暗闇の中へ
フェーニャは部屋の中を見ても淡泊な反応だった。僕はその、自分でも意外だったのだけど、かなり気まずかった。
型どおりのことだ。別に何もしなくていい。彼女の様子じゃたぶん、一緒に寝ることになっても気にしないでいてくれるだろう。ただ僕のほうが気にしないでいられなかった。
フェーニャはとても綺麗だった。そしてこの状況になってみると、とても誘惑的だった。フェーニャは衣装の好みとかに頓着しなさそうだし、だとするとこの花嫁衣裳のセンスはニカのものだろう。ニカのときと近い感じのところがあったし、凄く張り切って見せびらかしに行ってたから。
披露宴のときは特に困ることもなかったし、むしろ凄く美人に仕上げてくれてありがたいなと思っていたくらいなのに、この状況になってみるとなんだか意識しすぎて居づらかった。こんな精神状態で一夜を明かさなきゃならないのか!
どぎまぎしていたらフェーニャがいきなり飾り布をほどき出したので「うわあ!」と叫んでしまった。
「えっなに叫ぶほどのこと?」
「この状況で無言で脱ぎださないで! 何か説明して!」
そういうことなのかと思ってもの凄く動揺するじゃないか! 慌てて後ろを向いたらフェーニャが笑った声が聞こえてきた。えっ笑った?
「ひょっとしてまたからかってた?」
振り向いて問いかけるとフェーニャは口元を押さえて震え気味に笑っていた。
「そんなつもりは、なかったんだけど……」
どうやらツボだったのかまだ声が震えている。凄く恥ずかしい。やめてくれ。人生で一番恥ずかしいかもしれない。偽装結婚でよかった。これほんとのやつだったら一生嫁さんにからかわれるやつだ。
あんまり笑われるのが悲しくなって、そしたら疲れがどっと押し寄せてきた。どうせめいっぱい存在を主張してくるのだし、ベッドに寄っていって腰かける。
まだ笑ってる。普段あんまり笑わない分をやってるみたいに長かった。僕が超恥ずかしいと思ってるから延々としているように感じるだけかもしれない。長い長い溜息を吐いた。とりあえず緊張は抜けたかも。
「そんなに笑わないでよ……」
「ごめん」
それから深呼吸をして、ようやっと収まったらしい。彼女の顔を見ると、どことなく晴れやかな顔をしていた。
「全く予想外の展開だったから拍子抜けしちゃって。そしたらなんか余計に面白くなっちゃって」
「僕は全然面白くないよ」
顔を背けて愚痴っぽくつぶやくと、フェーニャは隣に座ってきて「ごめんなさい、悪気はなかったの」ともう一度謝ってきた。あんまり根に持つのも大人げないので「わかったよ」と短く答えた。
「ただいきなり脱いだのはほんとにびっくりしたんだよ」
フェーニャに顔を向けたら、思ったより距離が近くて一瞬言葉が途切れた。
「行動に迷いがなさすぎて。なんのつもりだったの?」
それとなく目線を逸らしつつ訊き出した。彼女のことだからちゃんと理由があるに違いないのだし、聞いておいたほうが僕のほうも安心する。というか状況に納得したかった。
質問をすると、フェーニャの表情から晴れやかさが消えた。そして少しの間、目を伏せた。僕に言えないことを考えているんだろう。別に構わないけど、この状況でその仕草をされるのは少し寂しいような気持ちがした。
「今夜ニュクスに降りる」
「え」
低くて小さな声だった。待って聞いてない。
「どうして。今日はもう疲れてるはずじゃ」
「今夜私のことを尾けようとする人間はまずもっていないはずだから。今日がチャンスなんだよ」
そう言って立ち上がって背を向けた。
確かに今日はみんな僕らのことをほっといてくれるだろうけど、どうしても今日じゃないと駄目というほどなのか。でもフェーニャ曰く「ここにはプライベートという概念がないよな」とのことだし、彼女的な基準では普段の状況じゃ問題があるのかもしれない。
「普段着に着替える。少し休んだら降りるから……」
後半は小さな声だった。深く息を吐いたのが聞こえる。溜息のようにも感じた。それから彼女は少しはっきりとした声でセリフを続けた。今度は気張った声だった。
「君はここで寝てていいよ。情報収集をするだけだから」
「無茶だ」
できるわけがない。一人で降りられるわけがない。ましてやフェーニャは意識しなくても飛んでしまう体質なのに、そんな体をニュクスまで運ぼうとするなんて、どんな負荷を掛けるか想像もつかなかった。
