第3話 ある夫婦とその娘

 やがて、そんな両親もふとしたことをきっかけに離婚をすることとなる。


 ある日、父と母は些細なことで口論となった。いつもと変わりのない夕食の時間だった。私の記憶の限りでは、母の作った料理の味付けが濃いだとか、父が食べ終わった後の食器を片付けないだとか、そのくらいに程度の低いものだったように思う。


 こういった言い争いが起きるのは珍しいことではなかった。こんな家庭においても、一般的であろう夫婦喧嘩の範疇での言い合いというものがたまに行われるのだ。


 しかし、その日はたまたま父の虫の居所が悪かったのか、もしくは母も同じくそうだったのか、いつもより口論は長く続いた。私は食卓でただ黙って俯き、気配を消すことしかできなかった。父の中で着実に積み重なっているであろう苛立ちが、いつ私への暴力という行為に変換されるのだろうかと気が気ではなかった。


 そんな私の心配は杞憂に終わった。


 終わりの見えない口論に痺れを切らした父が、母の顔に平手打ちをしたのだ。


 パチン、という風船が破裂したような、けれどどこか間の抜けている音がリビングに響いた。


 母は片手で頬を押さえながら、信じられない、というようにその目を見開いていた。父も同じく自分の取ってしまった行動に驚いたのか、まるで手相でも観察するかのように自分の手のひらを穴が開くほど見つめていた。


 私も驚いていた。父が母に対して手を上げるのは、私が見る限り初めてのことだったからだ。


 どうやらその出来事をきっかけして、母は離婚することを決めたらしい。


 いやいや。


 娘の私が暴力を振るわれている時点で離婚しろよ。


 人生で初めて、他人に対して殺意が芽生えた瞬間だった。


 ◇


 離婚の手続きというものは思っていたよりもあっさりしていた。実際にはもっと煩雑な段階を踏んでいるのだろうが、少なくとも当時の私の目には離婚届に記入して判を押す、ただそれだけの行為のように映った。


 両親が離婚した後、当然というべきか、私は母とともに暮らすことになった。まだ中学生になったばかりの私に、ひとりで生きていけるだけの手段や環境を得ることができるはずもなかった。


 これから私が家を出るまで、母とふたりで過ごすことには耐えなければならない。けれど、父から暴力を振るわれる日々が続くよりはいい。新居であるマンションのエントランスに足を踏み入れたとき、これで少しは私も生きやすくなるかもしれないと密かに胸を撫で下ろしてさえいた。


 そして、新しい家に引っ越してから数週間後。新しい家の間取りにも、今までとは違う通学路にも、夫という理解者がいなくなったことでよりいっそう精神的に不安定となった母との接し方にも、彼女から浴びせらせる苛烈さを増した暴言にも慣れてきた頃に、来訪者があった。


 夜。インターホンが鳴らされることもなく玄関の扉が開く音がした後、リビングに姿を見せたのは父だった。仕事が終わってそのままこの家に向かってきたのか、彼は見慣れた濃い紺色のスーツを着ており、その片手には黒革のビジネスバッグを提げていた。


 私は戸惑った。頭の中で考えていることが、果肉の熟れきった果実のようにぐちゃぐちゃになった。


 なぜ、父がここにいるのだろう。


 私の疑問を余所よそに、母はまるでそれが当然であるかのように何の躊躇もなく「おかえりなさい」と夫を迎え入れる。片手間に家事をこなしながら、不気味なほどに優しい声音で夫を─いや、元夫を労う。父もまた当然のように妻に、いや、元妻に応える。ただいま、と。


 離婚というのは夫婦が別れ、それぞれが新しい人生を歩むということを意味している行為なのだと思っていた。しかし、どうやらそれは私の勘違いだったらしい。


 このふたりにとって離婚とはごく一時的な別居にしか過ぎず、ほとぼりが冷めてから復縁することを前提とした、いわば彼らの描く理想の夫婦生活におけるひとつのライフイベントだった。雨降って地固まる、という諺をその人生にかけて体現しているかのようだった。


 父と母は、互いが愛しくて堪らないというようにその身体を抱きしめ合っている。私の見ている前で、軽い口づけを交わしてさえいる。彼らは一組の夫婦である前に、抗いようのないまでに男と女という性である。その事実をまざまざと見せつけられているような気がした。


 けれど、そんなふたりは本当に幸せそうに見えた。どこからどう見ても、幸せな夫婦そのものだった。


 私はふらふらとリビングを出てトイレへ向かい、吐いた。胃に溜まっているものも、自分の心の奥底で渦巻いている淀んだ感情も、そのすべてを吐き出してしまいたかった。もちろん感情なんてものが形を成して出てくるわけもなく、私の口から流れてきたのは胃液と、胃液にまみれてよく分からない固形物くらいだった。


 こうして、いつもと変わらない日常がいとも容易く戻ってきた。


 愛情に満ちた夫婦間のやり取り。父から振るわれる暴力。相変わらずその様子を傍観している母。しばらく時間が経つと暴力が止む。すると母が自分が無力であることを泣きながら詫びる。その繰り返し。


 もはや私の中に生じたのは怒りや絶望ではなかった。自責の念だった。


 私がこうして生きていることにいったい何の意味があるのだろうかという自問。どうして私は生きてしまっているのだろうかという呵責。


 父は妻だけを愛している。母は夫だけを愛している。凹凸が完璧なまでに組み合っているようにそこに他者は介在しないし、必要ともしない。ふたりの子どもである私ですら、そこに割って入ることはできない。


 このふたりは、私がいなければ完璧な"家族"だ。


 私が産まれさえしなければ、ふたりが私に対して身体的にも精神的にも暴力を振るう手間も省くことができたのかもしれない。


 私が産まれさえしなければ、ふたりはもっと幸せな人生を送ることができたのかもしれない。


 私が産まれさえしなければ、そもそも私はこんなにも苦痛に満ちた日々を送ることもなかったかもしれない。



 その日から、自殺を考えるようになった。


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