楽しい日
「ああ、本当によく似合ってるわあ」
自分の娘というわけでもないのに、アルルのお母さんは感激が抑えきれないようだった。声はわずかに涙ににじんでいて、彼女のことのほうが心配になってしまう。
「おばさん、その、大丈夫ですか」
「大丈夫よ~、近所の子の分まで考えるともう何度目かもわからないくらい経験してるしね。ただ何度目であっても嬉しいものだから……」
アルルは六人兄弟の末っ子らしい。そのアルルが年ごろなわけなのでアルルのお母さんはかなり老年なほうなのだけど、とてもきびきびとした反応をしていた。それでもやはり見た目は年相応に老け込んでいたけれど。
晴れ着というのは、特に女物の場合、着付けるのに人手が要るのはここでも同じらしい。アルルの幼馴染だったりお母さんだったりが私の家に出入りして、手分けして着付けてくれた。あっちこっち引っ張られるのでその度にバランスを失って浮いてしまいそうになってたけど、ようやく着終わって、鏡を見るよりも先におばさんのほうが感極まってしまった。
やっぱり婚姻の衣装というのは人生で一番華やからしく、この衣装の凝り具合はカリャードで一度も見たことがない。胸元の結び布は特別な模様が端に透かし入れられていて、肌の色と布の色の差が独特な雰囲気を醸し出していた。その上から、たくさんの貝殻で作られたネックレスが掛けられていて、この時点で普段よりだいぶ重い感じがする。腕には長い裾の装飾が巻き付けられて、動かすたびにひらひらと揺れ動いていた。裾はこれも細かな模様が透かしに入っていて、それを眺めるだけでも十分に見ごたえがある。
「ね、フェーニャちゃん、ちょっとその場で飛んでみてくれない? できれば大きく動いてほしいな」
アルルの幼馴染のニカのリクエストに応えて、大きめに動いて飛んでみる。普段よりだいぶ重いので飛ぶのに苦労したけれど、一度飛んでみると勢いがついて、空中で一回転してしまった。その拍子に鏡に自分の姿が見えて、おお、と感心する。
「うん、綺麗に広がってよかった! その服の刺繍は私も手伝ったんだよ」
「いつの間に……」
下半身は上半身と比べ物にならないくらい豪勢だった。普段の服の上から何重にも布を巻き付けてふくらみを持たせている。布の形は独特な処理が施されていて、下から見ると牡丹の花が開いてるみたいに見えた。この布も透かし模様が入ってたり、真珠や貝殻の装飾が入っていたりして、物自体がとても華やかだ。
「思ったんだけど、こんなに凝った衣装、一週間ちょっとの間にどうやって用意したの?」
「やーねーさすがに一週間で用意できるわけないでしょ~! その前から準備してたのよ」
ニカに話しかけたつもりがアルルのお母さんに答えられた。
「えっ、どういうことですか?」
「たぶん二人が一緒になるだろうなあと思って、ほら、最初に寝間着作るときにサイズ測ったでしょ? それ参考にしてちょっとずつ作ってたのよ」
せわしない動きの中、早口に答えが返ってくる。今は適当な髪飾りを手に持って、私の髪型自体やらどこに着けるかやらに悩んでる様子だった。
「いつからですか?」
「んーはっきりとは覚えてないねえ、あでも、相手がアルルになるかはわかんなくてもすぐに結婚するだろうと思ってたから、結構最初の頃から準備してたわよ」
正直ここまで世話焼きだとは思わなくて、少しびっくりしている。まさかその頃から気にかけられていたとは。
「ごめんね、足輪をつけるから右足を上げてくれる?」
ニカに指示されて、大人しく右足を上げる。着けられた足輪は普段付けるものよりも細かな装飾が入っていて、特別感が伝わってくるものだった。右足の後には、左足の分が待っている。
「こういうドレスって本人の希望を聞いて作るものな気がしてたんですけど……」
いつの間に用意されていて、別に不満はなかったけどびっくりした。
「あーね、ちゃんと聞いたわよ。前に『もし結婚するならどんな服がいい?』みたいなこと訊いたでしょ?」
悩んで悩んでとりあえず良い案が浮かばなかったのか、おばさんは私の髪を梳き直し始めた。されるがままになっているけど、この人の勢いのわりに手つきは丁寧で、あまり引っ張られることもなかった。