僕が止めようとしたのにも関わらずフェーニャは着替え始めたので、視線を背けた。足元のほうに綺麗な布が積みあがっていく。一枚また一枚と薄布が落ちて、装飾に使われた貝殻の欠片がぶつかり合う硬質な音がした。
フェーニャがニュクスに降りることについて、降りる方法への不安もあったけど、何よりもハルピュイアのことが恐ろしかった。最近はハルピュイアたちの動きがおかしい。昔からハルピュイアはエルフとエルピス両方のことが気にくわないようだったけど、ここのところはやけにエルピスのほうにぴりぴりしている感じなのだ。おそらくあのとき取り逃したハルピュイアと関係があるんだろう。以前のハルピュイアは、自分たちをはるかに凌ぐ能力を持つエルフが憎たらしくて、そのエルフが肩入れするエルピスのことを面白くない風に思ってる感じだったけど、最近だとむしろエルピスに気が立ってて、エルフのことはあんまり関心がない感じに見える。そんな状況でイーリスを通るなんて、狙い撃ちにされて嬲り殺されるか、拉致られていいように扱われるかの二択しか考えられない。仮にも自分のお嫁さんをそんな状況に送り込むとか絶対できない。
「絶対駄目だよ、その、酷い目に遭うに決まってる」
直接口にするのにためらって途中でぼかしたけど、フェーニャはわかってるに違いなかった。少しの間を置いて弾き出された声は、鋭くて怖い響きを含んでいた。
「そんなのわかってて来てるんだよ」
あのとき、僕の知らない言葉を使ったときよりもずっと、彼女が遠くに居る気がして、苦しくなった。彼女はどうしてそれでも降りようとするのだろう。そんなに任務というものは大事なのか。
フェーニャのことがよくわからなくて、憂鬱な気持ちが降りてきた。こうなってくると寝具の周りにある華やかな飾りすら、薄暗い照明に作られる影の不気味さのためにあるように見えてくる。何事も気分次第なのだとはよく聞くけど、こんな、人生で一番幸せだろうとされる日にそれを思い知らされるなんて考えてもいなかった。
暗い気持ちで床を眺めていると、着替え終わったらしいフェーニャが部屋の端に向かっていった。雑にまとめられている荷物の中から何かを探しているようだ。たぶん最初にフェーニャが持ってきた鞄の中を確認しているんだろう。こういうことも想定した道具が入っているんじゃないかと思った。腕輪っぽいものをいじったら武器になったのにびっくりして、他のやつはあまり調べてないのだけど。
ぼんやりとしていた。僕もなんかほんとに疲れてきたな。とりあえず装身具だけでも外そう。ネックレスを外して適当に床に放り投げる。ちょうどフェーニャの脱ぎ捨てた薄布の近くに落ちて、小さな音がした。装飾に施されたガーネットの赤色は薄闇に溶けて、黒色に近い輝きを見せている。普段首に物を掛けたりしないから、外したとき凄く開放感があった。
ハルピュイアを退いた証として、血を思わせる赤の石を着飾ったけど、あまり誇らしい気はしていなかった。争いを嫌うエルピスがこんな証貰ったところであまり嬉しくないし、そもそもこれはフェーニャが授かるべき称号だ。そりゃ、結果的には僕が気を引いていたからフェーニャの攻撃の隙を与えたことにはなったけど、ほとんどやれたことなんてなかったのに。
足をベッドの端に掛けて、足輪を引っ張った。それから腕輪も外してこれも適当に床に投げる。そのあたりで面倒くさくなってとりあえず横になった。フェーニャのことを考えたくなくて、薄布のあるほうから背を向ける。おかしいな。やっぱ関係性を結ばれると相手のことを考えるようになっちゃうのかな。いつもならこんなに人のこと考えないのに。
フェーニャがベッドのほうに来た気配がした。声をかける気もしなくてそのままにしていたら僕の隣に横になったようで、僕に触れることはなかったけど存在の熱が伝わってきた。生きている。
「ね」
なんとなく居心地が悪いので小さく声をかけた。
「どうしても一人で行くの?」
「これ以上君に迷惑かけられないだろう」
そういうことじゃないんだけど。でもじゃあどういうことなのかを上手くしゃべれる気がしなかった。
自分が何を考えているのかを捕まえようとして思考に耽っていたら、フェーニャの腕がぶつかってどきりとした。熱い。フェーニャは他のエルピスよりも体温が高くて肌が柔らかいのだけど、そういう事実よりもシチュエーションにどぎまぎしていた。これは本当にフェーニャの熱なのか。それとも僕がそう思っているだけなのか。
