Episode 7


 深夜。


 菜々子からLINEで、無事に六角橋まで着いた旨だけは知らされた。


「…雨か」


 折から雨脚は強い。


 雷すら遠くで聞こえてくる。


「そう言えば、あの日も雨だったよな…」


 一瞬だけよぎるものはあったが、すぐさまそれを振り払うかのように首を思い切り振って、


「…さとみじゃない、希だ」


 何か、底知れないものを払い退けるように、みずからへ言い聞かせようとしていたのかも分からない。


 いつもなら着いたときに希からLINEが来る。


 それが、日付をまたいでも来ない。


 多摩川園の希のマンションまで、六角橋からなら一時間はかからないはずで、明らかにおかしい。


「ちょっと様子見てくる」


 菜々子にメッセージを残す。


 すぐさま、すでに真夜中の二時近かったが菜々子から着信があって、


「…ちょっと待って」


 菜々子も胸騒ぎがしていたのは、変わらなかったらしい。




 三時近くなって、タクシーを飛ばして菜々子が川崎新町まで来た。


「…まだ希ちゃんからは?」


 翔馬は首を横に振る。


 雨は強い。


「…やっぱり行ってみる」


「せめて朝まで待ってみないと…」


「さとみのときには、それで手遅れになった」


 情のこわい言い回しを翔馬はしてから、


「今からならまだ間に合う」


「…私もついてく」


「綱島はここに残っとけ」


「でも…」


「このまま何か遭ってからでは、悔やんでも悔やみきれない」


 また何年も悔やむのはまっぴらだ、と翔馬は言う。


 菜々子は震えていた。


「…私だって希ちゃんのこともあるけど、翔馬先輩に何か遭ったら…もう耐えられない」


 そこは菜々子の本心であったろう。


 菜々子にそこまで言われては、翔馬も動くことは難しかったらしく、


「…夜が明けるのを、待つしかないのか」


 篠つく土砂降りを睨むように翔馬は眺めながら、


「神は、俺に悪意しかないようだな」


 小さく吐き捨てると、泣き崩れた菜々子の肩に手をやり、なだめるように髪を撫でた。




 朝。


 ようやく小止みになったので、いよいよ翔馬が身支度を整えていると、


「…あれ、希ちゃんの軽自動車じゃない?」


 夜通し点けてあったテレビには、電柱に衝突して大破した、見たことのある軽自動車が映っている。


 ナンバーを見た。


「…希の軽の番号だ」


 スマートフォンを開いてみた。


「カレッジアイドル・ブルールージュのボーカル宮崎希、交通事故で即死」


 見出しを見ただけで記事は読まず、


「…引き止めるべきだった」


 とのみつぶやくと、膝から翔馬が崩れ落ちた。




 少し話が飛ぶ。


 希の葬儀は、結論から先に記すと翔馬は参列すら許されず、最期の見送りすら出来なかった。


 事務所で認めなかったからで、


 ──仮に翔馬さんが来ると、彼氏の存在が明るみになってしまう。


 つまり「なかったこと」にされたのである。


「…さとみのときですら、最終的に骨は拾えたんだが」


 が。


 これははからずも、他に宮崎希との交際が疑われていた、イケメン俳優への大々的なバッシングとなって、


「翔馬は命拾いしたわよね」


 という、光の指摘につながった。


「一般人は、ああいった世界から見たら蟻ですらないぐらい扱いが小さいから、諦めるしかないの」


 なぐさめとも断罪ともつかないようなことを、光は言った。



 

 最終的に四十九日の際、形見分けがあったのだが、そのとき希の父親から、


「あの子はこれを大切にしていました」


 そう言われ渡されたのは、希のために翔馬がプレゼントした、シルバーのナースウォッチである。


「いつも鞄につけていましたが、事故の日だけはつけていませんでした」


 との話で、確かに無傷で時を刻んでいる。


「翔馬さん、あなたはまだ若い。希の分までしあわせになって下さい」


 というメッセージカードが添えられてあった。


 その帰路、翔馬はいつもの川崎駅のそばのお好み焼き屋に寄った。


(ここは連れてきてなかったな)


 お好み焼きは頼まず、つまみとワイン一杯だけを頼んで、それを飲み干すと、


「…帰るわ」


 そのまま川崎新町のアパートへ帰った。




 全て終わった頃、菜々子からメッセージが来た。


「たまには会いたい」


 あの日、菜々子に付き合わせてしまった負い目を感じていたのもあって、翔馬はめずらしく菜々子に会う約束をした。


 菜々子がよく行く和風の居酒屋に来ると、


「久しぶり」


 菜々子は先に来て、ウーロンハイを飲んでいた。


「…翔馬先輩、目が死んじゃってます」


 なるだけ考えるまい…と仕事を詰めるにいいだけ詰めたせいで、なるほど営業の成績は良かったのだが、見た目が凛々しかっただけに、逆に翳も深くなっているような気がした。


「そりゃあさ、恋人に二度も先立たれてみろ。嫌でも目なんか生気なくなるわ」


 でもみずから命を絶たなかったのは、綱島が悲しむと思い留まることが出来たから──というようなことを翔馬は述べた。



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