「『もし』と実際って違うと思いますけど……」
「あら不満あった?」
「いえ特にないです」
実際不満はなかった。特にどういうコンセプトの服がいいとかいう希望がない。そもそもこの世界のドレスのことをよく知らないし。ちなみにおばさんの質問には「相手の好む服が良い」みたいな模範的な回答をした気がする。
「あのあとね~、それとなくアルルに訊いたんだけど、」
「おばさん結構ずいずい行きますね……」
話を聞いてるようであまり聞いていなかった。どうにも髪を梳かれるのが心地良い。優しく頭を触られるのはどうしてこんなに安心するんだろう。
「これだけ生きてりゃ余計な恥ってのはなくなるもんよ、そしたらあの子ったら『相手の魅力が引き出せてたらなんでもいいかな』みたいなこと言うのよ~」
遠まわしに「関心がない」と言ってる気がしたが、おばさんは妙に嬉しそうなので口出ししないでおく。
「それって自由にしていいってことでしょ!? だからもう張り切ったのよ~みんなでね! ニカも結構案を出してくれたのよ」
ニカのほうは服を持ってきた袋だとかアクセサリーを持ってきた荷物類の整理をしていた。一度手を止めて、こちらのほうを見て答えてくれる。
「自由にしていいって言ってもちゃんと素敵にしないと怒られちゃうからね、どんな風にするか迷ったよ」
「それで怒ったりするようには見えないけど」
「んーん、のんびりしてるようでいて締めるとこ締める子なんだよ。ぱっと見わかりにくいけどね」
そう言われてハルピュイアの襲撃のときを思い出した。あのときアルルは絶望的な戦力差をわかっていながら迷わず戦いに出た。武器を持っている自分が時間を稼ぐのがみんなにとって一番良いと即座に判断して立ち向かう。そういうところが「締めるとこ締める」ということなんだろう。
「フェーニャちゃんの魅力って言えばやっぱりメリハリのある体だからね! 結び布の透かしをちょっと多めにしてよりセクシーな感じにしてみました~!」
「えっこれ普通じゃないの!?」
「普通はもう少し控えめにするね。私のときでもここまでは入れなかったから結構攻めたよ」
知らないうちに攻めないでほしい。少し恥ずかしいような気がしてきた。ニカは村の中でもかなり胸が大きいほうで、そのことに自信がありげだから彼女の衣装もセクシー系にしたのだろう。
「そんなに強調していいものなの……?」
「何言ってんの、一生に一度なんだから見せびらかしてなんぼでしょ」
はっきりとした結婚観がつきつけられた。
髪を梳いていた手が止まる。髪全体の上層のほうだけをすくって後ろでまとめ上げ、結びあげる。その上から細かい装飾が付いているであろう飾りを結びつけた感じがした。
「はい、出来た」
姿見の前に立たされて、後ろにおばさんが立った。ニカが手鏡を持ってきて髪の様子を見せてくれる。貝殻の欠片がきらきらと光る綺麗な髪飾りだった。
変な感じだ。どことなく現実感がない。それはこれが偽装結婚だからなのか、それとも本当の結婚でもこうなのか、想像がつかなかった。
「それじゃ、集堂のほうに向かいましょうか」
アルルのお母さんが家の竜皮を開いた。様子が気になっていた人たちが集まっていて、私が家を出るともう祝福の声が上がっていた。
これからが勝負所だ。
「まさかお前が先になるとはな~~!」
アルルの知り合いらしい男がアルルにうざ絡みをしていた。
婚姻の儀式の後、食事場のほうに向かえと指示されて言われるがままに向かったら、そこからは無礼講だった。
物理的にも精神的にも、食事場はカリャードの中心だ。カリャードの中央には強い熱風、もとい熱湯が吹き抜けていて、加熱調理はその熱湯を掠めとるかたちで行われる。そのための調理台はエルフだけが造れるらしく、エルピスは誰も製法を知らないようだった。ただ簡単な修理や調整は各々でやってしまうらしく、調理台のことで彼らの世話になることはあまりないようだった。本当は事故って体ごとぶち上げられて火傷でも負ったら大変だから、エルフからは調整するときも呼ぶように言われてるらしいけど、ぶっちゃけ面倒なのでみんな多少のことじゃ呼ぶことはないらしい。
