第38話 2020年5月28日 約定①

幕切れは恐ろしい程、あっけなかった。

CFDは午前9時の東京証券取引所の開場を待たず21,500円に到達し、俺の売り玉は自らが設定した逆指値により約定やくじょうした。

売却価格が約19,000円、決済価格が21,500円、CFDの枚数は30枚だったので約750万円の損失で確定した。

一昨日先行して損切りしたCFDと合計すると約1,400万円の損失となった。


ちょっとの間、軽い放心状態にあるとスマホが簡素な事務机の上で踊り始めた。

順子からの着信だ。

俺はスマホを手に取り受話ボタンを押すと、違うTシャツを着ている以外は昨日と何ら変わらない、眼鏡姿の順子が画面に現れた。


「や、元気?

 な訳ないか。」


順子は落ち着いたトーンで話しかけてきた。


「うん、元気。

 な訳ない。」


俺も落ち着いた口調で返す。


「終わっちゃったね、大勝負。

 一昨日のことがあったから少し心配で電話してみたけど、大丈夫みたいだね。」


どうやら俺のことが心配でわざわざ電話をしてくれたみたいだ。

確かに一昨日は酒に酔っていたとはいえ人生の中でも最大級の取り乱し方だった。

覚えている範囲でもそうなのだから、記憶のない部分まで付き合わされた順子にとっては相当なものだったろう。


「まあ一昨日、半分損切りした時点で吹っ切れたからな。

 大負けしたけれど、順子のおかげで100万円だけは残ったし感謝するよ。」


率直に感謝を口にする。

すると順子はかぶりを振ってこう言った。


「私はただ、お金のことで友達を失いたくなかっただけ。

 お金はただの道具だから。

 強力な道具ではあるけど、その為に人間の方が振り回されるのは間違ってると思うから。」


「そうか。

 確かにそうだな。

 お金は道具だ。」


俺は順子の言葉に何度かうなずきながら同意する。


「それで……どうするの?

 これから。」


順子は少し伏し目がちになって聞いてきた。

それに対して俺はこう答えた。


「うん、けじめは付けないといけないと思ってる。

 家族と両親と。」


「そうだね。

 わかった。

 こういう言い方をすると変だけど……がんばって。」


適切な言葉が見つからなかったのだろう。

だが気持ちだけは痛いほど伝わる、そんな言葉を順子は絞り出した。


俺は

「ありがとう。

 落ち着いたら連絡するよ。」

と言って会話を締めくくった。


電話を切ったときには既に午前9時、3分前となっていた。

俺は急いでパソコンを開きVPNに接続して上司に業務開始の連絡を入れた。



12時になり午前の業務を終えた。

俺は意を決して先ず父親と話すことにした。

ビデオ通話アプリを立ち上げ、父親を呼び出す。

数秒後、回線が繋がった。


「おう、春雄か。

 どうした?」


父親の顔が画面中央に表示される。

表示された画面の端に母親も見える。


「父さん、ちょっといいかな?

 この間借りたお金のことで話さなきゃいけないことがあるんだ。」


俺は慎重に言葉を選んで声に出す。

その雰囲気に父は感じ入ることがあったのだろう。


「わかった。

 ちょっと待て。」


そう言って、部屋の移動を始めた。

母に聞かせるべき話ではない、そんな雰囲気を感じたのだろう。

そして俺はその気遣いに感謝した。


「よし、いいぞ。

 どうした?」


書斎に移動した父が言った。


「実はこの間借りた300万円のことなんだけど、別のことに使ったんだ。

 株で追証を要求されていて、その補償金に充てた。

 それで、言いにくいことなんだけど……」


そこまで言うと察したのだろう。

間髪入れず父は言った。


「損失が出て、なくなったってことか?」


その言葉に対して俺は頷いた。

そして父の顔を見てから改めて深く頭を下げ謝罪した。


「本当に申し訳ありません。

 だますつもりはなかったけれど結果的にはそうなってしまって。

 お金については時間はかかるかもしれないけれど、必ず返します。」


頭を下げたままの状態で俺は言った。

激怒されても仕方ない、最悪勘当かんどうも考えていたが父の反応は静かなものだった。


「そうか。

 まあ、そういう可能性は考えていた。

 母さんには頃合いを見て話しておく。」


父の配慮に俺はただただ感謝した。


「申し訳ありません。

 そうしてもらえると助かります。」


俺は三度みたび頭を下げた。

そんな俺に対して父は最後にこんなことを言った。


「それで家のことはどうなんだ?

 ローンとか美奈さんとかのことは。」


難しい質問だった。

だが、この後に及んで誤魔化すことは考えられず、現状をそのまま報告した。


「わからない。

 美奈とはこれから話すんだ。

 最悪、離婚ってことになるかもしれない。」


そう言うと初めて父は悲しそうな顔をしたが、それでも俺を責めることはなかった。


「そうか。

 夫婦のことだから、そこは二人でよく話し合いなさい。

 もし助けが必要なら相談に乗る。」


終始、父は大人の対応だった。

見方によっては冷たく感じるかもしれなかったが、今の俺にとっては感情的に責められるよりも精神的な負担が少なかった。

当然、父もそこを考えてあえてそうしてくれたのだろう。

俺は感謝の言葉を改めて述べて通話を終了した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る