「アルルにはいろいろと協力してもらってることだし」
不意に何かを語り始めた。振り返ったら余計緊張しそうだからそのまま聞いている。
「相手をしてもいいよ」
思考が止まって表情が固まった。あいてをしてもいい、とは。
「えっ」
思わず身を起こした。嘘でしょ意味わかって言ってるよな? フェーニャはこちらのほうを見て横になっていた。体は浮きかけていたけど、まだそこまで高さもないのでこちらを見上げている。
「なんで」
「なんでって、今言ったじゃん」
それはそうだけど、そうだけど納得がいってないから訊いているわけで。明らかに困惑しているとフェーニャは柔らかに笑って言葉を続けた。
「協力の礼はあったっていいでしょう。私自身、アルルのことは気に入ってるしね」
言葉が出なかった。ど、どうしよう。そうなるとは思ってなかった。たぶん今は道具とかここにはないだろうしこのままだとリスクが。親になるつもりなんて全くないし、かといってこの状況で断れるわけもないし、ど、どうしよう。
からかってる、ところもあるようだけど、でも彼女にその気があること自体は本当らしく見えた。これが僕を余計に困惑させた。女性からの誘いを、ましてや外向きには妻となっている人からの要求を断るとかできるわけがない。
もの凄く困っていると、フェーニャは笑みを消して問いかけてきた。
「別にアルルにその気がないならしなくてもいいんだけど?」
そういうことじゃないんだよ!
どうやって言葉を繋げようか必死に考えていた。目線は泳ぎまくっていたけど、視界の隅でフェーニャがベッドの端に座り直したのは把握できた。
「ああ、子供のことなら、私は出来ない体質だから気にしなくていいよ」
「は?」
どういうことだ? 思わずフェーニャの顔を見た。告げられた情報が理解できなくて戸惑っていると、フェーニャはこちらを見ずに言葉を続けた。
「子宮がないの。子供を作る器官を摘出してるから、子供を作れない」
びっくりし過ぎて、顔を眺め続けてしまった。
「え、じゃあなんのために生きてるの?」
「ここでエルフの技術を持ち帰るため」
迷いのない答えだった。けどフェーニャの表情からは、ほんの少し虚ろな感じが伝わってきた。
「私は数年から長くても十年くらいの任務用に訓練されてるから。出先で子供が出来ると愛着とか湧きかねないし、数年の任務で活動に支障が生じる期間が出来ると面倒だから、そうなってるんだよ。任務期間中に堕胎薬を使うのは体に負担がかかるしね。数十年とかもっと長いスパンの任務の人ならそうはしないだろうけど」
説明が加えられたけど上手く呑み込めない。僕だってそりゃ親になりたくないとは思っているけど、そのうちに周りに逆らうのが面倒になって落ち着くとこに落ち着くんだろうという気はしていたからだ。本当にそういう選択肢を棄てるということがどういうことなのか、想像できていなかった。
「フェーニャはそれでよかったの……?」
精悍さの中に僅かな虚ろさを含む顔をする彼女に問いかける。
「いいんだ。国に仕えることが私の喜びだから」
顔つきには笑みが現れたけど、さっきからの空虚さは消えていなかった。
言い訳だ。彼女自身を騙すための言い訳だ。いくらはっきりした声で語られようと、これだけ長い時間一緒に居れば多少はわかるところがある。
彼女が持つ背景の中に気味悪さを感じてしまって、正直もう相手をするとかそういう感じじゃなくなってしまった。顔を眺めるのを止めて、もう一度横になる。天井を見上げてから、目を閉じた。
「相手はしなくていいよ。その代わりじゃないけど、僕も一緒にニュクスに行かせて」
駄目と言われるかな。ほんの少しだけ待っていたら、小さな声で「そう、わかった」と言ったのが聞こえてきた。意外に思ったけど、もうこれ以上はあまり何かを訊く気分にもなれなかった。
目を閉じてから、今日のことを思い出していた。昼間オティエノさまが言ってたことが頭に浮かんでくる。僕らとエルフとは同じ。なんの差もありはしない。
昔から気になっていたことがあった。なぜエルフはエルピスにだけ肩入れするのかということだ。エリスに上がってくるようなエルフはみんな、有能な人が好きだけど、狩りの有能さで言ったらハルピュイアのほうが断然上手い。身体能力の高さで言ったらハルピュイアのほうがエルピスよりもずっとずっと上だ。なのになぜハルピュイアに対する扱いは同じじゃないんだろう。
