プロポーズは爆撃と共に

 オティエノさまと挨拶してから、フェーニャは少しぼんやりとするような、緊張感があるようなちょっとよくわからない雰囲気になることが増えた。僕も大岩のことは少し気になっていたので耳をすましてたんだけど、気になるところが少しある、というのが聞こえたところで崖に辿り着いてしまって、結局さっぱりわからなかった。

 仕方がないので先のことを考えることにした。先のこと、というのは、要はプロポーズのことだった。フェーニャとは普段恋人のようなそぶりを見せることはなかったけど、四六時中一緒に居るものだから、結果的に僕にもフェーニャにもあんまりそういう感じに関われる人は居なくなってしまった。

 それから僕は結婚を期待される年にかかっていたから、必然的に周囲の目はそういう感じになっていた。ひと月もすれば僕らが何をしなくとも、周囲のほうがそれを期待するようになっていて、フェーニャとしては好都合だったろうと思う。

 でも僕は焦っていた。こんなにあっさりそういう扱いをされるとは、正直予想外で、プロポーズの準備が何もできていなかった。

 別にプロポーズは絶対華やかにしなきゃいけないわけじゃないけど、僕にも最低限の面子ってものがある。フェーニャは美人だしいまだに天使さま扱いされてるし、そんな彼女の相手ともなると周りの目もそれなりのものを求めてくるのだ。

 せめて竜の一匹でも自分で仕留めないと格好がつかないんだけど、ここで困った事態が発生していた。僕は四六時中フェーニャと一緒に居るのだ。つまり僕一人で狩りに行くことができない。手先は多少器用だけど指輪を作るとか家を作るとかになると時間がかかりすぎるし、普通にフェーニャにバレる。彼女は物知りなので、プロポーズのパターンもなんとなくわかってしまうだろう。そんな状況のまま何日もやれる気がしない。それはちょっと普通に恥ずかしい。

 そんな感じにここ数日は特にぼんやり悩みながら食事をしていた。最近はフェーニャもずっと僕に掴まってるわけではなかったけど、それでも僕のすぐ近くに浮いてるのが彼女の定位置だった。

 最初は(村の人に対しては)もの凄く寡黙だったフェーニャも、ここのところは結構話すようになっていた。内向的な風に見せてはいるけど、その範囲で随分上手くやっているようだった。今も僕の近くで他の女の子たちとおしゃべりをしている。どうやら最近簡単な編み物が流行っているらしく、それで作るアクセサリーの話をしているらしい。

「いや~お前の周りはいつも華やかでうらやましいねえ」

「失せろ女たらし」

 気配を感じて速攻で撃退の意思を見せる。こいつはあまり近くに居させたくない。

 (対外的に)フェーニャの教育上良くないので避けていた人物が何人か居る。そのうちの一人がこいつだった。フェーニャのほうを見守っているふりをしながらがっつり胸を見ている性欲の権化。わかってるだろうけどフェーニャ気付いてるからな。そんで好感度も低いからな。

 あんまりこいつを近づけたくなかったので、それとなくフェーニャから離れ気味に移動した。

「そういう言葉フェーニャちゃんの近くで使っていいの?」

「多少手荒だろうとお前の存在自体がフェーニャに良くない」

 一応彼の腰元の飾りを確認した。じゃらじゃらと装飾は多いが、カディンの――聖職者の証の飾りは付けていないようだった。

「別にずっと常に聖人君子でいろとは思わないけどさ、カディンならもう少し休日もわきまえたらどうなの。それか仕事変えたら?」

「俺狩りとか上手くないし、職人になれるほど集中力もないし、弾き語りやれるほど創造力もないからさあ」

 嘘を吐け、と思った。カディンは人の悩みを救済する都合上、一通りの職業体験はやらせてもらっているはずなのだ。実際一度やってみれば、あとは訓練さえすれば仕事にできる。憎まれにくい女たらしができる程度には観察眼もあるし、人の話をじっくりと聞く集中力もあるし、たぶんその気になれば何にでもなれるだろう。ならないのはきっと、子のないカディンの家に養子で迎えられた負い目があるからだ。

