第15話 正義
翌日は土曜日だった。
壁に掛けられた時計を見ると、針は午前十時より少し前を指していた。
少年はもう公園にいるだろうか。はたまた既に両親に見つけられてしまっているだろうか。そもそも彼は公園に来てくれるだろうか。
もし来なかったとしたら、そのときはそのときなのだろうと思う。あの少年が自分の意思で決めたのであれば、どのような選択であっても間違っていないような気がした。─その選択肢の中に正解があるとは限らないのだろうが。
部屋を出る直前、ふと卓上に置かれたカレンダーを見る。青色で簡素に表記されている日付を見て、自分が誕生日を迎えたということに気がつく。
私は二十歳となっていた。
ひとつ年齢を重ねたことに、何の感慨もなかった。
◇
空は青く澄んでいた。秋晴れとはきっとこういった天気のことを言うのだろう。
土曜日の公園には、おそらく散歩途中なのであろう老夫婦や、まだ歩けるようになって間もないくらいの幼い子どもを連れた家族がいた。誰も使っていない遊具の周りでは、数羽の鳩が一心不乱に地面をつついている。休日の朝という時間帯に調和した、穏やかな風景だった。
ふう、と短く息を吐いてから、ベンチのある方向に目を向ける。
─昨日と同じ場所に、あの少年が座っていた。
彼はリュックサックを膝の上に抱えたまま、ただ顔を俯けていた。眠っているのだろうか。ひとまず、まだ親に連れ戻されてはいないことにひとまず安心する。
彼にはもう一度、訊かなければならないことがあるのだ。
少年に近づいて「おはよう」と私が声をかけると、彼は気怠そうに顔を上げて小さく頷く。寝ていたわけではなさそうだ。
彼の顔を見ると、頬に貼られたガーゼが新しくなっている。リュックサックに入れて家から持ち出してきていたのだろうか。
少年は隣に座った私をそっと一瞥すると、またすぐに視線を自分の足元へと戻した。私も彼の足元に視線を落とすが、そこに何かがあるわけでもない。
「ねえ」と私は言う。
「昨日はあの後どうしたの」だとか「親から連絡はあったの」だとか、そういったことを訊くこともできた。「今日は天気がいいね」といった世間話をすることもできるだろう。けれど、私が訊きたいことはそんなことではない。
「君は、自分のお父さんとお母さんを殺したい?」
だからもう一度、昨日と同じ質問をする。
芝生の上にいる家族連れから楽しそうな笑い声が上がる。どうやら柔らかいボールで遊んでいるようだった。ルールも勝敗もない、けれど家族でやるだけで楽しくなるような遊び。
私も少年も、その光景をじっと見つめていた。自分たちの現在と、もしくは過去と照らし合わせるように。
◇
昨日の夜、寮に戻ってから私は迷っていた。
少年の両親を殺すべきなのかということを。
私は人を殺すことができる。
今までに三人の人間を殺した。そのすべては自分のためだ。ある時は自分を守るために。ある時は自分の感情のままに。
私以外の誰かのために人を殺すなんてことは今まで想像したこともなかった。他人のために自分のこの能力を行使するべきではないし、そもそもできないだろうと思っていた。
では、どうして今更になって、少年の両親を殺すべきかなんていうことを考えているのか。
─このままだと少年は自分の両親に殺されるのではないか、という危惧が私の中にあったからだ。
私は父親に殺されそうになったことがある。その父を殺したから、こうして今ここに私がいる。
その気になれば、たとえ親であっても下らない動機で自分の子どもを殺すことができることをあのときに知った。その逆も同じだ。子どもだって、その気になれば自分の親を殺すことができる。ただ"普通"であればそれをしないだけで。
私のやったことが正しいのかどうかは、私の判断することではない。けれど、あの少年が殺されることはおそらく正しくないことだ。
けれど、私はまだ迷っている。どんな事情があろうと、どんなに理不尽なことが少年の身に起ころうと、赤の他人である彼の人生に深く踏み込むべきではない。そんな言い訳のような理性が私を阻んでいる。
こんな時、正義感に溢れたような人間であれば何も迷うことはないのだろうか。目の前の少年を助けるためであれば、なにも厭わない。もし私もそんな人間であれば、もっと楽な考え方をすることができたに違いない。少年が苦しんでいるのであれば、その元凶を取り除けばいい、と。
私に危害を与えないであろう第三者に対して殺意を抱けるかどうか、私には分からない。
あの少年が両親の死を望んでいるのかも私には分からない。
だから、もし彼が真に自分の親の死を願ったのだとしたら。
彼らを殺すことができるかどうか試してみようと、そう決めた。
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