食事場は熱風の吹き抜けを囲うようにして円形に足場が造られている。ここ以外の他の広場は、ツタの網の目の交わるところに大きめに足場が編まれているだけだ。けどここは全体が布地のようになって足場が織られている。来るまでは不安定だけど、ここに来てしまえば一番安心する。私はやっぱりちゃんと足場がある空間のほうがいい。
「お前いつから挑戦してるんだっけ?」
ぐいぐい来る男に対してアルルはわりと冷静だ。アルルの服装も特別仕様で、上半身は古代ギリシャ風の服を着ていた。ただ、以前村長や族長が着ていたのとは違って、端の形が独特に波打った切り方をされていた。その上私の飾り布と同じような透かし模様が入っている。耳飾りも特別凝った彫り物がされてる貝殻に、ガーネットが組み合わされていてとても綺麗だ。他に腰布の飾りやら、服の留め金やネックレスや腕輪や足輪やら、様々な部分にガーネットが施されていて、赤の主張の統一感があった。わざわざガーネットが使われていることに意味があるような気はしたけれど、それは後で訊こうと思った。
「もうちょっとで……半年?」
「もう竜仕留めるのは諦めたら?」
「いや絶対無理! 狩人が竜仕留めなくてどうすんだよ」
にぎやかに食べている隣で少し浮かびながら竜肉をつまむ。ドレスにありがちな状況だと思うのだけど、強めに着重ねしすぎててお腹に物が入りそうにない。
「うちの父さんは狩人だけど指輪贈ったよ?」
「ええ、それでどんな反応だったん?」
「不器用な癖に見栄張っちゃってって今でも言ってる」
「アルルの親父さんってもう亡くなってるよね?」
「うん、だから指輪ずっと大事にしてるんだよ」
良い話だ?
「嫌だ~! あいつに死んだ後もからかわれるとか絶対やだ!」
「良いじゃんそういう仲なんだし」
「遺すだけ遺してあんまり悲しい気持ちにさせるのも可哀そうだろ」
意外と考えてる発言のようだ。
「それに将来子供に訊かれたときに『竜狩りできなくて指輪にしたんだよ』とか言いたくない」
「あー……それはわかるかも」
わかるんだ。何も気にしない人間に見えて意外と体面を気にするなあと思った。
「フェーニャちゃん!」
突然後ろから話しかけられた。声からしてニカだということはわかっていたけど、どうしてそんなに生き生きとした顔をしているのかはわからない。
「どうしたの、ニカ」
「どうしたのじゃないよ、せっかくの披露宴なんだからもっと見せに行かなきゃ、アルル、フェーニャちゃん借りてくね!」
言ってることを理解する前に腕を掴まれた。そのまま引っ張られて行くのに動揺してアルルのほうを見ると、わかっていたかのような顔をして手を振っている。
単独行動するなんて聞いてない。ここでは内向的な性格で通ってるからアルルがエスコートしてくれないと場を上手く切り抜けられないのに。困った顔をしながら、実際困っていた。ニカが代わりに繋いでくれそうではあるけど、アルルよりも勢いがあるから思ったような動きができるかどうかわからなかった。
「ね、飛ばないの?」
「え?」
アルルに最初に言われたように、飛ぶことはあまりよくないことらしいから、なるべく足場近くを飛ぶようにしていたのだけど、気が付くとニカは高く飛んでいて、私のことを引っ張り上げていた。
「飛ぶのってあんまり良くないんじゃ……」
「今日は無礼講だし! 上や下の階に行くのにいちいち他の道回ってたらキリがないからね、今日だけは食事場の上下を自由に飛んでいいんだよ」
そう言ってニカは足場の端のほうに向かう。ニカの動きに合わせていると、端に辿り着いてすぐに飛びあがった。
「ほら、上の階の人たちにも見せよ!」
そこまで言われて、ようやく今日の任務を理解した。村中の人に見せて回って、飛んで跳ねなきゃいけないらしい。とても疲れそうな一日だ。
食事場は予想以上の混雑だった。普通は主催の出身の村人と、あと族長だけが来るものらしいのだけど、天使さま扱いされてた私と、ハルピュイアを退いたことになってるアルルはどうにも注目される立場で、いろんな村から人が集まっていた。