「とにかくフェーニャのほうをそういう目で見るのは止めろ」

「自分だってそういう目で見てるくせによく言うよな」

「そういうことフェーニャの前で言わないでくれる?」

 声が裏返った。フェーニャはその、胸が凄く大きいので、気が散ることはあるけど、それはそういう目で見るというよりは目の前で揺れ物があると気が散るっていう理由のはずだ。

「ていうかあんた尻派じゃなかったの?」

 あんまりまじまじ見続けるので顔をつかんで背けさせた。ちょっとの抵抗感はあったけど大人しく目線を変えてくれたようだった。

「いや尻派だけど、さすがにあれだけ大きいと思わず見ちゃうよね」

 見る限り、思わずといった感じではなかったけど。

 全く、村で唯一のカディンがこんなんなのは頭を抱えてしまう。シャングラの両親もカディンだけど、もっぱらそっちの業務は引退して、普段は猟とかに出てるから頼みづらいのだ。

「はあ……会うたび休日な気がするんだけど、次仕事するのはいつなの?」

「お前が避けてるから会うのが休みの日だけなんだって。明日から四日はちゃんと仕事するし」

 四日か、それくらいならなんとかなりそうか。

「わかった、明日集堂に行くから、そのつもりで待ってて」

「え、なんか頼まれるの俺」

 多少何か言いたげに見つめられたが、これ以上話す気がないので黙って食事を続けていた。どうせ休みの日に仕事の話をされるのは嫌がるんだから、今しても仕方ない。それにこの話を今したときの反応を考えると、頭を抱えたくなった。

 食事の後、フェーニャが話の切りをつけるのを待って、罠の回収に向かう。僕らが食べた分だけ、他の人たちに渡す分を回収するのだ。食事場はいつでも何人かは居る場所だから、適当なタイミングで受け渡せばだいたい上手く巡っていく。人が居なさげだったらしばらく待ってればいいし。

「結構友達増えたよね」

 罠の中の鳥を移動用の袋に移してから小さく話しかける。狩り場もまたカリャードの外なので話し声は小さくするのが基本だ。

「え? ああ、うん……上手く馴染めているか、自信はないけど」

 嘘だ。そういう性格、のセリフだ。

 たまに、最初のあれは夢だったんじゃないかと思うくらい、フェーニャは大人しかった。けど、深夜空を険しいような、寂しいような顔で眺めているのを見かけると、本来の目的を思い出す。

「そろそろ僕が居なくても大丈夫になってきたんじゃないかなって思ったんだけど、どう?」

 帰るために向きを変えがてら問いかけた。

「どうって……?」

 不安げな声を出される。彼女を見つけてから一日も離れたことがないので、こういう反応をするのは予想通りだった。

「明日僕は一日自由にするから、フェーニャも自由にしてていいよ」

「一日?」

 僕の前に回って覗き込んできた。悲しげな顔をされてしまって、演技だとわかっていても胸が痛む。

「あ、じゃあ半日からにする?」

「え、あ、その……ううん、一日でいいよ」

 気を遣った、という感じがしたのでどうしようか迷ったけど、セリフの後、何か覚悟をしたような顔をしたのでそのままにすることにした。いつまでもべったりしているわけにもいかないのだし、これでいいだろう。


「ちょっと気が早すぎやしませんか」

 翌日、日付が変わって間もない頃に集堂に向かったら、シャングラに眠たげな顔をされた。そういえば彼は早寝早起きなタイプだから、この時間に押し掛けるのは睡眠が足りないんだろう。けどこっちにも都合があるので付き合ってもらうしか仕方ない。

 集堂は他の建物と作りが違っている。基本的にどんなに大きい建物も半球形をしてるのがエリスの家の在り方だけど、集堂と競技場だけは全球形をしているのだ。上も下もわからないような集堂に入ると、少し不思議な気持ちになる。今日はその感覚が、身の引き締まる思いを湧き立たせた。

