天使さまのお目付け役

 困ったなあと思っていた。

 本当は今日彼女に話さなきゃいけないことがあったのだけど、帰ってきた途端に「気疲れした。少し休む」と言って部屋の隅に丸くなってしまった。それも床近くじゃなくて天井近くでだ。

 体調の悪そうな女の子をそんな状態で寝させるわけにはいかないから「ベッドを使っていいよ」と言ったら、気味悪そうな顔をされた。ちょっぴり傷ついた。でも一応ベッドのほうがよかったみたいで、大人しくそっちのほうで寝なおしてくれた。浮いてしまうのを防ぐのに四肢を結ぶのはやめてほしいと言われたので、掛け布団を体に軽く巻き付けて、ベッドと一緒に上から緩くお腹のあたりに一か所だけ、紐で結ぶことにした。これなら冷えないだろう。

 そうしてベッドの側でじっとしていたら、僕のほうまで眠くなってきてしまった。ああいけない、やることがあるんだった。

 彼女が寝てるらしいことを遠目に確認して、僕は外に出た。部屋の出入口の竜皮を閉めて、それから前を見たらめちゃくちゃ人が集まっている。

 めんどくさい。

「なあアルル、天使さまはなんて言ってたんだ?」

 ずいと寄ってきてすぐ開口一番に『天使さま』となるのはわかっていた。彼女の迷惑にならないように声は潜めがちにされたけど、たぶん聞こえているんじゃないかなあと感じていた。彼女はとても気が立っていたというか、ずっと、大物狩りの最中みたいな顔つきをしていたし。しめい、というのはそういうことなんだろう。

「自分のこと天使だとは思ってないみたいだよ」

「じゃあ普通のエルピスなのか?」

「わからないなあ、ただここのことはよく知らないみたい」

 昨日の夜、たまたま外に出ていたのとタイミングが合って、空を輝かせながら岩が落ちていくのを見てしまった。びっくりしてみんなに伝えに行こうとしたら、岩影から人が浮き上がってきたのが目に入った。しばらくの間ぼんやりと、眠ったままの彼女が飛んでいくのを見つめてしまった。そうしたらそのうちに轟音がして、たぶんもう他の人たちが対応してるだろうなと思ったので、一番近かっただろう僕が、彼女を回収しにいくことにしたのだ。

 幸い街からは逸れていたし、衝撃のわりに街の被害は少なく済んだのだけど、美人の女の子が気を失ったまま空を飛んでいたことが大騒ぎになった。僕が助けに行くまでのところを見た人が大勢いたのだ。

 エルピスは空を飛べるけど、気を失ったまま飛んでいくことは不可能だ。それができるのは生まれてから日の浅い赤ん坊だけ。だから人によっては赤ちゃんみたいだ、なんていう人もいたし、赤ちゃんが空を飛びやすいのは神様に近いからって言い伝えの通りに、彼女は神の使いなのだと言う人もいた。

 いろんな意見が飛び交って、もし天使さまなら僕が発見したことに意味があるんだろうから僕が世話をしろ、ということで落ち着いて今に至っている。

「ここのことをよく知らないってどういうことなの? 別のところから来たエルピスなの?」

 相変わらずひそやかに、それでいて熱の入った質問が僕に投げつけられてくる。

「そうなのかもしれないし、近くで生まれ育った普通のエルピスで、昨日の衝撃のせいでうまく思い出せないってだけかもしれない」

「普通のエルピスならあそこまで空を飛べないだろ」

「そういう体質なのかもしれないよ、こけやすい人ってたまにいるじゃん」

「なにもわかってないの?」

「うん、なにもわかってないよ」

 がっかりとした空気が伝わってきた。でも正直こうするくらいしかできない。寝る前にどういう風に扱われたいか聞いておけばよかった。天使さま扱いされたいのか、シャイな女の子で通しておくか、記憶喪失ってことにするかくらい教えてほしい。あ、でも天使さま扱いはやだな。僕天使さまと結婚することになるしそれはやだな。騒がれそう。

