第24話 2020年5月7日 踏み上げ相場③

真っ昼間だというのに静寂が訪れた我が家のリビングを見て、俺はため息をわざと大きな音を立てて漏らした。

そうしないと、この時が止まったような空間に自分がまれてしまいそうな気がしたからだ。

とにかく、存在に似つかわしくない環境というのは気が滅入めいる。

音のしないリビングルームなど、その最たるものだろう。


先程のひと騒動で俺は仕事をやる気が全くなくなり、上司に『大変申し訳ないのですが、急用が入ったので休暇に変更させてください』とメールして仕事を無理やり打ち切った。

まだ13時だったが、俺は冷蔵庫から発泡酒を取り出し飲み始めた。


さて、どうするか。

順子にメッセージでも送ってみよう。

今日は有休消化で休みと言っていた気がする。


「なにしてる?」


するとすぐに既読となりメッセージが返ってきた。

「部屋の掃除して、今は株価チャート見てる」


そのメッセージを見て、すかさず通話アプリで順子を呼び出した。

開口一番はこんな感じだった。


「ちょっとー!

 電話かけられたらチャート見れなくなるんですけど。」


「いや、すまんすまん。

 また相談のってもらおうかなと思って。」

結構重い相談なんだがな、と心の中で付け足す。


「なんだね、チミー。

 今日は仕事じゃろ?

 テレワークをいいことにサボりかね?」

おどけた感じで順子が返す。


「いや、仕事だったんだけどね。

 途中から休みにした。

 そのことで相談かな。」


「なんか面倒くさそうな臭いがぷんぷんするね。

 一応聞くけど、なに?」

順子の警戒レベルが上がったことが口調からわかる。


「いや、実はうちの奥さんがさっき家出しちゃったんだよね。

 まあ、行き先は実家とは思うんだけど。」

俺は重い話をつとめて軽い口調で言った。


「一大事じゃない!

 いったい何した?

 浮気か?

 他所の女とやったか?

 どこぞの女とハメたか?」


「いやいやいや、それ全部同じだし。

 大体、ハメたって何よ?

 女性に対する幻想が崩れるから、そういうの言わないで。」


「そうかー、すまんすまん。

 で、何で奥方はお隠れあそばした?」


なんだか変な日本語で間違っている気もしたがスルーして質問に答えることにした。

「まあ、浮気、なんかな?」


すると順子は嬉しそうに言った。

「マジっすか!

 春雄もやるねー。

 で、相手は?」


「それが……、どうも順子との関係を疑われているらしい。」


「へ?

 ええ?

 なんで?」

順子は頓狂とんきょうな声を上げた。


「いやさ、この間外出自粛しているときにカフェに行ったこととか、最近メッセージしてたことを疑ってたらしいんだよね。」


「えー、あー、そうかー。

 んー、困ったね。

 私が直接奥さんに電話した方がいい?」

順子は急に申し訳なく思ったのか、そんなことを言いだした。


「いや、いいよ。

 そのこと以外にも子供の世話とかスマホばっかいじってるとか、勝手に子供の貯金借りたりしたのが気に食わなかったらしいから。」

俺は借りた金額だけは伏せて理由を説明した。


そうすると順子は

「なるほどねー。」

とだけ言って黙り込んだ。


しばしの沈黙の後、この話題を続けるか、別の話題にするかを戸惑とまどっていると順子がまたしゃべり始めた。

「春雄さ、ひょっとしたらさ、ショートをげられてない?

 子供の貯金借りたっていうことは、追証おいしょうに使ったんじゃないの?」


「ショートを踏み上げって?」

なんとなく意味はわかるが確認の為に聞く。


「ショートってのは空売りとかの信用売りのことね。

 で、踏み上げってのは売った金額よりもその商品が高くなっている状態。

 も少し具体的に言うと、19,000円で先物をショートしたのに先物が20,000円に上昇した状態。」


俺はその答えを聞いて、なんて勘の鋭い奴だと思いながら肯定した。

すると順子はこんなアドバイスをくれた。


「そうかー。

 私はさ、春雄がいくらでショートしているとか、いくら証拠金突っ込んでるとかは聞きたくないんだけどさ、今のポジションは早めに解消した方がいいと思うよ。」


「それはなんで?

 株とか先物なんてどっちに振れるかわからないよね?」

俺はがんばって反論する。

本心を言うとどっちに振れるかではなく、下がってくれないと困るのだ。


「今の相場って、私は踏み上げ相場だと見てるんだよね。

 で、踏み上げ相場って一旦価格が上昇しだすと……」


「上昇しだすと?」

俺はもったいぶった言い方に少し緊張して唾を飲み込んだ。


「上昇が上昇を呼び、止まらなくなるの。」


また順子に嫌な予想をされたと思いつつ聞く。

「それはなんでそうなる?」


「今さ、世の中には春雄みたいにショートしている人がものすごく多いの。

 で、ショートしている人の大半は損をしている状態。

 そんな状況で株価が上がると、みんな損に耐えきれなくてショートポジションを解消、つまり買いを入れるの。

 ショートしていた人が買いを入れるとどうなるでしょう?」


「株が、上がる?」

俺は恐る恐る答える。


「ご名答。

 買いが入ると値段は上がります。

 で、上がると更に今まで含み損に耐えていた人が耐えきれなくなって買うから、どんどん値段が上がるのね。

 これが踏み上げ相場。

 しかも、この状態の時は株価が下がってもすぐに買いが入るから、あまり値段が下がらないの。」


「でも、ファンダメンタル的には株価が上がるっておかしくない?」

自分の顔が青ざめているのがわかっていたが抵抗せずにはいられなかった。


「ファンダメンタルはこの状況下では意味ないと思うよ。

 意味を持つなら、そもそも20,000円には復帰しなかったと思うしね。

 前にも言ったけど『市場は常に正しい』だよ。」


「わかった。

 自分のポジションはもう一度考えてみるよ。」

俺はそう言うのが精いっぱいだった。

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