「意外だね、シャングラがそう言うとは思わなかった」

「私個人として、というよりは一聖職者としての考えです。あなた方は確かに周囲からそういう期待をされていますが、まだ会ってひと月でしょう。もちろん、儀式の際には祝福を与えるつもりですが、少し早すぎます」

 気が早いと言ったのは押しかけた時間についてではなかった。プロポーズについての相談だ。一人での竜狩りを行うので、その立会人になってほしいと言ったらそう言われたのだ。

「そうかな。確かに早いけど、みんなが祝福してくれそうならそれでいいんじゃないの?」

「皆が祝福してくれそうだから、あえてそう言ってるのですよ。少し離れた位置で見守り、警告をするのも私の務めなのです」

 いかにも聖職者の言いそうな言葉だ。でも裏があるのは事実なので、これはきっと間違ってない忠告なのだろう。なんならシャングラは僕たちの企みに気が付いてそうなところすらあった。

「それでも一応は請け負ってくれるんだろ?」

「ええ、断るようなことはしませんよ。でも、心に留めておいてくださいね」

 そう言ってシャングラは、出かける前に軽く準備を整えた。いくつかの荷物を持ってきて、それから何かを葉に書きつけるような仕草を見せて、集堂の端にひっかけた。僕は字は読めないけど、おそらく両親に向けて書置きをしたんだろう。

 僕はというと、集堂を出る前に、さらし布を強めに引き締め直して、息を整えていた。軽く荷物の確認をする。竜狩り用の銛はしばらく使っていなくて錆びかかっていたので、昨日フェーニャを家に送ってから磨いておいた。他に、動きを速くするための足用の羽や、怪我をしたときとかに手当てに使えるだろう大きめの布。必要そうな道具は地道に一通り揃えておいたので、あとは運だけだ。

「そういえば、シャングラの分は特に考えてなかったんだけど、長引いたら食事とかは現地調達でいい?」

「随分と適当な計画ですね……いいですよ、早めに終わることを祈ります」

 僕としても、早めに終わればそれに越したことはないと思っていた。けど、なんとなく早く終わってくれそうな気がしていたので、緊張感はないまま集堂を出た。

 崖に着く少し手前の場所で、足羽を着ける。久々だけど前と変わらずに使えそうだ。それから腰元に黒曜石の小刀があるのを確認した。細かな作業をするとき用兼、いざというとき用だ。

 僕の足について行けるように、シャングラも足羽を付ける。あんまり見かけたことがないけど、意外と様になっていた。やっぱり狩りでも普通に生きていけるんじゃないだろうか。

「急ぎましょうか、夜明けまでに竜の食事場のほうへ行ったほうがいいでしょう」

 竜は夜地上のほうに降りてきて食事をするから、そのときを狙うのがエルピスにとって都合のいいタイミングだ。昼間も活動はするけど、エルピスはあまり上のほうまで飛ぶことができないから向いてない。かといって夜にしても、行動範囲が広すぎて出会えるのは運次第だった。

 道中の会話は少なかった。狩りの状況であることを抜きにしても、カリャードから遠のけば遠のくほど、声を上げるのは安全ではなくなるから。シャングラは不思議な奴で、誰と居ても沈黙が苦にならないから、今日もそのお陰で居心地の悪さは感じなかった。

 こんなに少人数で狩りに行くのは初めてで、最初のうちは緊張が凄かった。けどしばらくすると、気を張りすぎることによる体力消耗のことが頭を冷静にさせて、穏やかさが混じって安定する。岩陰から岩陰に、間を見計らいながら縫うようにして移動していった。暗い中で毒のある草に触らないように気を付けて、大物がもし近くに居たときを考えて息を潜めながら飛んでいくから、遅々として進まない。シャングラは狩りは苦手だと言っていたわりにきちんと状況確認を手伝ってくれたからそれはとても助かった。もしも本当に何もせずただついてくるだけだったら、二倍以上は疲れていただろう。