「夕方じたばたしてたのはなんだったんだ?」

 彼女が家から出てきたとき、さすがに押し掛けるような人たちはいなかったけど、周りの家影に隠れてひっそりと見守ってた人はたくさんいた。

「自力で食事場まで行きたそうにしてたんだけど、歩くのに慣れてなかったみたい」

 ここで少し空気が変わった。やっぱり飛び慣れてる方は……みたいな感じの雰囲気だけど、実態はだいぶ違うことは黙っておこう。

「まだ彼女は万全な状態じゃないみたいだから、僕が言うまでは今まで通りそっとしておいてくれるかな」

 ざっと一同の目を見渡して、それぞれが納得したらしいのを確認した。不安げにしてる女の子や納得したくなさげな大人も、しばらく目を見つめると、気圧されたように視線を下に向ける。うん、みんなとりあえずは言うこと聞いてくれそうだな。

「それじゃあ僕は彼女のことみてるから、みんな解散して。リャタ、ご飯持ってきてくれない? 二人分」

 質問攻めのとき、真っ先に僕に詰め寄ってきた幼馴染に声をかけた。

 本当は自分で取りに行きたいけど、思ってたより彼女に期待をする人間が多すぎたから、目を離すのが危なそうだった。もし黙って家に入られて、それで僕が遭ったみたいに脅されたら、その人が可哀そうだ。

「いーけど、二人分?」

「彼女がいつ起きるかわからないし、あんまり起きるの遅かったら僕が食べるから」

「わかった。ちょっと待ってな」

 それからリャタは思い切り踏み込んで、空を飛んで行った。

 あいつまた道を突っ切っていくつもりだな。そういうのはなるべくやめてほしいんだけどな、もしハルピュイアに攫われたりしたら、僕にできることは何もないのに。

 リャタが飛んでくのを見送ってから、自分の家に入ろうとして、竜皮に手を掛けた。持ち上げて家に足を踏み入れて、視線を上げると、彼女と目が合う。やっぱり起きてたのか。ベッドに縛られるのは本当は嫌だったらしく、いつの間にか解いてる。彼女は掛け布団を体に引き寄せながら、天井近くに浮いていた。そのまま一瞬ぎろりとこちらを見つめて、顔を背ける。

「寝なかったの?」

「ちょっとウトウトしてただけだ」

 小さくつぶやくような応答だ。

「しばらく寝てていいよ、僕が見張ってるから」

「そうか」

 それから実際、しばらく話さなかった。寝ているのか、ウトウトしてるだけなのかはわからないけど。

 とても張り詰めた顔をしつ続けていたから、念のため、竜皮の掛け具を巻き付けることにした。これでいきなり家に入られることもないだろう。一応彼女から少し離れたところに行って、座り込んだ。

 彼女はきっと安心できない状況なんだろうな。ここのことを全然知らないようだし、誰も知り合いが居ないなんて随分心細いだろう。でもこんなにピリピリしなくてもいいんだけどな。どうしたらエルピスのことを信用してくれるかな。エルピスは絶対に、誰かの命を脅かすようなことはしないんだけど。それとも僕が男だから警戒してるのかな。

 ぼんやりとしていたら、家の灯りが薄暗くなってることに気が付いた。しまったな。リャタに星の子供も持ってきてもらえばよかった。もう切れる頃だったか。

 灯りのことは考えても仕方がないから、とりあえず今日彼女に言われたことについて考えることにした。この土地のぶんかについて教えろと言われたけど、ぶんかって何だろう。彼女はなんだか少し難しい喋り方をする。式典のときの、エルフの族長とかと近い感じだ。

 だいたい難しい言葉や概念はエルフの人に訊けば知ってるけど、あんまり訊く機会がない。僕の家は大した役割も持っていないし、過去に大物を仕留めたこともないから、わざわざエルフがこの家に立ち寄ることはほとんどないだろう。あるとすれば昨日の夜の岩のことで、難しい顔して訊きに来るくらいかな。あーまた「何も知りません」て言わなきゃいけないのか。ちょっとめんどうだな。エルフたちは悪い人たちじゃないんけど、あんまり身体能力が高いから近寄るのがちょっと怖い。

