乱離拡散【拾参】


       *


 嘉之助かのすけ親子の見送りを終えると、兵庫ひょうご藤兵衛とうべえは顔を見合わせ、肩を竦めた。


「態度がでか……否、肝の据わった娘であったな。あれは嘉之助も苦労しておろう」

「首が飛ぶ可能性を考えておらなんだろうか……まあ、愛らしい娘御ではあったが。嫁の貰い手が素直に見つかると良いな」


 家臣達がそんな会話をする傍ら、乱丸らんまるは閉じた門の方をじっと見つめている。頬が、赤い。熱でもあるのかと心配した長可ながよしは、弟の頭を軽く叩いた。

「どうした? 今になって、手首が痛み出したか?」

「いえ……」

 ぼんやりとする乱丸は、遠くに魂を飛ばしたような顔をしていた。

「お万里のこと、ですが……」

「お万里?」

「怖かったし、恐ろしいと思ったのです。でもそれ以上に、もう少しと言わず、ずっと眺めていたいと思って……不思議な気持ちになります。この感情は、何と申すのでしょう……?」

「へえ?」

 長可は、目をしばたいた。


 まだまだわらべと思っていた。しかし、幼くとも、乱丸も立派に男だった。

 花の精のような美しい少女に関心を抱く程度には、色にも興味が芽生えているらしい。確かに長可も、初めて会った時は、幼気な童女の癖に、あんなに美しい生き物が存在するのか、と驚いたものである。初めて茶器に興味を持った時と似たような高揚感だったので、乱丸の気持ちはよくよく理解できた。


「兄上、お万里は……次は、いつ城に来るでしょうか?」

「さあ……。嫁入りの時じゃないか」

「え……」

 乱丸が妙に表情を明るくした。

「ああ、でも、どうだろうな……」

 商家の娘を行儀見習いと称し、花嫁修業として預かることはある。岐阜にいるえいのところにも、そういった娘は何人かいた。

 しかし、まだ万里は9歳だ。向こう3年は先の話である。

「何より、お万里は豪商の一人娘だしな。婿を貰うことになるのなら、事情は……って、どうした? 乱」

 先程までは熱を孕んだように顔が赤かった乱丸だが、今度は急に蒼褪め、今にも泣きそうな顔をしている。


「いえ……うん、分かっていました……あわよくば、なんて有り得ませんよね……うん……」


 乱丸は長可の手を払うと、とぼとぼと縁を這い上がり、部屋の戸を硬く閉ざし、長可が何度呼び掛けても出て来ることはなかった。


   ◇◆◇


「なんだ? あいつ」


 閉じた扉の隙間から漂う陰気に首を傾げながら、長可はどすどすと廊下を歩く。ここは、長可の城だ。足音に遠慮することなどない。

「腹でも下したのかと思って心配してやってんのに、うんともすんとも言わねえ。兵庫、あとで虫下しの薬でも持って行ってやれ」

「いえ、殿……。乱丸様に必要なのは、虫下しの薬ではないかと……」

「? じゃあ、何が必要なんだ?」

「……殿は、何もお気になさらずともよろしゅうございます。弟君達のことは、藤兵衛に任せればよろしいかと」

 若干兵庫が呆れた気がしたのは気のせいだろうか。しかし、長可があれやこれやと気を揉むよりも、傅役に預けた方が確実である。それもそうかと納得しながら、長可はその場を後にした。


 自室に兵庫を招き入れ、座に着く。戸が閉まると同時に――表情を消した。


「兵庫。お前は、我が父が存命の頃より、当家におるな」

「――は」

「当然だが、この俺よりも長く生きている。つまり、お前は表の政に、深く関わっておろう」

「無論にござる」


「清州、那古野、末森、そして、岐阜。この近辺で、お前と我が父が関わったこと――洗いざらい、吐け」


 嘉之助に聞いた地名で、思い立ったことがある。


 清州と那古野は、信長のぶながのかつての居城である。岐阜は信長が現在、居城としている。

 末森は、信長の城ではない。末森城は、信長の同母弟おとうと信勝のぶかつの城であった。


「それと――伊勢の方には」


「伊勢?」


 兵庫が目を見開いた。


「まさか、茶筅丸ちゃせんまる様と三七さんしち様の元に何ぞございましたか」


「――へえ、やっぱりそこも絡んでるのか」


 兵庫が目を反らした。口を滑らせただけらしい。普段は頼りになる男だが、時折脇の甘さがある。無論、そういった人間臭さも含め、長可は気に入っているのだが。


「答えろ。――織田おだの姫を襲撃した犯人、知ってんだろ。俺にとっちゃ主君の面子が掛かってんだ」


 兵庫は頑なに口を開こうとしない。たとえ長可が首を落とそうと刀を抜いたとしても、黙したままなのだろう。

 しかし、これで充分だった。この土地に関わる者で炙り出せばいいことが分かったのだから。


(茶筅丸様と三七様には、共通していることがある。従兄弟であり、近習でもある国丸くにまる殿と、新八郎しんぱちろう殿――この2人の父の名が同じだということだ)


「兵庫、これ」

 話を変えるために、長可は嘉之助に渡された壺を、兵庫の面前に置いた。

「庄九郎に届けてくれ。刀傷に効くんだとさ」

「……於泉おせん殿のためですな?」

「まあ、一応な。今回は失敗だったが、次に嫁に行く時、せめて白粉おしろいで隠せる程度にはしときてぇだろうしよ」

 腐っても、於泉は女である。なるべく戻せるならば、元に近づけたいと願う気がした。というか、それは長可が願っていることである。


 壺を持った兵庫を見送り、床の上に背を倒す。見上げる天井がいつもより高く感じた。


(あとで、若に文を出さなきゃな……)


 次に岐阜に行くまでに、考えなければならないこと、調べなければならないことは、山ほどある。

 金山にどれだけ記録が残されているのかは、分からない。兵庫達が燃やしていなければいいのだが。


 高くそびえ立つ山は、思いのほか大きい。ぼんやりしていると、眩暈がする。

 歪んだ視界を振り払うように起き上がった長可は、立て掛けていた槍を片手に庭に駆け下りた。




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