 だんだん寒さが増してきた。カリャードから離れるにしたがって、寒さは増していく。シャングラは上着を取り出して羽織ったけど、僕は狩りの最中で気が立っていたので着ることはしなかった。

 夜明けまであとどれくらいだろうか。わからないけど、だいぶ目が慣れてきた。おかげで竜の食事場が遠くに見えてきたのがわかる。目標地点が見えて少し気が緩んだその瞬間、唐突に轟音が聞こえてきた。

「地震か!?」

 咄嗟に上方に飛び出した。何かが落ちてきたりして潰されたら狩りどころではなくなってしまう。それなのにシャングラはじっとしていたので驚いた。

「何してるんだ死にたいのか!」

「いや地震じゃないみたいだ。あれを見ろ」

 そう言って前方から少しそれたあたりを指さした。ぞっとした。さっきまで見えていたはずの光景がまるで変わっている。砂煙が立ちすぎていて何も見えないけど、何か強烈な力によってその状況がもたらされたのには間違いなかった。

「いや、地震でもああなるだろ」

 少し声が震えた。

「違う、崩落とかじゃない。さっき空から何か大量のものが降ってきてああなった。そのときの音だ」

 どうすべきか迷った。このまま隠れつつ進むか、いったん離れるか。地震の可能性がまだ捨てきれないので、岩陰から姿を現したままにしていた。それがまずかった。

 疾風が近くを掠めた。いや、疾風には影があった。血の気が引いた。

「Bonjour,mon garcon」

 すぐ後ろで声が聞こえた。何を言ってるのかわからない。でも振り返って表情を見ればすぐわかった。敵であると。

 敵は笑顔だった。でもその爪はぎらぎらと光っていて、目は高揚の熱を見せていた。それは僕らを屈服させようという意図の見える顔だった。両腕の翼を大きく広げてこちらを見下ろしているのは、きっと威嚇してるんだと、震える体が思い知らせてくれた。

「ハルピュイア……」

 銛を手に構えた。なぜここに彼女がいるのか、なぜ彼女が敵意満々なのかはわからないが、戦わずにどうにかなる相手とは思えなかった。

「シャングラ、全力で飛んで逃げて」

「いや無茶だ!」

「じゃあできれば応援を呼んで」

 シャングラが移動した気配がした。ハルピュイアはそれが面白くなかったらしく後を追おうとするそぶりを見せたが、前に立ちはだかってせき止める。

「しばらくは相手をしてもらうよ!」

 言葉が通じる気はしなかったけど、士気を高めるために声を上げた。敵の目的はなんだろう、少なくとも殺しではない気がする。僕のことを殺す気だったら、最初の一撃でカタをつけたはずだ。

 彼女の翼を抑えたついでに空を蹴って上のほうへ向かう。あまり地上に近いと砂煙が立って息がしづらくなるし視界も悪くなって不利だからだ。ただでさえ身体能力差は絶望的なのに。

 ある程度の高度に来てすぐに首を狙って銛を突き出した。あっさりとかわされる。けどそれでいい。最悪シャングラが村に危険を知らせるだけの時間稼ぎがやりきれれば、というかたぶん僕にやりきれるのはそれが限界だ。

 めげずに首を狙い続けていた。かわされ続けるけど、下手に胴を狙って少しでも離れることのほうがリスクが高かった。ましてや銛を打ち出したら、再び射出の仕込みをする隙は与えてくれないだろう。下手に使ってかわされて無駄打ちになるのも、命中して激昂させてしまうのも恐ろしくて、射出機構は使わずにいた。

「Dis donc……なぜ本気を出してくれない?」

 唐突に言葉を投げかけられて動揺した。ほんのわずかな瞬間動きが固まった隙に彼女は羽を仰いで閉じて、僕から少し距離を取った。まずい、来る!