 僕はエルフにちょうぎじゅつというのがあるのかは知らないけど、昔からエルピスで「こういうものがほしい」みたいなことがあるとすぐに解決してくれたのはエルフたちだった。何かもっと凄いものがあってもおかしくないかもしれない。単純に頭の良い人たちの集まりなんだろうなあと思ってたけど、その頭の良さに秘密があるとすれば、その秘密のことを、彼女は知りたがっているんだろう。

 それにはやっぱりエルフにこっちに来てもらわないといけない。僕の力じゃエルフの住処には下れないし、戻ってこられないし、もし行けたとしても、見つかったときの言い訳が浮かばない。となるとやっぱりあれだな、結婚するしかないな。どのみちそうなる運命だったんだ。

「うわ、なんだ鍵掛けてんのか」

 家の戸に手をかけたらしいリャタの声が聞こえてきた。

「ごめん今行く」

 一歩で飛んで竜皮の前に行って、それから掛け具に巻いた紐をほどいた。

「なに、もうそういう仲になったの」

 少し茶化すような言い方をしながら、食事を差し出してくる。

「そうじゃないよ。ただちょっと怖がってるみたいだから、掛けといたほうが安心できるかなって」

 受け取りながら、適当な言い訳をした。事実と全然違ってるわけでもないと思う。

「天使さまも怖がるのか」

「……みんなの前ではああ言ったけど、はっきり言って僕には天使さまには見えないからね」

 変なの、とでも言いだけな顔をされた。

「ていうか部屋真っ暗じゃん、採ってこようか?」

「いやそこまでしてもらわなくていいよ、僕ももうちょっとしたら寝るし」

「そか、そんじゃおやすみ」

「おやすみ」

 それからリャタは、今度は普通に道の上を歩いて行った。さすがに近所の家に帰るくらいは歩く気でいられるんだろう。急ぐようなこともないんだし、普段からずっとそれでいいのにな。

 家に戻って鍵を掛けて、それから振り返ったらすぐ近くに彼女の顔があった。

「うわっ」

「いつまで起きてられる」

 こっちのことお構いなしに質問を投げられた。近づきすぎたと思ったのか、彼女は徐々に遠のいて、また天井近くに戻っていく。

「え……まあ、まだ眠くないけど……ご飯も食べてないし……」

「そうか、じゃあしばらくは話せそうか」つぶやきがちにそう言った後「人に話を聞かれない場所はないかな。できればこの家じゃないところでだ。こう暗い部屋に居るのは気分が悪い」棘を含んだ調子でまた質問された。

 やっぱり星の子供持ってきてもらったほうがよかったかな。

「ちょっと遠いけどいい場所があるから、そこはどうかな」

「私はこの通り歩けないんだが、それでも行けるのか?」

 相変わらず彼女は宙に飛んでいた。とりあえず歩けないことについては、もう開き直ったようだ。

「少し上ったところにあるから、僕の肩にでもつかまっててくれればすぐだよ」

「昼間のあれは結構な人数に見られていたようだが、また見られるんじゃないのか」

「それもそうだね、ご飯食べてしばらくしてからのほうがいいかもしれない。普通夜遅くに町はずれに行ったりしないから」

 暗くて表情が見えないけど、返答がすんなり出てこないということは納得いかないんだろうなと思った。壁付の棚に食事を置いて、それから天井のほうに飛んだ。びっくりしたらしい彼女に避けられる。飛び慣れてないようなのに随分素早い動きだ。ひょっとしたら運動神経は良いのかもしれない。

 天井近くのツタを手でつかんで、ごり押しで隙間を作り出す。これで少しは星明りが入るようになったはずだ。彼女のほうを振り向いたら、もの凄く驚いた顔をしてるのが見えた。

「うん、とりあえず顔がわかるくらいにはなったね」

 驚きは呆れに変わっていった。「わかった、とりあえずここで話そう」納得してくれたようだった。


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