姿が違うからなのか? それじゃ納得がいかない。エルフはやたら高尚な考えを言ってくる存在なのだ。たとえ手足の二、三本欠けた子供が生まれようと、同じ人間なのだということを滔々と説いてくるようなやつらなのに、多少姿が違うくらいで扱いを変えるようなことはしない気がする。
今まではそのことについて調べようなんて気は起きなかったけど、フェーニャと一緒にいたら、何か知れそうな気がしてきた。足手纏いにしかならないようだったら容赦なく駄目だと言ってきそうだし、そうじゃなかったってことは僕でも役に立てることがあるんだろう。僕は僕なりに探りたいと思った。エルフが知っているであろう秘密を。
「起きろ。時間だ」
いつの間にか眠っていたらしかった。身を起こしてみると、僕の隣のところがやけに温かい。流れでフェーニャのほうを見ると「私は一人じゃベッドで横になれないから腕を貸してもらったよ」と返された。
ええとつまり……寝てる間腕にしがみつかれてたってことか。なんだちょっと可愛いじゃないか。少し気分がよくなって笑いが漏れると「さっさと準備しろ」と小声で怒られた。言われた通りにベッドから降りて、出かける準備をする。
「今って何時?」
「夜明けより少し前くらいだ。私は夜闇じゃ目が効かないから、着いたとき朝に差し掛かってるくらいが好ましい。まあそれでもあまり光は届かないだろうが……」
言われてみて気が付いたけど、ニュクスはいったいどのくらい下にあるんだろう。行こうと思ったことがなかったから真面目に考えたことがなかった。彼女はその辺もわかってて行動しているように見えるけど、どうやって調べたんだろうか。
「僕が持ってくのは日常用の小刀くらいでいい? もし見つかったときあんまり戦意の見える格好だとまずいと思うんだよね。その代わり君の荷物とか持つけど」
軽く体をひねって寝起きの筋肉をほぐす。フェーニャは僕の言ったことに賛同したらしく「これを持て」と小さめな鞄を差し出してきた。持ってみるとがちゃがちゃとした感じがして、小さなものが多数入ってるのが伝わってきた。
「何これ」
「道具」
それはまあ、なんとなくわかるけど。求めてるのはそういう説明じゃないということはわかってるらしかったけど、フェーニャはそれ以上何も語らずに外に出ていってしまった。
「待ってどこ行くの!」
小声で呼び止めつつ追いかける。
「それはまだ言えない」
「言えないことだらけだね……」
仕方がないので黙ってついていった。あんまり騒いで誰かを起こしてしまうのもまずい。フェーニャは黙々と進んで、火山側の地面に辿り着いた。それからそのまま、素早く崖を辿ってカリャードから遠ざかっていく。たぶん人に見られたくないんだろう。意図はなんとなく想像がついたので、寒くなっていく中も文句を言わずに飛んで行った。フェーニャは普段飛んでいるし、カリャードの外なら歩くよりも飛ぶほうが安全だ。それにフェーニャの速度には飛ぶことでしかついていけない。
外は明るくなりかけていた。着いた頃に朝がって言ってたけど大丈夫なのかな。きっと考えがあるんだと思ってこれもなにも言わずにいたら、唐突にフェーニャが立ち止まった。目の前には大きな岩が転がっている。崖の端に引っかかっている感じになっていて、今にも落ちそうに見えた。
「鞄貸して」
大人しく差し出すと、中から何か棒状のものを取り出して、フェーニャは岩の下のほうに潜り込んだ。危うい気持ちになって思わずついていくと、岩の中は空洞になっていた。
「何これ……?」
「装置」
起きてからずっと、端的なことしか言ってくれない。フェーニャなりに緊張してるのだろう。あるいは僕とあまり喋りたくないのかもしれない。昨日変な空気になっちゃったしな。
フェーニャは何かを確認しているようだった。調理台の調節をするときと似たような空気感だ。具体的に何をしているのかはわからないけど、事は滞りなく進んだらしく、小さく「よし」と呟いたのが聞こえてきた。渡した鞄は岩の中のどこかに置いてきたらしく、外に出てきたフェーニャは手ぶらに見えた。腰飾りは普段より多いように見えるから、何かそこに、たぶん武器みたいなものを持っているんだろう。きっと。一見する分にはわからないけど。
