第39話 2020年5月28日 約定②

父との会話を終えた後、俺は直ぐに妻の美奈に電話をしたかったが、恐らく美奈はテレワークではなく職場にいるだろうということに気付き思い止まった。

この時間なら美奈も休み時間だろうが、休み時間にこんな話は聞かされたくないだろう。

周りに他人の目もあるだろうし、ちゃんと落ち着いて会話をすべきだろうと考え、夜に電話をすることにした。

そして、俺は一通だけ美奈にメッセージを送った。


「今晩、話をしたいことがある

 時間取れる?」


そうすると直ぐに既読マークがついた。

しばらく返信がなかったので、まだ怒っているのだろうかと考え始めた頃に一瞬スマホが震えた。


「10時以降なら

 それか明日の朝」


ずいぶん遅い時間とは思ったが何か予定があるのかもしれない。

今日のうちに話をする必要があると思っていた俺は10時に電話するとだけ返信した。



午後1時になり仕事を再開したが、頭の中は今晩美奈に伝える話の内容でいっぱいだった。

なんと伝えればいいだろう。

両親に対しての伝え方と同じというわけにはいかないだろう。

両親は血縁者であり付き合いも長いので、ある程度阿吽あうんの呼吸で言わなくとも伝わることは多い。

だが、美奈は夫婦とはいえ、付き合い出してからの年数は10年に満たない。

しかも、息子の茂名義ではあったがお金を使い込まれた当事者でもある。

こればかりは身の回りに参考となる例がない、いやあるのかもしれないが皆秘密裏ひみつりに処理しているのだろうと思いスマホで検索をしてみた。


「株 損失 伝え方」


予想していたことではあったが、参考になるようなサイトはヒットしなかった。

検索する単語を変えてみる。


「借金 家族 伝え方」


厳密には借金がメインの話ではないので違う気もしたが、こちらの方が悩んでいる人が多そうに思えたからだ。

案の定、多数のサイトがヒットした。

大半は弁護士事務所や司法書士事務所の借金相談だったが、中には参考になりそうなものもあった。

話をする前に金額、借金をした理由、相手に対する思い、話せなかった理由をまとめておくと良いというものだ。


幸い、15時から大規模なWeb会議がある。

自分にはまず質問や発言するような機会はなさそうだ。

この時間を利用して美奈への説明を考えることに決めた。


15時になりWeb会議が始まった。

会議中、メインの発言者以外はカメラとマイクをオフしている為、俺は音声だけ聞きながら手元にノートを広げて今晩の最重要会議に向けて準備を始めた。


・損失金額

 1,400万円

 内訳 自己資金 800万円

    茂の教育資金 300万円

    両親からの借金 300万円


・損失に至った理由

 リーマンショック以上のことが起きると考え、株価下落に賭けていたが逆行してしまった。

 自己資金が強制決済されそうになった時に茂の教育資金と借金でしのいだが、その後も株価の上昇が止まらず今日の朝、決済されてしまった。


・美奈と茂に対する思い

 大変申し訳なく思っている。

 茂の教育資金については必ず補填するが、両親への借金返済を優先させて欲しい。


……

ここまで書いて、何かが違うと思った。

確かに書き出すと自分自身冷静になれる部分がある。

だが、なんだろう。

物凄い違和感を感じた。

一昨日、一度は覚悟を決めた人間とはまるで別人だ。

結局のところ、俺はこうやって書き出すことによって開き直っているだけではないのか?

自分ではない何か別のものがしてしまったことにして、それに責任を押し付けているだけではないのか?


俺は急に本来の感情を取り戻し両手で頭をむしった。

そして、怒りの矛先ほこさきを机や椅子や本、置物などに向け、叩き、蹴り、投げつけ、破壊した。

そこには理屈などなかった。

ただ、むしゃくしゃしたからそうした。

対象はなんでもよかった、それだけだ。

最後の仕上げに机の上にあった書きかけのノートを手に取り、力任せに引き裂いた。

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