ハルピュイアの襲撃について、どうやってごまかすかはわりとあっさり解決した。本当は襲撃自体をごまかしたかったのだけど、シャングラも遭遇してるからそれは無理。となると妥当なのは、アルルがどうにかしたことにする、というところだった。アルルは自分にそんな力量はないし、私がした功績を横取りするのは気が進まないと言ってたけど、そもそも偽装結婚を提案したのはお前だしこれ以上嘘が増えたところでやることは変わらないと言ったらもごついて、考えてるうちに応援が来たのでそのままそういう流れになった。
私が現場に居たのはアルルの様子が気になってついてきたということにした。このことに関しては嘘はなかった。未知のハルピュイアについてのどさくさで、周りの人から細かく言われることはなかったが、アルルからはこってり叱られた。いくら身体能力に自信があろうと女子が単独でカリャードの外を歩くなんて論外だと一時間くらい説教された。反論するのも面倒なので聞き流した。
披露宴の空気感にようやく慣れてきた頃、最下層のほうがざわついたのを感じた。何かあったのかと思ったら「エルフさまがご到着されましたー!」と、若者の通る声が響き渡る。途端に雰囲気が引き締まった。やはり無礼講と言ってもエルフは特別な存在らしい。種族一つが王侯貴族のような扱いなのだろう。
どう立ち回ればいいのか自信がないといった風にきょろきょろと辺りを見渡すけど、アルルは見つからない。下の階にもここの階にも居なさそう……ということは上の階か。エルフがアルルと会うまでに合流したい。駆け足気味に探すと、運よくすぐ上の階で発見することができた。
「アルル!」
「フェーニャ、良かった。すぐ会えた」
端のほうから呼びかけると、即座に反応してこちらまで来てくれた。
「私何をすればいいの?」
不安げに質問をするとアルルは私の手を取って、飛びあがって目線を合わせて返事をする。
「僕の側にいて。エルフさまが来たらお辞儀をして。いいね?」
指示を言い終わるとすぐに足場へと着地した。手を引くアルルに合わせて、私も足場に近づいてついていく。アルルは足場の中心のほうに向かっているようだった。一番熱風に近い場所に着いてから、手を離される。しばらくじっとしていると、エルフたちがこの階に上がってきたのがざわめきで感じられた。
祝宴の朗らかさが厳粛さに塗り替えられていくのが伝わってくる。先頭に立ち近づいてくるエルフの顔を見ると、アジア人の顔立ちをしていた。不思議だ。エルピスは血の混じりが多くてはっきりとした人種の区別がつかない人間ばかりなのに、エルフは相対的に人種差が表れている。血縁の操作でもしているのか……?
主催に対しての気遣いなのか、エルフの服装はそこまで豪勢ではなかった。おそらく正装として上半身を隠す服装はしているけど、布の質もそんなにこだわったものではないし、腰飾りもシンプルなものだった。ただ気になったのは、先頭に立つ人物が腰に大きな剣を下げていることだ。見た限り黒曜石ではないし、知らない材質のようだ。儀式用か……?
先頭の人物の後ろには族長と村長、あとは知らない顔の男女が数名以上ぞろぞろと続いている。後ろのほうにはオティエノの顔も見えた。アルルの知り合いのエルフが祝福しに来たというところだろうか。
一行との距離があと少しとなった時点で気が付いた。しまったお辞儀ってどの方式だ!? 欧州か東南アジアかはたまた別の作法か!? ここじゃ挨拶するときに手を振ったり会釈をしたりするから何が基本かわからない!
「ね、ねえ」
「なに」
小声で話しかけると、アルルはエルフから目線を逸らさずに返事をした。ピリピリとした声だ。普段あまり緊張を見せない彼がこういう態度になるということは、それだけ凄い地位の人なのだろう。
「お辞儀ってどうすればいいの?」
「はあ? 頭を下げればいいんだよ」
「ほんとに? それだけ?」
「いいから敬意がわかればそんなに怒ったりしないから!」
小声での会話はそこで終了した。アルルがエルフに対して跪いたからだ。一歩遅れて私も頭を深く下げる。
「この者は体質故、ご挨拶を略式で済ますことをお許しください」
床に顔を向けたままアルルがそう語る。なるほど、練習すればちょっとの間ならできなくもなさそうだが、私の体質では確かに跪くのは難しそうだった。
「いいのですよ、そこまで畏まらなくとも。あなたがたは英雄なのですから」
声を聞いて気が付いた。この人女性か!
