、お前は持ち場に戻れ」
「あたしその子に怪我させちゃったし、最後までみときたいんだけど」
嘘だなあ。
「そうか、わかった。持ち場にはチェンシーを向かわせる」
男はものわかりが良いようで、ヤリャクの言い分を素直に受け入れた。それからこっちのほうを見て「結構酷いな、早歩きで行くから無理せずついてきてくれ」と告げ、また蓋の下に潜っていった。
「ついてきて。一応梯子もあるから、上手く降りられなさそうだったら掴んでっていいよ」
そう言ってヤリャクも潜っていった。地下に建物がある構造なのか。ともかく腕の痛みがだんだん激しくなってきたので、任務のこととは別にさっさと治療を受けたい気持ちだ。未知の構造物には多少不気味さも感じたが、躊躇わずについていく。
蓋の下は幅が人間一人分(といってもここでいうエルフとエルピスだが)しか降りられなさそうな構造だったので、アルルと腕を組んでたのを一旦ほどいた。チューブ状の通路をしばらく、真っ直ぐに降りると、急に開けた場所に出た。アルルが上から降りてくるのを認めると、もう一度腕を組みにいく。周囲の様子は、幅の広い廊下という感じだ。男は廊下に降りてすぐのところにあった受話器でなにやら話をしているようだった。おそらく医者かチェンシーか、あるいはその人たちと繋げられる相手と連絡を取っているのだろう。
「もうちょっとすると明るくなるから覚悟しといてね」
ヤリャクにそう言われてからまた、男を先頭にして歩き始めた。間もなく、エリスに居たときのような明るさが前方に現れ始める。まるで洞窟から外に出たみたいな感じだ。
「ここは本当に地の底なんですか……?」
外向きの性格風に多少の怯えを含ませて問いかけると、男は「そうだよ、我々も別に好んで地下に住んでるわけじゃないからね、なるべく地上の環境を再現してるんだ」と丁寧に説明してくれた。これだけの技術力があるのに住む場所を選べないとはどういうことだろう。何か、エルフがここにいなきゃいけない理由でもあるのだろうか。
呼吸が少し荒くなってきた。痛みが全身に響いてきた気がする。出血は、多分大丈夫だと思うが、つらいな。体を動かすのが少し億劫になってきて、動きが鈍り始めた。するとアルルがいきなり私を抱え上げた。
少しびっくりしたが、かと言って言葉も出なかったのでじっとしている。礼を言うのもなんだか変な感じがしたのだ。というか思ったより血が出ていたみたいで、喋るのも面倒だった。
アルルは険しい顔をしていた。私の任務のことを考えているのか、私の体のことを気遣ってくれてるのか、あるいはアルル自身が降りたいと思った目的のことを考えているのか、それはわからないけど、状況に対して何か真剣に考えているのだろうということは見てとれて、少し安心する。この状況で戦っているのは私だけではないのだ。
エルフの住処は、不可解さを感じさせるほどに地上的だった。ここに住む存在は皆飛べるんだから、上下移動の空間はチューブで済ませば省スペースだろうにわざわざ階段が備え付けられている。廊下には窓らしき構造があり、そこからは太陽光を模した明かりが差し込んでいた。今は朝を表しているようで、光の角度は低く、薄暗い。奇妙な感じだ。エルピスには「日が高い」という概念がなかったのに。
何度か角を曲がり進むと、数か国語で第三治療室と書かれたプレートのある部屋に辿り着いた。一瞬だったから詳しくはわからなかったが、中国語のいくつかの形と、英語で記されていたような気がする。部屋の中には長机が一つと椅子が数個、その手前に医者らしき男が一人いて、ベッドが端のほうに複数、カーテンで仕切れるようにして置いてあった。
「ドゥルーヴ! わざわざありがとうね」
「いや、こう言うのもなんだが、久々に誰かの役に立てるのは嬉しいよ。準備はしてきたから、診せてくれ、大丈夫、痛みのないようにやるからね」
ヤリャクへの対応もそこそこに、ドゥルーヴは私のほうに駆け寄ってきた。まあ妥当だろう。そこらじゅうの空気に血を漂わせているのだから。
「きみがこの子の伴侶か、そこのベッドに横にさせてくれると助かるよ」
ドゥルーヴはアルルのほうを見て真摯に依頼した。アルルは言われた通り、手近なベッドのほうへ寄って行って、そっと私の体を押し付ける。それを確認するやいなや、ドゥルーヴはガーゼらしきものを私の腕に巻き付けた。消毒か麻酔薬だろうか。作業の様子を観察していると、唐突に扉が開く音がした。
「アルル!」
新たに男が入ってきた。周囲を見ると、最初に案内してくれた男はいつの間にか去っていたようだった。ひょっとしたらちゃんと一礼して去ったのに、余裕がなくて気が付けなかっただけかもしれない。
「エクレムさま、どうしたんですか」
「どうしたのじゃないですよ、やってきたエルピスの特徴を聞いて君だと思ってかけつけたんです! いやあ、ここで会えるなんて思ってもみなかった! 嬉しいなあ!」
