梅林止渇【参五】


      *


 ぼんやりと、屋根の縁を見つめる。ぽたりぽたりと、氷の柱を伝いながら、滴が落ちる。やがて細くなった氷柱は縁にしがみ付いていることが困難になったのか、潔く屋根から手を離し、砕け散った。


 信長はその光景を、黙って見つめていた。

「於泉殿の件、お済みになったようですね」

 膝の上の夫の頭を撫でながら、帰蝶が何とも言えない顔をしていた。

「於泉殿のことは、いささか可哀想と思えなくもないのですが――」

「仕方あるまい。信澄のぶずみ達が怠惰になられても困るしな」

 於泉の兄達は、於泉の出自を気付いているだろう。特に同母の新八郎は、於泉と話をしているのを見たことがある。


 信長が信勝の息子達を生かしているのは、使い勝手があるからだ。もし役に立たなくなったら、使い切って捨てるだけである。


「何より――を見ていると、この辺りがおかしゅうなる」

 と、信長は鳩尾の辺りを軽く撫ぜた。

「殿。仮にも姪御にはないでしょう」

「名を、あまり呼びとうない。罪の意識が芽生えそうになる」

 顔を顰める信長は、少しも悪いとは思っていないのだろう。帰蝶は若干頬を引き攣らせながらも、窘めるように額を叩いた。

「そのような肝の小さい殿方ですか、殿は。私には、そうは思えませぬが。……ですが、於泉殿のお陰で、ねずみは炙り出せそうですか」

「うむ。儂はうつけ故な。きっと、彼奴あやつらは儂のことを15年も経つのに変わらぬままと思うておるのじゃろう。まこと、面白いのう」

「哀れなほどに、時が止まったままなだけにございます」

 信長の掌が伸ばされる。三十路を過ぎても変わらぬ、皺1つない頬に恐る恐る触れた。


 帰蝶がその掌を握り返していると、廊下が騒がしくなった。


 信長が嬉々として体を上げる。戸の向こうから入ってきたのは、信長が放っていた間者である。間者からの報告に、信長はより一層目を輝かせた。

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