アルルが顔を上げる気配がしたので、私も合わせて顔を上げる。エルフの女性はアルルのほうを眺め、それからじっくりと私のほうを見た。何を考えているのかはわからないが、ともかくこれで私の存在は完全に認知されたということになる。女性は目線を再びアルルに向けて語り始めた。
「婚姻の儀式に合わせて来る予定だったのですが、遅れてしまいました。このことはまた今度何かの形でお詫びします」
“お詫び”の内容によっては任務に使えそうだ。
女性は一言を語り終えると腰の剣を抜いた。華やかな剣だ。柄には色とりどりの宝石が輝き、刃は飾りのようでありながら透明感のある反射を見せている。ひょっとして磁器で作られているのだろうか。
「エルフの族長イサミの代理として、イサミの妻カンナが授けます」
そしてアルルが頭を下げると、その両肩に剣の平を触れさせた。騎士の位の授与か。思ったより大ごとになってた。これが予想付いてたからアルルは気が引けていたのか。
「ハルピュイアを退けし者、アルル卿よ。これからも人々の希望になりなさい」
こういうセリフはアルルがとても面倒くさがりそうだなと思った。しかしその様子は見せずにアルルは顔を上げ、真っ直ぐに女性を見つめていた。
「はい」
アルルの声を聴くと、カンナは剣を腰に収めた。それを見たアルルは立ち上がり、カンナの次の反応を待っている様子を見せた。
「本当はもう少しここに居たいのですが、近頃ハルピュイアの様子がおかしいのです。ここに来るまでに時間がかかったのもそのせいです」
彼女は崖のほうを見て、少し険しい顔をした。あのとき逃したハルピュイアが悪さをしているらしい。情報を引き出そうとせずにすぐに仕留めておいたほうがよかったのか、今の時点ではまだわからないな。というかよくもあれだけの深手で生き延びたものだ。ひょっとして一体だけではなかったのかもしれない。
「わたくしはレオと共に仕事に戻ります。エクレム、オティエノ、クーリア。帰りは絶対に一人で降りてはいけません。いいですね」
カンナは奥のほうにいた人物に呼びかけて、オティエノを含む数人がそれに応えるような仕草をした。それを確認するとこちらに振り返って「それでは、また会う日まで」と軽い挨拶をして去っていく。
来るのは仰々しいが帰りはあっさりとしたものだな、と思っていると急にアルルが崩れ落ちた。
「どうしたの!?」
「し……んどかった~~!」
意外と相当な無理をしていたらしい。
駆け寄って肩を抱く直前、視界の端にオティエノの顔が見えた。近づいてくるのかと思えば、そのままじっとしてこちらを眺めていた。
「全然顔に出ないのね?」
「いや僕もそんなに無理してたつもりはなかったんだけど気が抜けたらやっぱなんかそうだったみたい……」
アルルの気が抜けてから少し遅れて、周囲の空気も変わっていった。厳粛さが朗らかさに塗り戻っていく。どこからか軽快な音楽がまた流れてくる。普段こんなに大きな規模で楽器の音を聞くことはないから、今日が祝いの日だというのを強く思わされた。
「アルル卿だって、かあっこいいね~!」
「やめてシャングラ、今その呼び方されると凄く苦しい気持ちになる」
儀式をしていたときは敬虔な司祭さまのようだったシャングラは、披露宴になった途端にいつもの軽さを発揮していた。服装も重々しい式服から普段着に変わっている。わざわざ着替えたらしい。儀式は仕事モードだけど、その後は休日モードで楽しみたいようだった。
「近くに居たの?」
さっきまで見かけていなかった気がしたので問いかけた。
「ほら俺一応この村のカディンだからね、何かの代表って感じの役職の人間は全部来てたんだよ。他の村の村長もエルフさまと一緒に来てたでしょ?」
ぞろぞろとした一行の正体は各村の村長だったのか。
「まあ、他の村の村長はちょっとつまんですぐ戻っちゃうと思うけどね。他の村は通常運転だろうし」
「そうなの」
せっかくのお祭りなんだからもっと長居していっても悪くないと思うのに。あまり他の村の事情に構い続けるわけにもいかないのか。
「アルル、大丈夫?」
「んー、まだ駄目かも……」
なんとなく流れで膝枕をした。ドレスは厚みがあるけれど、意外とやれるものだ。それを見てシャングラがうらやましそうな顔をして「うらやましいなあ」とつぶやいた。
