第22話 2020年5月7日 踏み上げ相場①

ゴールデンウィーク期間中、CFDの取引自体は祝日の間も動いてはいたが、俺は意識的に値段を見ないように努めていた。

そもそも大したニュースもないのに値段が動くCFD市場自体に疑問を感じるようになっていた為だ。

それに値段を見てしまうと直ぐに現在の含み損の金額を計算してしまい、とても平静ではいられなくなるということもあった。

10万、20万の損失ならいざ知らず500万以上の損失を見て平気でいられるサラリーマンなどそういないだろう。

何せ下手をすると年収を超える損失額なのだ。


祝日が終わった今日、久しぶりに株式市場が開場する日となった。

午前8時45分になり先物市場が開く。

少し遅れて午前9時、現物株の市場も動き始める。

日経平均先物の始値は19,500円ちょっとからスタートした。

長期休みに入る前の前営業日に20,000円を超えていたことを考えると悪くないスタートだった。

俺は損失が圧縮されたことに安心してテレワークを開始した。


午前11時からのWeb会議が始まって数分後、事件は起こった。

玄関の方でドアを乱暴に開閉する音、何かがぶつかる音がした後、妻の美奈が血相を変えて俺の仕事部屋に飛び込んできた。

美奈は今日、派遣先の出社制限による出勤調整で休みだったはずだが何があったのか。


「あなた、あなた……」

青い顔をして息を切らしながら話そうとしているのだが動揺しているようで次の言葉が出てこない。

俺はあわててWeb会議のカメラとマイクをオフに切り替えた。


「どうしたんだ?

 会議中だから、できれば少し待てないか?」


俺はつとめて冷静に対応しつつ考える。

美奈とは先日、家族で出掛でかけた時に口論になって以来まともに話をしていなかった。

そんな美奈が血相を変えて飛び込んできたのだから、只事ただごとではないのだろう。

美奈はまだ言葉が出ないようだが首を横に振り続けている。

このまま仕事を継続するのは不可能と判断し、Web会議の参加者にメッセージ『すみません、急用でしばらく中座ちゅうざします。』とだけ送信し、立ち上がって美奈の方に歩み寄った。


「どうした?」

もう一度、美奈に問いかける。


すると美奈はようやく言葉をしぼり出すようにして答えた。

「……ないの。

 茂の……。」


「茂の何がないんだ?」

俺は要領を得ない答えに少し苛立いらだちを覚えながら再度問うた。


「……茂の、お金。

 教育資金がないの!」


今度は俺の青ざめる番だった。

入金するのはいつも給料日後の月末だったので、それまでに一時的に引き出した300万円を戻せば、後で記帳した時にばれても大事にはならないはずだった。

だが、今はまだ300万円を戻せる状況にない。

なんと説明すべきか……。


そんなことを考えてると、美奈はこんなことを言い始めた。

「実はさっき、キャッシュカードがないことに気付いて、それで念の為に通帳に記帳してみたらお金が引き出されていたの。

 警察、警察に届けた方がいいよね。

 私が落としちゃったのかな……。」


涙を浮かべて震える声で俺に聞いてくる。

ダメだ、説明して納得させないと。

俺は落ち着かせるように、どちらかと言えば美奈ではなく自分を、ゆっくりと話し始めた。


「いや、実は茂のお金なんだけど、この間どうしても必要になって借りたんだ。

 黙っててごめん。」

手短に必要最小限の事実だけを説明して様子を見る。


そうすると美奈は安堵あんどの表情を見せ、その後ぐに厳しい目付きになって身を乗り出してきた。

「どういうこと?

 お金が必要ってなんで?

 そもそもあれは茂のお金であってあなたのお金じゃないよね?

 元々はそうなのかもしれないけれど、1/3は私が出しているお金だよ。

 ちゃんと説明して!」


納得するまでは絶対に引き下がらない、そんな気迫を美奈から感じた。

そして、俺の額や背中、脇からいやな臭いの汗がき出してきた。

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