3
「ただいま」
家に帰った僕はさっさと自分の部屋に戻るためにリビングに向かわない。今の僕は家族の顔すら見たくない。絶対母さんは不機嫌だ。そしてあれやこれや難癖付けては、最後には妹を褒めるんだろう。
アンタは人より何倍も出来ない子。妹はこんなにも出来る子なのに。
今の僕にはそんな家庭状況が耐えられるわけがない。でも、神様なんていないのかもしない。僕に守護天使なんか押し付けておいて。
「星也、来なさい」
母親がリビングの扉を開けて呼んできた。矢のように鋭い言葉。僕はその矢に刺さってしまった。
「何?」
「いいから」
このまま無視してもいいが、後が面倒だ。僕はクラゲになろうと暗示をかけながらリビングに入る。ダイニングテーブルには母親と父親が座っている。僕も座ると、開口一番に母親が聞いてきた。
「星也、アンタ本当に高校行きたいの?」
「え?」
脈絡が読めない。高校に行きたいなんて、今の世の中、高校も義務教育みたいなものだ。それに僕だって自分の入れる所に進学したい。高校だけは出たいと思っている。
それに両親の言う高校に志願書も提出するよう準備して保護者記入欄を書いてもらうために渡している。
何が不服なんだ。僕なりに従ってきたじゃないか。それでも僕を否定したいのか。否定して、僕の心も体も削って、いなかったことにしたいのか。
「当たり前じゃないか」
「でも、アンタ三年生になってから帰りが遅いし、遊ぶばっかりで……。お盆の時も急に友達に誘われたからって。親戚に隠すのが大変だったのよ。長男がただでさえ勉強もろくに出来ないのに、だらしがないなんて。私たちに恥かかせないで!」
ああ、母親はいつもそうだ。
母方の親戚とは僕が生まれる前に祖父と祖母が亡くなったのをいいことに疎遠にして。父方の身内の悪口ばっかり言って、喧嘩して。なのに、うちの子供は上手に育ちましたよ、アピールを世間にしたがる。
そんな母親にとって、才能もなくて、人望もあるわけない、ただ本を読んで過ごしている僕は、お金と食べ物を食べる害虫なのだ。
直接知ったわけではないけれど、母親が女の子を欲しがっていたのは知っている。妹が生まれて、大きくなるのを見ていけば、兄である僕には否が応でも分かるのだ。
「お父さんも怒っているんだからね!」
母の圧力に父親も頷く。顔は一つも変わらず、本心がいつも読めない父親だ。こんな人、信用出来るわけがない。
「確かに星也は最近、外ばかり出かけているからな……。受験が終わるまで外出禁止にするか。高校も受かるのは同然だしな」
「そうね。分かった? 星也!」
勝手に話が進められていく。一度だって両親は……いや、母親は僕に確認なんてしてこない。してくるのは、「はい」と答えて当たり前でしょという同調圧力だ。拒否権は僕にない。
「はい」
その時、妹がリビングに入って来た。いつもタイミングがいい奴だ。
「母さん、いちご大福買っているって聞いているけど?」
「買っているわよ。えっと確か……」
キッチンにいちご大福を探しに行きながら母親が目線で「さっさといなくなれ」と語ってくる。そんな目をしなくてもいつだって僕はいなくなったていいのに。僕はいつだって消えることは考えていた。でも、今はリュウと風上さんがいる。だから、今は消えたくない。
僕は息を殺して自分の部屋へと戻った。
「セイ君、お母さんの言うこと気にしたらダメだよ」
ベッドに座って俯いていると、ちぃは傍をうろうろとしながら僕を必死に気遣う。
「……」
「セイ君はセイ君でいいところいっぱいあって、頑張っているのちぃはずっと……」
パンッ。僕の中で何かが弾けた。
「うるさいんだよ!」
思わず立ち上がって怒鳴ってしまった。ちぃはビックリして床に座り込む。その肩は震えていた。
「大体、お前はいつも全部知った気になって! 何様なんだ! 頼んでもないのに天使になって、僕の生活を邪魔して! いい加減うざいんだ! お前なんかただのもう死んだ人間だろ!」
言ってしまった。怒りに任せたとはいえ、言ってしまった。本心のようで本心じゃない。矛盾した僕の心の内。本当は自分への怒り。そう、気づいた時には遅かった。
「そうだよね。ちぃ、また間違えちゃったみたい」
ちぃは叱られるといつもこうやって謝る。間違えちゃった。それは母親の理想通りにならないと叱られていくうちに口癖になった謝罪なのだろうか。
正しい言葉。正しい行動。正しい選択。
一つでも間違えると本当のエンディングは迎えられない。まるで、ゲームのような僕とちぃの人生。今の僕は、選択を誤ってきた人生だ。家族の理想、友達、試練の合格に必要な言葉を、行動を、選択すら、一つも出来なかった。
「ごめんね、セイ君。ちぃはこれで守護天使の役目を終えるね」
バッドエンド。そんな言葉が浮かんできた。途端に寒気がしてきた。
僕は謝ろうと、ちぃを引き留めようとするが、ちぃは陽炎のように消えてしまった。
静まり返る部屋。それが、悲しくて、虚しくて。もうあのうるさい声がしない部屋が、一人の部屋が寂しくて。おかしくなってしまいそうだ。ちぃが死んだ時と同じくらい。いや、それ以上に僕の心は荒波に揺れて、僕は息が詰まって。
意識が朦朧とした。足の力が抜けて、体が制御できない。僕は力なく座り込んで、そのまま床に倒れて。目の前が真っ暗になった。
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