 咄嗟に顔を覆った。胸の前で閉じた羽を勢いよく前に開放する。風圧で僕は吹き飛ばされて、砂煙が立つ中に突っ込んだ。息がつらくて咳き込んでいたら吹き飛ばされたほうから影がやってきて、僕を拾い上げた。大きな爪が僕を傷つけないように腕を掴んで、煙のないところへ移動する。そのときに銛は叩き落された。抵抗しようにも爪が顔のすぐ上にあったんじゃ恐ろしくてやりようがなかった。

 見通しのよくない場所に降りられて、左足の爪で腹を抑えられる。死ぬのか、いや殺す気なら最初にしていたはず……なら僕は弄ばれるのか。頭が回らない。砂を吸いすぎてずっと咳き込んでた。ようやっと落ち着いてきたと思ったら、ハルピュイアは爪で腹のさらしをかき切った。腹も切られるのかと血の気が引いたが、彼女はそこまではしなかった。

「弱いねえ、アナタ。あたしが格上だって一目でわからない」

 羽根の先がゆっくりと腹の上を撫でた。ぞわぞわする。恐ろしくてほんの少しの間体が硬直した。唾を飲んだ。怯えて体が震えるふりをしてそれとなく左手を腰の小刀に近づけるけど、これもあっさり看過されて爪で押さえつけられる。

「アナタはそんなに怯えなくて良い。別に殺さない。それから良いことをする」

 良い予感が何もない。左手も腹も封じられてて動けない。右手どころか両腕を使ったところで体勢を変えることは叶わない。

「あたしは精が欲しいだけ。大丈夫。ちゃんと良くするから。大人しくしていてくれればいい」

 精。精、とは。気力、とかのじゃないよな。……つまり。

 何も良くない大丈夫じゃない!! こうくるとは思わなかった! 昔戦争で精神的屈辱のためにそういうことを強要することがあったってのは聞いてるけど、それともなんか違いそうな感じだ!

 名前も知らないハルピュイアはすでに快楽的な表情を見せていた。自分が優位に立っていること自体に非常な悦びを感じているらしい。よく見たら体型はまだ成熟しきってない少女だ。さっきまで恐ろしくて、あと異種族だったからよくわかってなかったけど幼さの残る顔立ちをしている。こんな子供に負けるなんて。

 わき腹を羽先で撫でられて、反射で翼を抑え込もうとした。

「大丈夫だ」

「全然大丈夫じゃない!」

 そもそも目的がわからなすぎる。本人は本気で「相手にとって良いこと」をするつもりのようだから嫌がらせの意図はないようだし、じゃあ他には? 他の可能性は? 子供が欲しいのか? でもハルピュイアは卵生だからエルピスとは子を成せないはずだ!

 上半身を触られるのに抵抗したことで彼女は愛撫を続けるのを諦めたようで、爪の先の位置が下のほうに向かい始めた。うわやばいそれはまずいまじでかんべん、

「がぁっ」

 突如悲鳴が上がって爪の力が抜けた。隙を逃さずに全力で後ろに飛んで逃げる。何、何が起きた? 近くの岩陰に隠れながら向こうの様子を確認した。

 ハルピュイアの後ろに人影が見えた。背中に取り付いて銛を突き刺したらしい。振り落とそうともがくのに体勢を合わせて乗りこなしている。

「彼は私の旦那さんなんだけど?」

 もがけばもがくほど銛が食い込むようになっているのにハルピュイアは気づいたらしく、動き方を変えようとした。その僅かな間に、フェーニャは刃先を思い切り引き抜いた。血しぶきの影が上がる。完全に肉が抉られてる。

 断末魔のような強烈な声が響き渡る。痛みに体をふるわせて伸び上がった拍子にフェーニャはバランスを欠いて落っこちたけど、すぐに体勢を立て直した。

 え、殺した? 死んだのか? 死ぬのか?

