乱離拡散【拾捌】


      *


 馬の蹄が雪道に乗りかかる。吐息の白さと空気の冷たさに身震いしながら、奇妙丸きみょうまるは城を振り向きたい衝動を堪えた。


「まったく……いくら何でも供が少な過ぎます。こんな急にじゃなくて、もう少し前もって言ってくだされば、人を集められましたのに……」


 ぶつぶつと文句を言うのは、庄九郎しょうくろうである。確かに一理あるが、今回の遠乗りは、もともと信長から奪い取った「御役目」が絡んで来る。家老達には相談もできないし、仮に失敗した場合、周囲にもたらす迷惑は最小限に済ませたい。

「いや、小姓達に黙って出て来たという時点で、大迷惑が掛かってますが?」


「いいじゃねえかよ、庄九郎」 

 長可ながよしは馬の上で、器用に握り飯を飲み込みながら、げらげらと笑った。

「秘密の御役目なんて、早々滅多に担えるもんでもねえんだしよ、面白ぇじゃねえか。手柄は俺達だけのもんにもなるしよぉ」

「失敗したら、どうするつもりだ」

「簡単だ。失敗しなきゃいい」

 長可の黒鳶色の双眸が怪しく光る。

「なるほど、明快じゃな」

 負けたらどうすればいいのか――端から負けない戦にする。これ以上の護り手というのは存在しない。

 無論、これまで連れて行かれた戦でも、引き際が肝心であるということは、何度も見て来た。しかし、今回の御役目は、何があっても引くことは許されない。散るか進むか、その二択しか奇妙丸には許されていないのだ。


(つくづく俺は、京と因縁があるのじゃなぁ……)


 織田の嫡男として、手駒として、今でも悪夢に見るような役目を担わされた一度目。

 そして、都を目指した妹が危うく殺されるところで、二度目。

 二度あることは、三度も四度も起こり得る。今後も上洛を果たす機会は訪れるだろう。その度に何が降りかかって来るのか、いっそ見物だとさえ思えた。


「勝蔵、儂にも握り飯を寄越せ」

「若、お行儀が悪うございます」

「よかろう、たまには。そんな説教、聞きたくないぞ、庄九郎」

 奇妙丸は投げて渡された握り飯をんだ。豆味噌の香りが鼻を通り抜ける。続けざまに大蒜おおびるを齧る。辛さと強烈な臭いに顔を顰めそうになったが、体の芯からぽかぽかと温まって来た。

「庄九郎、お前も食え。お前も腹が減っておろう」

「それは、そうですが……」

「いいから食えよ」

 長可が庄九郎に向かって握り飯が入った包みを渡す。受け取っても尚、庄九郎は食べるか否か悩んでいるようだった。

「とっとと食わねえと、俺が食っちまうぞ!」

 長可が脅かすと、庄九郎もようやく包みを開いた。

 同じものを食べているというのに、個性が表れるものだ。長可の食べ方は、獣が血肉を貪るようなものだ。奇妙丸はなるべく行儀よくするよう心掛けている。そして庄九郎は、大蒜を齧っているだけなのに、妙な色香が漂う。


 包みを破棄しながら、輿に帯びた刀の音を感じる。馬が鼻を鳴らす音にじり、唾鳴りが聞こえた。


 まだ城を出てから、一刻程度しか経っていない。それなのに、二度と岐阜に戻れないのではないかという気持ちになった。

 奇妙丸は着物越しにそっと懐に、触れる。色あせた守袋の存在が、萎れかけた心を奮い立たせてくれた。


   ◇◆◇



      *



「なに? 奇妙丸が出奔したと?」


 配下の報告を聞いた津々木蔵人つづきくらんどは目を細めた。しかし、出奔という線は薄いだろうと思い直す。

「供は、何人じゃ」

「2人にございます」

「ふん。まともに供も付けずとは、やはりうつけの子はうつけじゃな! 討ち果たすは容易かろうよ」

 信長もかつては、よく供も連れずに遊び歩いていた。馬を駆けて阿呆のような恰好で大騒ぎする姿に、土田御前は顔を顰め、頭を抱えていたものだ。


 供の者と聞いた後、ふと思い出した顔がある。於泉が津々木に会いに来てくれた時、於泉を連れ去った若い男――確か、於泉は、


勝蔵しょうぞう殿』


 と、呼んでいた。


(あのわっぱの顔にも、見覚えがある。あの男は――そうだ)


 鎮めたはずの殺意の炎が、燃え上がる。

 黒鳶色の双眸。鋭い眼光。十文字の槍を振り回していた。主君を見誤ったがために早々に死んだ、馬鹿な男の息子だろう。討死したと聞いた時には、笑いが止まらなかった。


信勝のぶかつ様……」


 目を閉じ、主君の面影を思い浮かべる。


「此度、ようやくあなた様の復讐を果たすことができまする。どうぞ、お待ちくださいませ」


 津々木は、灯した火に刀身を近づけた。。灯りを浴びた鋼が輝き、津々木の胡乱な目を移し込む。


 信勝の墓前に相応しい花を、ようやく供えられる。信長の嫡流を絶えさせ、信勝の血に織田家の名を飾る。そのことがようやく叶いそうだ。津々木は高揚感を押さえながら、配下の制止も無視して外に出た。


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