第37話 2020年5月27日 赤三兵③
朝食が終わり食器を片付け仕事の準備を始める。
食事をついさっき一緒に
順子と俺で向かい合い、それぞれノートパソコンを開く。
始業前、順子は言った。
「一応、簡単なルールを決めるね。
仕事中の株価チェックは2回、始値と終値の確認だけ。
注文は禁止ね。
どうしても注文したいときはトイレでこそっとやって。
ここで株やり始めると切りがないから。
あと、どっちかがテレコン中は寝室で仕事ね。」
わかったと言い
俺の今までが異常だっただけだ。
午前9時、5分前。
順子の部屋のWi-Fiに
上司に業務開始のメールを入れ、仕事を始める。
先ずはメールを処理しつつ、正面に座る順子をちらちら見る。
目の前の順子はゆったりとしたTシャツに下はスウェット、普段あまり見ない眼鏡をしている。
今までは一人でのテレワークだったが、今日は二人でのテレワーク。
誰かと隣り合って仕事をするなんて、なんだかコロナ流行前に戻ったような不思議な感覚だ。
いつの間にか相場が開く9時を過ぎていたが、気にせず俺は仕事を続けた。
もう間もなく午前10時になろうかという頃、俺も順子もそれぞれ別のミーティングがあることがわかった。
俺はそれじゃあと寝室に向かおうとしたのだが、順子が寝室で会議をすると主張したので、俺はそのまま居間に残ることにした。
まあ、それはそうだ。
いくら友達とはいえ、彼氏でもない男にずっと寝室にいられるのは流石に抵抗があるだろう。
俺は鞄の中からイヤホンを取り出しテレカンファレンス、いわゆるテレコンの準備を始めた。
テレコンはカメラオフの設定が許されていたので、昨日と同じ服を着ていることや髭をそっていないことは問題にならなかった。
会議は10時ちょうどに始まり、予定よりはかなり前倒しでつつがなく終了した。
コロナ禍で業務が縮小しており個々の業務量が減っていることが影響していた。
唯一変わったことといえば、テレコンに出ていたメンバーの一人から何かいいことありましたか? と聞かれたことくらいだろう。
聞いてきたのは俺の5年ほど先輩にあたる坂田さんという女性社員で、どうも声の感じが今までとは違ったらしい。
特に変わったことはないと答えはしたが、昨日の順子といい今日の坂田さんといい女性の勘は恐ろしいなと改めて認識させられた。
11時になると順子が居間に戻ってきた。
俺の会議が長引いている可能性を考慮してくれたのだろう。
盗みに入るような慎重さでドアを開け、忍足で俺の正面に移動してきた。
その様子があまりにも
そして笑いながら、前に声を出して笑ったのはいつだったろうか、家族と自宅の居間でだったろうか、と別居中の家族に想いを
ひとしきり笑った後はしばらくの間、仕事に集中した。
11時半を回った頃だろうか、午前中にやるべき仕事を一通り片付けた俺は順子に話しかけた。
「なあ、順子はなんで離婚したんだ?」
あくまでさりげなく、視線はパソコン、両手はキーボードに手を置いたまま聞く。
「うーん、いろいろあるんだけど。
一番大きかったのは価値観の相違かな。」
順子もパソコンから目を逸らさずに答える。
「価値観って?」
一瞬、順子の方に視線を向け、様子を見ながら聞く。
「つまんないことだよ。
生きてきた家庭環境が違うと、彼には何でもないことが私にとって許せなかったりとか。」
「例えばどんなこと?」
あまり根掘り葉掘り聞くのも失礼かとも思ったが、聞けるチャンスは今しかないと思い質問を重ねる。
「私の家はさ、父親を割と早くに亡くしたから金銭的に厳しかったんだよね。
でも、彼の家はそうじゃなかった。
資産家ってわけでもないんだろうけど、私からしたら受け入れられないことが何度かあったの。
あと……流産を二回もしちゃったから申し訳なくてね。」
俺はその回答を聞いて、あっ! と思った。
センシティブな質問をしている自覚はあったが、そこまでのことが知りたいわけではなかった。
謝るべきか迷ったが結局それも失礼に思い
「そっか。」
と独り言のように
12時になり、俺と順子は午前の仕事を終えた。
順子は早速スマホで株価をチェックし
「今日も上げてるねー。
21,500円までは到達してないけど。」
と独り言の
「お昼はどうする?」
順子はニュートラルな雰囲気を
俺が一緒に食べるといえばきっと何かを作ってくれるのだろう。
ひょっとしたら今日も泊まらせてくれるかもしれない。
だが、流石にこれだけの迷惑をかけて更に甘えるというのは俺の男としてのプライドが許さなかった。
既に地面に落ちて粉々になっていても、だ。
「いや、流石に帰るよ。
迷惑かけっぱなしだしな。」
俺はノートパソコンとイヤホンを鞄にしまいながら答える。
「そか。
わかった。」
順子はパソコンの蓋を閉じ、キッチンに向かった。
きっとこれから自分ひとりの為の食事を作るのだろう。
身支度を終えた俺は玄関に向かって歩きつつ順子に声をかけた。
「じゃあ帰るよ。
この埋め合わせはどこかでするよ。」
玄関口でしゃがみ、革靴の靴紐を結んでいると順子が背後にやってきてこう言った。
「春雄、変なこと考えちゃダメだよ。
それだけは約束して。」
少し声が震えているようにも聞こえる。
後ろを振り向く自信のなかった俺は順子に背中を向けたまま答える。
「わかってる。
もう大丈夫だと思う。」
昨日、順子に救われた俺は、たとえ全財産を失っても生きていける気がしていた。
靴紐を結んで立ち上がると、順子が背中から抱きついてきてこう言った。
「絶対だよ。
もし苦しくなったら、いつでも連絡して。」
俺は順子を背中におぶったまま、無言で何度も頷いた。
声を出すと弱い自分がまたぶり返しそうで、だが今はそんな自分を順子にだけは見せたくなかった。
これ以上弱さを見せると本当に自分のことが嫌いになってしまう、そんな思いが俺をかろうじて支えていた。
身体は震えていた。
順子の震えだろうか、俺の震えだろうか。
しばらく立ち尽くし震えが収まった頃、俺は順子の腕を丁寧に一本ずつ
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