第23話 2020年5月7日 踏み上げ相場②

とにかく、ここは上手く説明して美奈を納得させなければ。

俺は借りたお金について説明する必要に迫られた。

いや、もちろん説明するつもりはあったのだが、お金を元に戻した後に事後報告として説明するつもりだったので、今は全く心の準備も理論武装もない状態だ。

頭をフル回転させて言い訳を始める。


「いや、ゴールデンウィーク前にさ、持っていた株が急落して、それで保証金が一時的に足りなくなったんだ。

 それで保証金を追加する必要があったんだけれど、俺のメインバンクがその日はATMが使えなくって。

 だから、言わずに悪かったけど茂の口座から少し借りたんだ。」


我ながら無茶苦茶な言い訳だ。

そもそも急落じゃなくて日経平均CFDの急上昇によるものなのだが、金融商品に明るくない美奈にそんなことを説明すれば余計に混乱させるだけだろうと思い、理解しやすいように現物株に置き換えて話をしてみた。

ATMが使えなかったのも限りなく嘘に近い言い訳だ。

ATMは使えていたが俺の口座にお金が入っていなかっただけの話だ。

だが、馬鹿正直に言えば取り返しのつかないことになる、そんな予感が俺にくだらない言い訳をさせた。


「じゃあ、さっさとお金を戻してよ。

 今日は平日だからできるよね。

 今すぐ茂のお金を返して!」


ヒステリックに美奈が迫る。

俺だって返せるものなら返したい。

今日の株価水準なら返すことは可能だが、お金を引き出した途端、また証拠金不足のメッセージが毎分届くことになる。

あんなものを取引中に見せられたら勝てるものも勝てなくなる。

仕方ないと腹をくくり、俺は嘘を重ねた。


「いや、返したいのは山々なんだけれど証拠金って直ぐには引き出せないんだ。

 一か月経てば戻せるから、それまで待ってくれないか?」


ハッタリもいいところである。

先物やCFDの証拠金など翌日、遅くとも翌々日には戻すことができる。

だが、俺にはこの証拠金が命綱なのだ。

今、これを引き出して残りは強制ロスカットというのは絶対に避けねばならなかった。


「……わかったわ。」


美奈は憤懣ふんまんやるかたないという表情だったが、言葉だけは納得した。

と、思ったのもつか、こんなことを言い始めた。


「茂のキャッシュカードは今すぐ返して。

 残りのお金まで引き出されたらたまらないから。

 あと、私と茂は家を出るから。

 茂の貯金を戻せる目途めどが立ったら連絡して。」


俺が机の引き出しから茂のキャッシュカードを取り出して渡すと、すぐにきびすを返して部屋から出ていこうとする。

俺はあわてて呼び止めた。


「ちょ、ちょっと待ってよ。

 お金を勝手に借りたのは悪かったけど、そこまでしなくてもいいじゃん!」


「そこまで?

 あなた、本気で私を怒らせたいの?

 私はもう我慢の限界だよ。

 家にいてもスマホばっかり見てて茂の面倒は殆ど見ない、朝から晩まで部屋に閉じこもって誰か知らないけれどメッセージ送りあってるし、外出自粛だって政府が言っているのに家族じゃない誰かに会いに行く。

 しまいには子供のお金まで無断で使いこんで。

 それでも何か言いたいことがあるの?」


ダメだ。

取り付く島もない。

しかも、同期の石橋 順子との株談義を浮気と勘違いしているようだ。

平時なら笑い話で済むようなことだが、今は説明しても納得しないだろう。

俺はこれ以上の説得をあきらめて、美奈が部屋から出ていくのを見送った。


俺は部屋から出る勇気を失ってしまった。

今すぐ部屋をでて一階に下り、美奈に土下座でも何でもして許しをえば一時的には家にとどめておくことはできるかもしれない。

だが、茂の300万円については何も変わらない、まだ返す目途が立っていないのだ。

今日にでも日経平均株価が19,000円を割ればすぐ返すことだって可能だ。

だが、それは明日かもしれないし一か月後かもしれない。

いや、あまり考えたくないことだが強制ロスカットされて返すことができなくなることだってあり得るのだ。


今の俺にできることは部屋に閉じこもって、家を出る準備をする大げさな物音を聞くことだけだった。

そして、その物音も一時間程つと止み、それほど広くない一戸建ての我が家に静寂せいじゃくが訪れた。

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