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天使の女の子が主人公の話を読んだことがある。
天使の女の子は人間になりたかった。天使の女の子は人間のことが大好きだからだ。
けれど、他の天使から「人間は私たちが守らないといけない存在なのです」と窘められていた。でも、天使の女の子はどうしても人間になりたかった。
だから、天使の女の子は神様に願った。一生懸命に何度も、何度も願った。
神様、私を人間にしてください。人間になって、みんなとお話がしたいのです。人間たちと一緒に時間を過ごしてみたいのです。一緒に笑い合いたいのです。
天使の女の子の願いに神様は、「人間の世界で一人の人間を幸せにすることが出来たらあなたを人間にしてあげましょう。けれど、あなただけの力で幸せにすること。天使の力は封印します」そう、神様は天使の女の子に一年の時間と試練を与えた。
天使の女の子は人間を幸せにしようとした。困っている人を助け、人生の道を外さないよう人を導いた。けれど、それは天使が見えない人間にとって「天使の女の子のおかげ」という幸せではなかった。偶然が当たり前になってしまった救いだった。
それに気づいた天使の女の子は何度も何度も人間に気づいてもらおうと声をかけた。けれど誰一人、天使の女の子の声は聞こえはしなかった。
そんなある日、一人の人間の男の子が天使の女の子に返事をした。その男の子は天使の女の子が唯一見ることも、声が聞こえることも、出来る人間だった。
天使の女の子は男の子の願いを叶えようと尋ねた。男の子は、「友達になって欲しい」と。「僕はいつも一人ぼっちだから一緒にいて欲しい」と。そう、願った。
天使の女の子は男の子の友達になった。男の子と本を読んだり、外を散歩したりした。
天使の女の子は幸せだった。男の子も幸せだった。でも、試練の時間がもうすぐで終わる時、男の子が不治の病にかかった。もう助からないと医者に言われた男の子はベッドの上でこう言った。
天使さん、僕は君と友達になってくれてありがとう。僕は幸せだったよ。
目を閉じてしまった男の子に天使の女の子は泣きじゃくった。試練の合格を告げる鐘がなっても嬉しくなかった。天使の女の子は男の子が大好きだったからだ。
あなたの願いを一つ叶えましょう。
神様が天使の女の子の元に現れた。天使の女の子は神様にこう願った。
私の命と引き換えに男の子を助けてください。
死んだ人間を生き返らすには同じだけの代償が必要だった。天使の女の子は自分の命を差し出した。
あなたの願いを叶えましょう。
神様は天使の女の子の願いを叶えた。約束通り、男の子の病気は治り、元気になった。
けれど、男の子がいくら探しても天使の姿はどこにもなかった。
長い、夢を見ていた。あれは、小さい頃に読んだ本だ。
僕は不公平な話だと、願いが叶うなら天使の女の子の犠牲は悲しすぎると、あの時に怒って以来もう一度も読んでいないと思い込んでいた。読んだことがないと記憶を心の奥に「封印」した本だ。
でも、今なら分かる気がする。天使の女の子はとても優しい子だったんだ。
僕はあの天使の女の子が好きだった。だから死んでしまうのが悲しかったんだ。
まるでちぃのような天使が。
マッチの火すら灯らなかった僕の心は初めて煌々と灯った。頭の中が澄んでいて、真っすぐと僕が逃げてきた道を振り返り、見据える。
僕は、このまま逃げたらいけないんだ。あの男の子みたいに天使と別れたままになったらいけないんだ。だって、ちぃが天使になってまで僕の前に現れたのには意味がある。ちぃはただ僕が心配で天使になるような奴じゃない。僕はその理由を知りたいんだ。まだ、試練は終わっていない。「終わった」とちぃは言っていない。まだ、ちぃはこの世界にいるかもしれないんだから。
大丈夫。今の僕にはきっと出来る。
リュウも風上さんも、ちぃが運んでくれた幸せだと僕には何故だか分かる。だから、二人からも逃げたらいけない。二人には僕の意志を伝えないと。僕たちは離れていても何も変わらないって。ちぃだってきっと、いてくれる。
朝、僕は早起きして学校へと自転車をこぐ。するとランニングをしている少年を見つけた。
「リュウ!」
僕は大声で呼ぶ。リュウは僕に気づくと走る足を止めた。
「セイ、おはよう!」
「ああ、おはよう」
「どうしタ? こんな早くニ」
僕は一気に緊張する。唾が口内に溜まる。けれどそれを不安と一緒に飲み干して、僕は頭を下げた。
「リュウ、昨日の話だけど、ごめん」
「謝るなって、セイ。オレも悪いからサ」
いつもならここで終わっているはずの会話を僕はずっと隠していた自分を顕わにして続けた。嫌われる覚悟で。
「いや、謝るのは僕の方なんだ。僕もリュウと離れるのが怖かった。せっかく友達になれたのにって。自分の進学予定の高校だったらって考えてしまった」
「セイ……」
「でも、絶対連絡もとるし、試合だって見に行く。それで、お互いの学校生活の話をする。リュウとはそんな未来が見えるんだ」
きっと違う制服を着て、違う通学路を歩んで、違う学校生活を送る。でも、そんなことで変わるなら異国から来たリュウと僕はここまで仲良く出来なかった。だから、僕たちは変わらない。友達のままだと。
