第2章

 異世界から、得心いかぬまま流されるように送り返されて、三ヶ月が経とうとしていた。

 向こうにいたのは丸一年ほどであったが、時間の流れが違うのか、こちらでは三日ほどしか経っていなかった。

 それでも高校で起こったセンセーショナルな集団失踪事件であるので、一時は耳目を集め、取材や警察の捜査がひっきりなしであったが、行方不明の当事者四人が四人、正直に『何が起こったかわけがわからない』で突っぱねていると、特に被害もないため、次第に風化し、あっという間にネットですら話題にも登らなくなっていた。


 光は、放課後の空気が大好きだった。

 赤い空。運動部の掛け声。様々な用件や思いを抱えて校舎内を行き来する生徒。空の光量が次第に落ちてゆき、それにつれ、校内の活動の熱量もゆっくりと冷めてゆく。

 光は、そんな放課後の教室で、机の上に頬杖をつき、半覚醒のまどろみの中でぼーっとするのが大好きだった。


「小貝川光、いるか――、あ、また寝てる」


 三笠つかさが、吹奏楽部の勉強会を終えて、教室に光を探しに来た。吹奏楽部も、三年は部活動としては八月に引退済みであったが、有志で総譜スコア勉強会をやっており、それに参加した帰りだった。受験勉強の良い息抜きになっている。


「んッ、んーッ。大丈夫っすよ、起きてます起きてます。あと、ひかるでお願いするッスよ。

 フルネームだとセンセに呼ばれてるみたいで眠気が冷めっちゃうんで」


 ふあーっと、光は大きくあくびをして上体を起こす。

 この先輩、いつも入りがフルネーム呼びで、それは文句言っても変わらないので、もう変わらないだろーなー、と光は半ばあきらめながら、もういっちょ大あくびをキメる。


「光さ、お前いっつも寝てる気がするけどさ、平日は何時間寝てるん?」

「夜の睡眠は最低十時間はないと調子悪くなりますねえ」

「絶対脳が腐るよそんなに寝たら」


 つかさはきっちり約束の時間通りに現れた。これから二人で並んで帰り、駅ナカのコーヒー屋に向かうことになる。

 ここしばらく、光とつかさは毎週木曜には一緒に帰り、駅ビル内のチェーンの喫茶店で喋ってゆくのが習慣になりつつある。話す内容はとりとめもなく、コーヒーを飲みながら、三年生で受験生のつかさが、受験のストレスの愚痴などを、まだ二年生の光が半分寝たまま聞き流しているような形で、意味のあるようなないようなことをうだうだ話しながら、そんなに遅くならないうちに解散する。


「そういえば。向こうに居たとき、男女が半年も一緒に旅したら、誰かくっつくかと思ったんですが、結局誰もなにもありませんでしたねえ」


 珍しく、光から話を振る。


「あれは逆に距離が近すぎて見えすぎたんだと思うぞ。アタシも光も基本的生活習慣が壊滅してるんで、だらしないダメ人間なのがお互いに完全にバレた」

「前田くんだけだったね、生活の基礎がちゃんとしてたの」

「あいつは育ち良いな。

 高沢もひどかった」

 つかさが思い出し苦笑いをする。

「実はですね、ボク、つかさ先輩に洗濯の生活魔法教えてもらうまで、下着洗えなくて長いこと着けてなかったんスよ」

「おいおい、流石にちょっと引くぞ。だらしないの範囲通り越してるよ。

 結構後じゃなかったっけ教えたの」

「魔王城に向かって出発してから二ヶ月めくらいでしったけ。でも、だんだんノーパンの方が楽だと思い始めたのは、さすがの僕でも人として一線越えてしまうと焦ったス。

 回復術師の正装がひらひら飾りの厚着系ロングスカートだったので、みんなにはバレてないと思いますけど。

 つかさ先輩の魔術師正装みたいな格好だったらヤバかったスね」

「あれはねえ。正装っつうか、アタシが精霊魔術習ったジジイが、大気中にいる精霊と素肌の接触面積を最大にするため、なるべく布地少ないほうがいい、とかなんとか言って持ってきた奴なんだけど、アタシの精霊と通じた感覚だと、服の布地なんか精霊には関係なさそなのよな。

 あのクソジジイには、いつか落とし前つけさせてやるつもり」


 懐かしそうに、つかさは微笑む。

 光は、秋の夕暮れで朱に染まる校庭を眺めながら、


「つかさ先輩」

「ん。どうした珍しく、眠気が含まれていない目してるぞ」

「まだ、魔術使えますか?」

「使える。

 召喚系は応答がないが、それ以外は、攻撃系も補助系も生活系もほぼ問題ない」

「ボクも同じです。誰にも秘密にしてますけど」

「まあ、それがいいだろ。他者に知られてもろくなことにならん」

「それでですねえ、そのへん前提にした話なんでスけど、

 つかさ先輩、向こうに戻ってみたくないですか?」

「興味はないでもないけどね。

 でもさ、スピカの説明が正しい、もうなくなってることになってるでしょ。あの異世界」

「……やっぱり。

 先輩も疑い持ってますね、スピカわんころの言ってた終わりエンディングには」

「そりゃもう。

 アタシはあんたほど賢くはないけど、昔からなんとなくわかるのよ、そういうの。

 あの子スピカとは結構一緒に居たから。

 正体表して豹変するにしろ、あの子なら、

「ボクもスピカわんころの言葉には最初から疑い持ってまして。

 彼は、『世界はこれからエネルギーに変換されて消滅する。すべてが失われ、君たちの救った世界は残念ながら滅ぶ』、と言ってました。

 あのワンコもどきの言うことバッドエンドへの反証は簡単なんスよ。

 だから、一緒にやってみましょう、つかさ先輩」

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