あの夏、向日葵畑。あの事故、空振り情け。

あの日は、嫌というほど晴れていて、入道雲が悠々とそびえ立っていた。

暑いのは好きではないけど、家でじっとするのもなんだから、僕は家の近くにあるお気に入りの場所に向かった。


そこは、田んぼと、道を介して咲いている向日葵畑。


迷宮みたいに向日葵が立ち並び、僕は初めて見たときから、好きになった。夏は毎年のように、ここに来ていた。

青々とした夏空に遠くに見える山が無数に咲く向日葵を引き立たせる。

向日葵たちは波打つように薄っすらと揺れ、カサカサと耳触りのいい音をたてる。


と、視界にあるものが入った。いや、飛んできた。

風に運ばれ、麦藁帽子が僕の足元に止まる。それとほぼ同時に、道の奥から声がした。

「すみませーん」

声のする方に顔を向けると、

その瞬間、目を奪われた。


向日葵よりも、惹き付けられた。


真っ白なワンピースに、細く黒いロングヘアー。この世の人間とは思えないほどに彼女は綺麗だった。


僕は少し遅れて、慌てて「はい!」と動揺した声で返す。

「その麦藁帽子取ってもらえませんか?」

「あ、はい!」

足元に落ちた麦藁帽子を拾い上げる。すると、彼女がこちらへ駆け寄ってくる。


少し、緊張した。

「ど、どうぞ」

「すみません、ありがとうございます!」

麦藁帽子を受け取り、かぶり、そして、ニコッと笑った。


その時、先ほど更新された僕の中の綺麗なものランキングがまた、更新された。

彼女の笑顔は、どんな人でもきっと、ドキッとしてしまうだろう、と妙な確信を得ていた。

僕は、道の奥まで歩いていく彼女を、粒になるまで見守った。

実際は、粒になる前に壁に吸い込まれていったけど。


そして、この光景を忘れまいとした。





ガチャッという鈍い音で目が覚めた。


僕は、まずい、と慌てて台所へ向かう。

晩御飯は僕が作ることになっている。

これは、別に母が面倒くさがりだとか、僕が料理をするのが好きだとか、そういう訳じゃなくて。


僕が小学生の時、父は交通事故で亡くなった。

当時、母は立ち直れないんじゃないかってくらい泣き崩れていた。

それでも、僕をここまで育ててくれた。僕の為に働いてくれている。

だから、せめて家事くらいは手伝いたい、という、僕の願望、みたいなものだ。


「あら、寝てたのならいいのに」

「何言ってんの母さん。ほら、そこで休んでて。すぐ作るから」

卵を割って、泡立たないようにかき混ぜて、半分、ご飯にかけて絡ませ、もう半分、フライパンに流し込む。卵がグツグツとしてきたら、上からご飯を落とす。水分が飛ぶ前に、刻んだネギと、ペースト状の中華調味料を投入する。

フライパンを振るうと波立つように、米粒が円を描いて。


即席といえばチャーハン、みたいな、定番化された男子高校生らしい晩御飯だ。


「「いただきます」」

「それで、久しぶりの学校どうだった?」

「別に、それと言ってかな」

「えー、つまんないねぇ」

「仕方ないだろ、あ、そういえば、転校生が来たよ」

「誰?女の子?可愛かった!?」

母は転校生、というありふれた話題に、なぜか少し興奮気味になる。

「別に、普通の子だよ」

「転校生、って、ほら、運命の出会いとかそういうのあるじゃない?」

僕の年にしては若めな母だけど、それにしても、なんだか、僕より純粋だ。

「そんなの、台本のある物語の中だけだよ」

そう言うと、そうかなぁと、母の興奮は冷めていく。

「仲良くなれそうなの?」

「うん、たぶんね」

たぶん、大丈夫だろう。第一印象は、変な人かもしれないけど。

きっと、これから仲良くなって、今日の僕の変態じみた発言なんて、忘れるだろう。



その夜、また、夢をみた。


彼女とは別の、夢をみた。



あの交通事故から、数日が経った頃の事だ。

母は泣いていた。悲しそうな顔は、初めて見た。

僕は、それから、どうしたらいいか、分からなくなっていた。

そんな僕を、母は抱きしめて。

「ごめんね、紫苑。あんたも、怖いよね。でも大丈夫、母さんがついてるから」

その声は、震えていて、でも、すごく暖かかった。

「それに、父さんは、母さんとあんたの『ここ』にちゃーんと生きてるから。母さん達が忘れない限り、ずーっと、生きてるから」

胸をトンッと叩いて、僕に笑顔を見せた。

いつもの笑顔を、太陽みたいな笑顔を見せた。


忘れない限り、ずっと生きてる。

まだ父は、ここにいる。


僕は、そんな母が好きだ。

脆いけど、強くて、優しくて。


大好きだ。

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中空メモリイ よふか @yofka

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