驚いた顔をするリュウ。でも、すぐに僕にとって眩しい太陽に戻った。
「セイ、アリガトウ!」
リュウはニカッと笑う。ああ、良かった。この笑顔が見たかったんだ。
「じゃあ、僕先に学校行ってすることがあるから」
「分かっタ! また後でナ!」
僕は手を振ってリュウを追い越す。
確か、この時間帯なら風上さんは来ている。今日は図書委員の受付の日だと言っていた。
学校の駐輪場に自転車を置き、下駄箱で靴を履き替えると急いで図書室へ向かった。図書室はまだ電気もついてなくて、扉にはカーテンで閉ざされている。風上さんならこの時間でもいると信じて僕は扉を開けた。
「先生、どうしたのですか……青林君!?」
「朝早くにごめん。返事に来たんだ」
風上さんが目線を逸らして一歩後ずさる。当然だ。告白の返事を聞くなんて心の準備がないと出来ない。
「風上さん、ごめんなさい」
僕はうやむやにしたあの時の自分を振り払うように頭を下げた。僕こそ本当の自分の気持ちから逃げていたから。風上さんを傷つけてしまうことを覚悟の上で。
「気持ちは本当に嬉しかった。でも、僕はどうしても応えられないんだ」
風上さんに婚約者がいるからじゃない。どうしても、応えられない理由があった。なのに、あんなことを言ったんだ。
「青林君、お返事くれてありがとうございます。わたし、やっと自分の気持ちに踏ん切りがつけられました」
優しい月光のような声。秋の涼やかで気品のある風のような声はハッキリと聞こえる。僕はおずおずと顔を上げた。
「風上さん……」
「両親や結婚相手のことはもう一度考えてみます。でも、卒業式まではそんなことを忘れて、また三人で勉強会やお出かけしましょう」
風上さんが微笑む。風のように優しい笑顔。ああ、良かった。やっと笑ってくれた。
二人にはちゃんと、僕の気持ちが伝えることが出来た。
だから、最後は。僕の一年を見守ってくれた天使に。
その日は気が気でなかった。当たり前の学校生活。いつもの二人との会話。なのに、僕の心臓はうるさくて仕方なかった。僕は今まで抱いたこともない感情を零してしまいそうで怖くもあった。
HRが終わって僕はすぐ教室を出た。走り去る僕に、
「オイ! セイ!」
「青林君?」
二人の声が聞こえるが、そんなの気にしない。
今すぐ行かないと。あのお話のように、いつ、消えてしまうか分からないから。僕は急いで自転車に乗ってあの場所に向かう。絶対、あの場所にちぃがいるから。
「千尋!」
僕が叫びながら自転車を乗り捨てる。ガシャンと自転車が後ろでコンクリートに叩きつけられる。
ちぃはブランコに乗っていた。でも、いつもみたいに翼を羽ばたかしていない。ゆっくりと揺らしていた。
「セイ君」
ちぃの顔はどこか落ち着いていて、どこか穏やかだった。少しだけ、ちぃらしくなくて。知らない人みたいで怖かった。でも、僕はちぃから逃げたらいけないんだ。試練を合格して、ちぃを生き返らせて、一緒に過ごしたい。僕にしかちぃを生き返らせることができないから。僕にしかあの日の贖罪は出来ないから。
「千尋、ごめん。僕、当たっていた」
「いいんだよ」
ちぃは穏やかに僕を受け入れる。いつだってそうだ。ちぃは僕にだけお姉さんのような、それこそ天使のような、包容力を見せる。その包容力はいつもの八歳児の精神年齢ではなく、老獪でもあり、少女でもある不思議な柔らかさがある。
「二人にはちゃんと自分の気持ち伝えたんだ」
「セイ君、えらいね」
ちぃは僕の頭を撫でる。変な気分だ。僕はこれから言うことに相応しくなくて。僕はちぃにしっかりした姿を、カッコいいところを見せたいのに。
「千尋、聞いて欲しいんだ」
「どうしたの」
ちぃが、大きな瞳で見つめてくる。その瞳に映る僕は自分でも変だと思うぐらい強張っていた。でも、その瞳に映る自分がちぃの中に確かに存在して安心もした。
僕は伝える。一生に一度しかないこの想いを。
「好きだ」
「え?」
「千尋が好きなんだ」
これが、僕が、気づいたこと。僕は、ちぃがいることが当たり前になっていた。ちぃがいつも僕を助けてくれていたこと。ちぃがいつも僕の心を支えてくれていたこと。そんなこと、気づかずに僕はちぃが死んでも、天使になって戻ってきたことをいいことに、自分の気持ちから逃げていたんだ。僕の初恋はあの児童文学の天使の女の子だと思っていた。再び本と再会しても気づかなかった。僕は天使の女の子とちぃを入れ替えていただけだった。僕はちぃと初めてこの公園に来た時から、好きだったんだ。
ちぃは唇を開く。
「ごめんね、セイ君」
答えはノーだった。僕の頭は金づちで殴られたように痛く、心臓がバクバクする。だって、ちぃが断る理由何てないと身勝手に信じていた。僕たちはそれほど一緒にいたんだから。
「どうしてなんだ。お前が天使だからか? なら、試練に合格して生き返らせるから……」
「違うの」
ちぃは首を振った。その瞳は暗く、吸い込まれそうで、孤独を感じる。僕の孤独と同じ色。
ちぃの薄桃色の唇が開かれる。その言葉を聞いては聞けないと。僕は僕でなくなると、警鐘が響く。
でも、僕は聞いてしまった。
「ちぃはセイ君だから」
僕とちぃが出会うわけがない本当のストーリーを。
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