「声に出てるよシャングラ」
呻くようにアルルが指摘した。
「大丈夫ですか、アルルさん」
周囲の音が少し静かになった。オティエノが――エルフが近づいたから、遠慮したのだろう。
「すみません、エルフに対して気張っているようでしたから、もう少し後に伺おうかと思ったのですが。あまり具合が悪そうなので私が近くに居たほうが人避けになるかもと思いまして」
「オティエノさま……ありがとうございます、助かります」
アルルの表情を見る限り、本音のようだった。なるほど、エルフとの応対をわざわざ押しのけてまで絡みに来る人間はそうそういないのだろう。私としてもエルフと交流がしたかったし、あとさっきまでそこら中飛び回って疲れたのでじっとしていたい気分だった。
「オティエノさま? は……地質学者と言ってましたよね、どんなことを調べる学問なのですか?」
シャングラが遠慮していなくなって、アルルもしばらく黙っていそうなので、ここぞとばかりに話しかける。あくまでも、沈黙が気まずいので繋ごうとする意図から入ったように見せてだ。
「さま付けでなくてもいいですよ。気にするエルフもいますが、私はエルフというだけで特別扱いされるのは不相応だと思っているので」
どういう思考の元でそうなったのかが気になるが、今それについて聞き出すのは良くなさそうだ。あくまでさっきした質問への答えを待とう。
オティエノは私のすぐ隣に座った。こう見るとやっぱり圧倒される。大きな人だ。黒々としている彼は、彼自身がどっしりとした岩であるかのような雰囲気を醸し出していた。
「地質学とは、簡単に言えば地面の中のことを研究する学問です。先の隕石について、どこからどのように飛来したものなのか、岩の削れ方や材質などを調べればわかることがたくさんあるのです」
足場のほうを眺めながら語るオティエノは、とても穏やかな表情をしていた。本当にその学問が好きなのだろう。
「どんなことがわかったんですか?」
情報収集も含めて、気を引けそうなことを質問した。エルフがあれについてどの程度把握できたのか、状況によっては動き方を考えなくてはならない。
「そうですね、ここの近くではないどこか遠くから来たということ。流されてきたにしては削れていないので、何か特別な方法で移動してきたのだろうということ、くらいしかわかりませんでしたね」
少し悲しそうな顔だ。私としてはぼんやりとした把握具合で助かったのだけど、学者としてはもっと詳しいことが知りたかったのだろう。
「それ以上のことはわからなかったんですか?」
「我々はあまりカリャードから離れられないのです。本当はもっと遠くへフィールドワークしたいのですけどね」
良いことを聞いた。エルフは基本的にカリャードから離れないという確証が得られたのはありがたい。
「その代わりと言ってはなんですが、普段は黒曜石の研究などをしているんですよ、たとえばほら、この小刀を見てください」
そう言って腰元のナイフを取り出した。オティエノの手は大きいから相対的に普通の小刀に見えるが、よくよく観察するとかなり大ぶりのナイフだ。
「こんなに大きな石があったんですか……?」
「いえまあ、実験の成果です。もっと大きなものが造れないか、研究の最中なんですよ」
黒曜石の人工製造なんて聞いたことがないのだけど、そんなことにエルフは挑んでいたのか。柔らかいものに対する切れ味のことだけを考えるなら、金属よりも有用そうだ。ここじゃ金属はすぐ錆びる。
「本当はこれだけできれば十分だ、とか言われているのですけど、大は小を兼ねますし、他に研究させてくれないんですからこれくらい続けさせてくれてもいいと思うんですよね」
なかなか立場の理解されない学者らしい。まあそういうのは私の居たところでもあったのでなんとなく気持ちは伝わった。
「私、そういうのはよくわからないですけど、自分から進んで何かを続けられるというのは、凄いことだと思いますよ」
当たり障りのないフォローをすると、オティエノは意外と気が和んだらしく「ありがとう」と穏やかな顔をした。それからまた沈黙が続く。アルルの様子を見ると、非常に安らかな顔をして横になっていた。おい、そろそろ降りてくれてもいいんじゃないか。外向きの性格だと言えないじゃないか。
