竜と鳥と虫と

「これは何?」

 天井に穴をあけてくれたお陰で、より声を潜めるようなことになってしまった。青年は、アルル、と呼ばれていたか。アルルは、あの程度の隙間で「顔がわかるくらいには」と言っていたけど、そもそも私の目にはほとんど差がなかった。ただもうそれくらいしかできることがないなら、とりあえず食事くらいはここでするしかないか、と思う気になった。話し相手の表情がわからないと、相手の喋ってることの情報の価値がだいぶ変わってくるから、もう少しわかる状況で話したかったけど、仕方ない。

 それでまず最初に聞くことになったのは、食べ物のことだった。明かりがほとんどないせいで全然実態がわからなかったけど、触った感じのかたさからして加熱されたタンパク質類なのだろうということは想像がついた。

「これはどうやって、どこまで食べるものなの?」

 何かの肉のようなものが、大きな葉のようなものに包まれている。葉はわりと柔らかく、その気になれば食いちぎれそうな雰囲気だった。皿なのか具なのかがわからない。

「えっと……それはどういう意味?」

 私がどれだけわからないのかがわからないようで、彼の声音はひどく困惑していた。

「僕が先に食べるから、同じように食べれば大丈夫だよ」

「申し訳ないけど、私はあなたよりも目が悪いみたいで、ほとんどよく見えないの」

「えっ本当?」

 意外そうな声だった。それから彼がこちらに飛んできた気配がして、思わず後ろにのけ反った。

「指、何本立ってる?」

「え」

 近くまできたら、意外と目が慣れてきたのか、影の形くらいはわかって、自分自身に驚いた。親指と、人差し指と、中指。

「三本……」

「そっか、じゃあここだとどう?」

 彼は少し後ろに下がって、もう一度指を立てたらしい。でももう私の目には闇に溶けてしまってるようにしか見えなかった。

「わからない」

「そっか、目も悪いのか」

「どういう意味」

「いや、飛んじゃう体質な上に目も、って思っただけ」

 つくづく思うけど、彼は少し変わっている気がした。宙に浮いてしまう体質を「目が悪い」とか「こけやすい」にくくってしまう感性というのは正直よくわからなかい。

「ちょっと思ったけど、昼よりも言葉が柔らかいね」

「……まあ、さっきよりも鬼気迫った状況でもないから」

 好きで攻撃的なふるまいをしていたわけでもなかった。できればずっと、任務実行に移りたくなかった身だった。そんなことは口が裂けても言えなかったけど。

「とりあえず食事をしよう、今日のは美味しいよ、小竜が獲れたんだって」

「しょうりゅう……?」

 言葉がうまく読み取れなかった。

「うん、大竜に比べて小さい竜だから小竜」

「竜……!?」

 そんな、そんなものがいるわけがない、あれは伝説上の生き物のはずだ。

「そんなに驚く? ひょっとして君のところでは珍しい生き物なの?」

「いや違う、竜なんてものは存在しないんだ」

「でもここにはいるよ?」

 至極当然のことのように、まるで私のほうが変なのだとでも言うように、疑問を素直に投げかけてくる。いないって本当なの? と。

「……いるはずがない」

 自信がなくなりそうだ。もしも本当に、人類が認識していないだけで、ここに棲んでいたとしたら、どうしよう。それもまた、武器として流用されてしまうのだろうか。

 手元の肉を見つめた。これは竜の肉なのか。恐る恐るかじってみたけど、味がしなかった。私の気持ちが、事実に追いついていない。

「口に合わなかった?」

 存外に心配そうな声が下から響いてきた。長々と噛み続けて、どうにか飲み込んでから、言葉を返す。

「わからない」

 返事に困ったのか、彼は少しの間をおいて、それから「そっか」と淡泊めな返答をした。

 思っていた以上に疲れている。本当はもう少し長いこと彼に話を聞こうかと考えていたけど、食べ終わったら寝よう。この疲労感の正体が、単なる疲れなのか、新種の病なのか、薬の副作用なのかもわからない。だったら今日は多めに寝たほうがよさそうだ。

 食事をしてる間だけでも情報を収集しようと思って、何か質問を考えようと頭を動かした。そう、さっき「今日のは」と言っていた……。

「今日のはってことは、いつもは何を食べてるの?」

「ん、鳥だよ」

「トリ……?」

 トリって、鳥か……? いや違う、ここに鳥がいるわけがない。

「鳥って翼を持って、空を飛ぶ?」

「うん、その鳥だけど」

 そんなわけがない。ここに鳥がいるわけがない。ちゃんとここについて調べてきたんだ。気温、環境、そこから予想される食物、文化、言語。様々な時代や国の在り方を聴いて、どんな環境でも大丈夫なように私は訓練された。それからここに来た。例外があったっておかしくはないけれど、ここに鳥がいるはずはない。ここは火山が近くて地熱がある。私の知る鳥の生息域には当てはまらない。わざわざ鳥がここで進化する可能性だってゼロに近い。

 青年との掛け合いで動揺し続けている中で、視界の端、光が揺らめいたのを感じた。反射で天井の隙間に目を向ける。あれは、あの揺らめきは、私も知っている。

「夜光虫……」

「え?」

 暗闇の中、「何か」が動いた軌跡を、青白い光がかたどっている。夜に活動する魚でもいるのだろうか。流れ星のような線が浮かんでは消えて、ぶつかりあって、オーロラのように波打っては消えていく。

 綺麗だった。きっと地上にいたなら、涙を流していただろうと思った。でも、ここじゃ目頭が熱くなるばかりで、涙は流れない。

 意外と早い限界が来ていた。多くを語るつもりはなかったのに、私が前提を知るためには、私の居たところの話をしなくてはならないのだ。その自覚が私を孤独感に押し込ませた。それでも私は、私と彼の知る世界の違いを、問いかけなくてはならなかった。

「ねえ、ここは、」

 声が震えた。一息で言えなくて、唾を飲んで、それでどうにか勢いづけて言葉を続けた。

「ここは、海の底のはずだよね?」

 裏返り気味の声が響く。虚しい問いかけだ。返る答えはわかっていた。

「うみ? うみって、なんのこと?」

 ああ、信じられない。

 ここにいる人間は、水を知らないのだ。


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