フェーニャはこちらのほうをみると「上着、着たままなのな」と呟いた。
「ああこれ、もし見つかったときに、一応謁見を想定した服装ってことにしといたほうが面倒がないと思って」
「私も正装で来れば良かったかもな」
「フェーニャはまだ正装が用意されてないし、大丈夫だと思うよ」
そうか、とつぶやいてから、フェーニャは腰飾りに手を掛けた。棒状のものが引っかかっていたのを取り出すと、それを口に当てる。横笛らしい。音は聞こえなかったけど、しばらくすると周囲から鳥の群れが集まってきた。
「なんだ……?」
一面を埋め尽くすような数で囲まれて、ちょっと怖くてくらっと来る。この数が降ってきたら即死だ。でも鳥は一定の距離を保って、それ以上近づかない様子だった。
「フェーニャってひょっとして鳥と会話できちゃうような子なの?」
怖さを紛らわしたいのと半信半疑の予想が浮かんで問いかけると「そんなわけないだろ」と一蹴された。そんな言い方しなくてもいいのに。
「物語であるよね、動物と語らうお姫様とか」
「そういうのが好きなのか?」
「可愛い絵面だなとは思うよ。これだけの量じゃなければね」
あと食べるのに苦労しなさそうだなとも思う。口にはしなかったけど僕の考えたことの想像はついたらしく、フェーニャは呆れた顔を見せた。
「こっちに来い、この紐を手に結んで持て。それから絶対私から離れるな」
大岩の装置の中から伸びた紐を渡されたので、それを左手に結び付けて握りこんだ。それからフェーニャを見ると、珍しく彼女のほうから右腕を差し出していた。差し出すほうはなれてるけどされるほうは慣れてないので少しぎこちない動きになったけど、フェーニャと腕を組むと最初の頃を思い出してしっくりくる。位置が落ち着いたのを確認すると、フェーニャはまた笛を口に当てた。
途端に周囲の鳥の動きが変わった。鳥は隊列を成して僕らの周りを囲い、周囲の崖が滑るように上に動いていった。状況がわからなくてしばらくの間呆然と眺めていたけど、そのうちに、鳥の作る風の動きで下に運ばれているのだということが理解できた。
「凄い……」
フェーニャに語るつもりもなく声が出た。自分の声に気が付いてフェーニャのほうを見ると、満更でもなさそうな顔をしている。
「どうやって鳥に指示を出しているの? その笛が特別なの? それとも何か訓練させてるの?」
「秘密」
ちょっとくらい教えてくれてもいいのに。まあでもこんな景色を見れるなんてそうそうないから、別によしとしよう。
見慣れない景色にうっとりとしていたら、すぐに地面らしきものが見えてきた。意外だな、もっと深いのかと思っていた。上から見てる分には昼でももの凄く真っ暗だったから。
「やはり見た目ほど深くないな」
フェーニャも同じことを思ったらしい。夜中のように真っ暗になってしまって、目が慣れないからはっきりとはわからなかったけど、また笛を口に当てたのがなんとなく体の動きで伝わってくる。途端に鳥たちの動きはまばらになり、徐々に散開していった。
「紐を貸せ」
小声で指示を出されて、素直に手を開いた。フェーニャは紐をほどいて、それからどこかに結び付けたようだった。
「良いか、絶対に腕を放すな。ここで離れたら回収に時間を割けるかわからんぞ」
了解の意で頷いたけど、フェーニャが見えたかはわからない。ただ彼女が動き始めたので、合わせて移動をすることにした。
カリャードから少し離れた場所で降下したのだから、エルフの住処に近づくにはその分だけ時間がかかると思っていた。でも体感時間が違ったのか、それも正確にはわからないけど思ったより早く、周りの様子に変化が現れた。
地面の様子が変わった。砂は積もっているけど、その下がもの凄く平らな感じがする。それに普通の岩よりもずっと、硬いような……
唐突に腕を引っ張られた。隠れろという意図なんだろうということは即座に伝わったのでフェーニャに合わせて崖に張り付く。でもその動きは間に合わなかったらしい。
「ん? なんでエルピスがここに来れてんの?」
女性の声がした。向こうはこちらのことなんか全然気にかけてないらしい。声はいたって呑気な様子だった。
しがみつくフェーニャの腕に、力が入ったのを感じた。
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