 うずくまり肩を抱えるハルピュイアをフェーニャは警戒しながら見つめていた。その間も銛の仕掛けをやりなおして、すぐにまた背に乗りかかる。

「何が目的だ。答えろ」

 首の後ろに銛を突き付けて質問、いや脅迫した。相手が黙っているのを見るとさっき抉った場所の近くを踏みつけたらしく唸り声が出た。

「子供が欲しかった、だけ」

「嘘を吐くな、エルピスとの間に子はできないだろう」

「Ah bon...?」

 暗い上に距離を取ったから表情がよく見えないけど、素で出た反応だろうということは僕にもわかった。彼女はエルピスがハルピュイアと子を成せないのを知らなかったのか?

「なぜ彼を襲った」

「男を見つけたら子を成せって言われてた、それだけ」

「それだけじゃないだろう、他に目的があるはずだ」

「ほんとうに知らなかった、ここに子を成せない人間が居るなんて聞いてなかった」

 ここに? 彼女はここじゃないところから来たのか? エルピスのことを知らない? フェーニャと同じような?

「Dis moi ton nom.」

「Je ne peux pas enseigner.」

 また悲鳴が上がった。そのあと早口にハルピュイアが何か答えた。

「OK,OK,je suis "La tempete"」

「La tempete...」

 何を聞き出しているんだろう。くらくらしてきた。フェーニャが来たことに対して安心してしまったらしい。でもフェーニャがずっと優位で居続けられるかもわからないから、このまま気を失うわけにはいかない。腕に爪を立てて、その痛みで必死に耐えていた。

「Mais je peux pas en dire plus!」

 不意にハルピュイアが飛び立った。回転を掛けながらもの凄い勢いで上昇したせいか、フェーニャは銛を外してしまった。

「Attendez!!」

 フェーニャが叫んで追いかけるけど、ハルピュイアの翼に到底追いつけるわけがなくて見失ったようだった。しばらくの間上空でじっとした後、僕のほうに降りてきた。

「……さて、」

 しばらく音の意味がわからずにいたけど、数秒経ってわかった。僕のわかる言葉に戻ったらしい。違う言葉を使ってたときは別人のように感じて、いやまあ僕も最初脅されたけど、とにかくさっきのフェーニャは凄く遠くに感じられたから、安心して力が抜けてしまった。

「浮気の理由を教えてくれる?」

 抜けた力が戻ってきた。

「違うよ!?」

「冗談。元気そうで良かった」

 冗談はせめて笑って言ってほしい。一切の表情筋が笑ってなかった。今後下手に他の女の子と絡むのはやめようと思った。

「ねえ。さっきのって、フェーニャと同じ……?」

 どうにも気になってしまったのでついでに問いかける。彼女はあまりこういうことに答えたがらないだろうけど、協力するからには少しくらいは状況を説明してくれてもいいだろう。

 フェーニャは少しだけ考えたあと「そうだけど、違う」と答えた。

「どういうこと?」

「あれも私の居たところから来たけど、私の居た集団からじゃない。私の居たところは結構派閥があるの」

「じゃああの子もエルフを狙ってるの?」

「わからないけど……現状では、違うように見えたかな」

 フェーニャはこれからどうするのだろう。あのハルピュイアがもし生き残ったら、必ずまたカリャードに来る。カリャードに住んでるのはエルピスだけじゃないからだ。エルピスの街の下の階層にハルピュイアの巣の階層がある。あの子が狙うとしたらそこだろう。あの子がカリャードのハルピュイアに手を出したことによって何が起こるかは想像もつかないけど、どことなく危険な感じがして不安になった。

「あの子のこと、どうするの?」

 控えめにゆっくりと聞き出すと、フェーニャは一呼吸置いて淡泊に答えた。

「現状はエルフに関心がなさそうだからほっとくかな」

 ちょっとびっくりしてしまう。

「ええ……いいのそれで」

「できることがないし」

 そう言いながらも彼女の表情は硬かった。彼女なりの問題意識があるんだろう。

 その後はいろんな口裏合わせの相談に入った。竜狩りをしなくても箔が付く良いシナリオがあると言って語られたが、僕はどうにも納得しづらかった。ただ抗議をしきる前にシャングラの応援がやってきて夜も明けたので、結局その案に従うことになったのだった。


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