アルルの考えはわからないが、ついでなので最初に気になったことを訊くことにした。
「あの、さっき、エルフというだけで特別扱いされるのは不相応だと思う、と言ってましたけど、それはどういう意味なんですか」
恐る恐るといった風に訊き出した。ここじゃあまり常識的な考えではない可能性が高いから、大きな声で訊くのは気が引ける、といった感じに彼の顔を見上げる。
オティエノはすぐには答えなかった。言葉を選んでいるような様子だ。しばらくの間床を眺めて、一度目を閉じて、それから右手で顔を押さえた。凄く悩んでいるようだ。
「なんというか……どのように言ったらいいか……」
ぶつぶつと言っていたが、やがて深く息を吐いて、それから私のほうをしっかりと見た。
「我々は同じなんですよ。本当は何も差なんてありはしないのに、ただ生まれが違うだけで扱いが違うのは、おかしいと思いませんか」
昔に聞いたことのある主張だなと思った。そんなのは綺麗事だ。生まれが違えば使命が違うのだから扱いが違うのは当然のはずだ。
私としての意見は何を聞こうと変わりようがないけれど、気にかかったのは、彼が「同じだ」と断言したことだ。学者をやっている彼なら予測による可能性と根拠ある断言は使い分けるだろう。オティエノは何かを知っているのか?
外向きの表情では、私はぼんやりとしていた。少し考えるように顔をかしげてから「よくわからないですけど、オティエノさんは優しい人なのですね」と言葉を返した。
オティエノは一瞬つらそうな顔をした。それから「そんなことはないですよ、でもありがとう」と悲しみを含んだ笑みを表した。
エルフとエルピスの間には何かある。オティエノとの会話は、それを確信させるのに十分だった。
暗くなってくると、人が少なくなり始めた。やれることが減ってくるからだ。ここじゃ夜は星明りだけなのが基本で、あっても星の子供という発光植物の淡い光が散らばっているだけだった。ツタの道にところどころ籠を結びつけてその中に入れておくと、ほんの少しだけエリス全体が明るくなるのだ。
エリスというのは、カリャードの階層の中で一番高層にあるエルピスの街の名だ。そのすぐ下の階層はハルピュイアたちが崖に巣を作り住んでいるイーリス、さらに下、最下層はエルフの住む街ニュクスがあるという。どちらも普段は行くことのない場所だから、知識として教えられるだけの名前だった。
他のエルピスは星の子供の明かりがなくても活動できるようだったけど、私はというといまだに夜明かりでは全然見えない体質のままだった。以前よりは少し見えるようになった気もするが、アルルのエスコートがないと道を辿るのも危うかった。以前アルルの後を追って竜狩りについていったときは、物影が結構はっきりと存在していたから状況がわかりやすかった。けど普段辿る道は、地図としては覚えられても実際は一本の細いツタだから、正確に辿るのが大変なのだ。
そういうわけで私は通常の予定より早めに引き上げるように周囲に勧められた。主催が最後までいないのは良くないんじゃないかと一応言ったのだが、見えないまま飛ぶと危ないしそれで怪我をしたらそっちのが良くないでしょうと説得されて、言うことを聞くことにした。
「家に帰るんじゃないの?」
エスコートされてる途中、普段の道と違うほうに向かい始めたので、問いかける。
「あー、えっと……いや予想ついてるでしょ? うぶのフリしないでよ」
途中まで困っていたようだけど、からかっていたことに気が付くと怒ってそっぽを向いてしまった。それでも左腕は離さずに速度を合わせてくれてるのだから、やっぱりちゃんとしてるなあと思う。
本当はもう少し困ってるとこを見てたかったんだけどな。まあ私の外向きの性格でもこれくらいの流れの予想はついてそうだし、次からは困ったままでいろとかは言わないでおこう。
アルルの元の家の近くに、新しい家が出来ていた。中に入ると、華やかに飾られた大きな寝具が一つ置いてあった。
「まあこういうものだよね」
今夜は近くに人も来なさそうだし、素に戻ってそう言った。アルルのほうはというと、気まずそうに目線をそらしていた。
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