浅黒い肌の白人顔の男は興奮した様子で、ことを早口で語りながらもアルルにハグをしに行った。こちらからの角度じゃアルルの顔が見えないが、多分あまりいい気分ではないだろう。さっき私もやられたからわかるが、エルフの肌は硬すぎて居心地が悪かった。
「ちょっと彼女のことで君に話したいことがあるんですけど。別室で。アルルのことを借りてもいいですか?」
後半は私のほうを見て大きめの声で呼びかけていた。声を出す元気もないのでゆっくりと頷くと「ありがとう!」と元気よく返事をして、アルルの腕を引っ張ってエクレムは去っていった。
「もう少ししたら痛みがなくなるはずなので、そうしたら傷を縫います。そのときは腕のほうを見ないほうが良いでしょう」
いきなり語られたので、不安げな顔をしてドゥルーヴを見上げる。年ごろの娘の反応するところとして意図は伝わったらしく「大丈夫です。傷跡は、完全にとは言いませんが、綺麗にやるつもりなので。目立ちませんよ」と優しく言い聞かされた。
まもなく腕の感覚はなくなって、針と糸を使う段階に入った。見ないほうが良いとは言われたが、気になって見てしまうという感じに腕のほうをちらちらと確認する。別にこれくらいはどってことないのだが、外向きの性格と、ここの医学の技術力の確認を合わせて考えると、これくらいの反応がギリギリのラインだろう。ドゥルーヴの手つきは恐ろしく速く、繊細だった。あまりにも鮮やかな手捌きは、麻酔なんかなくたって問題はなかったんじゃないかと思わせるほどだった。
「ドゥルーヴさまは、普段からこのようなことをなさってるのですか?」
作業から目を背けるためというていで、それとなく情報収集をしかける。
「普段はあまりこういうことはしませんね。なにぶんエルフたちは頑丈ですし、エルピスたちももっと気軽に呼んでくれてもいいものを、あんまり呼んでくれないんですよ」
それはエルフの到着があまり信頼されてないせいな気がするが。そのことは黙りながら、次の質問を考えた。
「それでは普段は何をしているのですか?」
「そうですね、あなたたちエルピスに配る薬の研究だとか、子の出来にくいエルピスへの儀式とかですね」
どうやら担当は外科だけではないらしい。この人は不妊治療まで担当しているのか。エルピスへの治療なら何でもしそうな雰囲気のようだ。
「こういうことをするのは、ドゥルーヴさまだけなのですか?」
皮膚の角度の都合があったらしく、腕の向きを変えられた。緊張感のある仕事をしているだろうに、普通に応答ができているのは凄いことだ。安心させるためとはいえ、他に会話をされるだけでも鬱陶しそうなものなのに。
「そうですね、知識だけなら他にも研究している者はいますが、実践的にこうして行うのはぼくくらいかもしれません」
なら長期戦になった場合に手当ての速度はあまり心配しなくていいだろう。こいつさえ拉致してしまえば、まともに対応できる要因はなくなる。
あまり込み入ったことを訊いて怪しまれるのも困るので、具体的な分野の内容などは訊き出さなかったが、ターゲットは確定した。この手捌きと、分野に問わずあるだろう医学知識。こいつさえ連れてこれれば、私の任務は完了する。
手術が終わってからしばらく、ベッドに横になって休んでいると、アルルが戻ってきた。少し硬い顔つきをしているが、今訊き出すのも疲れそうなので、後にしよう。意外とずっと落ち着きを保って見守っていたヤリャクは、帰るときになってから一度だけぎゅっとハグをしてきた。
「また会ったときぎゅってさせてね!」
なんか、調子の狂う相手だ。でもこの分だと本当にこの程度のことで黙っていてくれそうなので良しとしよう。
送迎はチェンシーと呼ばれる女と、エクレムがやってくれることになった。見送りにはドゥルーヴもやってきて「傷の様子が見たいから、二週間後、診に行きましょう。それまでに何かあったら村長に連絡させてください」と指示された。
不思議だ。なぜ皆、私とアルルが降りてきた方法や目的に言及しないのだろう。わかりきっているからなのか、関心がないからなのか。アルルが聞いたことで、それがわかりそうな気がした。
新居に戻ったのは昼過ぎ頃だった。お腹は空いていたけれど、すぐに食事場に向かう気力が出なくてベッドに寝転んだ。アルルのほうも相当疲れてるだろうからベッドに来るかと思っていたが、私のほうを見て厳しい顔をしているだけだった。
「どうしたの?」
外向き寄りの反応をして訊き出すと、アルルは大きく息を吸ってから、こう答えた。
「エルフは、君のことをハーフエルフじゃないかと言っていた」
予想もしなかった単語に、思わず目を見開いた。
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