第60話 キリク視点
「使えないわね……」
「申し訳ありません姫様。ですがもうこれくらいしか……」
王女キリクは苛立った様子で従者をにらみつける。
これで希望通りのメニューが届けられなかったのはもう三度目。
三度もミスをして未だキリクに仕えているのはもしかすると彼が初めてかもしれない。
「ふん……まあいいわ。もたもたしないで。さっさと準備を」
キリクが苛立ちながら席に付き、食事を取り始める。
何かあればすぐに駆けつけ、いやむしろ何かある前にキリクの表情や態度から希望するものを読み取り対応していたあの執事はもういない。
キリクは自分自身が自覚していない部分まで踏み込まれることすら多かったことにリィトがいなくなってからの期間で気付かされていた。
「まったく……」
最初の数日は自分が何をしたいかもコントロールできない状況にあった。
もちろんリィトがいなくなったことに対するストレスというのもあるが、それは次第にこれまで自分の決定すらリィトが支配していたことを気づかせることになった。
たとえばオレンジジュースが飲みたいと言ったとする。
リィトの代わりを努めた一人目は、ビクビクしながらも即座に要望通りのものを用意した。
だがキリクは口をつけるなりそれを叩きつけたのだ。
「私が欲しかったのはこれじゃない」と。
キリクにすれば当たり前の行動だった。なにせそれまでは一言オレンジジュースといえば自分が飲みたい温度で、自分が飲みたい味にアレンジを加えて出されていたのだから。
そんなことはまるで頭にないキリクと従者はお互い頭を抱えた。
数日たってようやくキリクは理解したのだ。改めてあの優秀すぎる執事の偉大さを。
「で、あの連中の動向は追えているんでしょうね」
「民衆軍レジスタンスですね。問題なく。ですが本当に放置でよろしいので?」
「じゃあ貴方が先んじて手を打ってくれるのかしら?」
「それは……」
キリクは好き勝手わがままを叶え続けてきたが、一点、武力に関しての権限だけは一切与えられていなかった。
私兵団、親衛隊、あらゆる武がないのだ。
形の上では王都騎士団の一隊がキリクを警護することになっているのだが、もはや機能していないことは誰の目にも明らかだった。
「まったく……リィトが今までどれだけのことをやってきたか、こんな形で気付かされるなんて……本当に……」
状況を正しく理解しているのはキリクだけだった。
なぜなら残った使用人たちもまた、リィトの有能さに気づけないままのんびりと過ごしてきたものたちだったから。
そうでないものはすでに離れていっていた。
その恩恵をどれだけ受けてきたのか理解していなかったがゆえに、今もどうして仕事がうまくいかなくなったのかすら理解しきれていない。
「こんなことなら何人か残しておくべきだったわね……」
あの暴君キリクを持ってして、感情に任せて追い出した者たちを呼び戻したくなるほどに、絶望的なほど使用人たちのレベルは下がっていた。
「民衆軍レジスタンスは明らかにどこかの金づるを捕まえたわね……」
動向だけは追いかけ続けたキリクには民衆軍レジスタンスの動きが活発化した背景まで見えている。
だがその相手が誰かまでは見当が付いていなかった。
民衆軍レジスタンスの狙いはおそらくだが自分だ。もともと貴族王族に対する不満のガス抜きのための組織だったが、こうなってくるともはや、本気で生命の危機について考えなければならなくなっている。
「考えられるのは金づるを使って傭兵を雇うなり、武器を新調して来ること……私が王都にいない今なら狙い目。ただ殺すより私は生かして交渉材料にしたほうが利用価値はあるわよね」
食事を取りながらブツブツ考え込むキリク。
リィトを失い、追い出されるようにして王国に西のはずれであるこのアレリアという辺境都市に拠点を移した。本来いるはずの護衛は数字の報告の半数も揃っていない。中身もまあお察しの通りという状況だった。
民衆軍レジスタンスがいかに平民だけで構成された大したことのない相手だったとしても、今の状況は不安が大きい。
ましてやどこかの貴族が関わっていたりして正規兵が出てこようものならひとたまりもないのだ。
「ま、さすがにそれはないかしら」
いくらなんでも王族に仇なしてその先生き残れる貴族などこの国にいない。
「とにかくこのくらい、私一人で乗り切ってみせるわ」
キリクが自分の気持ちだけで動く普段の様子を潜めているのはなにも生命の危機を感じているからではない。
むしろその点についてははっきり言って油断しきっているとすら言えた。
本当に気にしているのはただ一点。
「じゃないと、リィトに笑われちゃうじゃない」
帰ってきたときに愛想をつかされては困る。
そのために王女キリクは初めて、努力をしていた。
誰にも見られずとも、誰にも認められずとも、誰にも頼らずとも、この状況を打破すればきっと、あの万能執事が帰ってくると信じて……。
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