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「明日からテスト期間ですからね。文化祭が終わったからといって燃え尽き症候群にならないように。一般入試の生徒はこの中間テストも内申書の評価に入りますので。それでは、みんな気を付けて帰るように」
校内でも年配の男性教師がHRの一言を終えると、学級委員の号令で今日も長い一日が終わった。
明日からテスト期間。文化祭が終わったのが先週の土曜日。それから三日経った今日。学生にとっては怒涛のスケジュールだ。
帰る支度をしていると早速リュウがいつものように縋ってきた。
「セイ! 頼ム!」
「全部言わなくても分かっているよ。国語のテスト勉強だろ?」
「イヤ……社会も分からねぇから……ついでニ……」
社会……。そうか、今回の範囲は日本史だ。海外生活の長いリュウにとっては世界史は解けられても日本史が難しいのは当然だ。日本の歴史は世界史と比べると閉鎖的な文化が多い。とは言っても僕も……。
「リュウ、悪い。僕も社会苦手なんだ……」
「セイー!」
本は読むけれど、実は理系なのだ。理系と言っても得意なのは生物関連で、物理とか化学とかになったら話は別だ。
「三人いれば文殊の知恵なのにね」
ちぃ、今それは……。
うぅっと二人で頭を抱えていると、風上さんを思い出した。文化祭の準備の時に、風上さんは歴史書も好きだと聞いたことがある。それなら!
「風上さん!」
帰ろうと革の鞄を持った風上さんは僕にいきなり話しかけられてびくっと肩を震わせる。
「は、はい!」
「あの、社会って得意ですか?」
「一応……」
と言っているけれど、風上さんの成績がいいことは知っている。「一応」は風上さんなりの謙虚な言葉だ。
「今回の中間教えてもらいたいんだけど、構わないかな? 急で申し訳ないけれど……」
「風上さん! オレからも頼ム!」
風上さんは僕とリュウの言葉にえっ、とたじろいでいる。似たようなことがそういえばあったな。あの時はリュウがオレに頼んできて……。いや、懐かしんでいる場合じゃない。僕はまだ風上さんほど人見知りではないから良かったけれど、相当困っているに違いない。
「……わたしで良ければ」
風上さんはそう、いつもよりはっきりと答えた。
「ヤッタ! アリガトウ!」
リュウがガッツポーズをとる。えっ本当にいいのか? 僕は頼んでおきながら拍子抜けしてしまった。
「あの、風上さん迷惑だったら断っていいので」
「いえ、わたしの勉強にもなりますから」
構いませんよと、風上さんは微笑む。まだ半信半疑の僕にリュウはすっかりいつもの調子に戻る。
「じゃあ、オレの家来いヨ! オフクロ大歓迎だからサ!」
ということは風上さんもあの洗礼を受けると言うことなのか。
「と、とても、友好的な、お母様ですね……」
丹波家の洗礼を受けた風上さんは珍生物にでも遭遇した面持ちで呟く。けれど、床にきちんと背筋よく正座して座っている姿は育ちの良さを感じる。いつもドッカリと胡坐をかくリュウとは正反対だ。
「セイ、ユミ! おふくろがポルボロン食べろってサ! 今日はソバオも焼いているゼ」
早速リュウは持ち前の人懐っこさで風上さんを下の名前で呼んでいる。風上さんの本名は「風上弓子」という日本人らしい名前だ。今は引退しているが、弓道部に入っていたそうだ。
「やった! リュウのお母さんのポルボロン好きなんだよね」
「後でちぃにも頂戴ね!」
隣で一緒になって騒ぐいやしんぼうの天使は放っておこう。
果汁百パーセントのオレンジジュースの入ったコップを人数分と、アーモンドの香りが鼻孔をくすぐるお菓子たちが折り畳みの机に置かれる。スペインのお菓子はアーモンドを使ったものが多い。
大きなお皿に置かれたポルボロンというクッキーとソバオというバターケーキを口に入れる僕たちを風上さんはまじまじと見つめる。
「食べないの?」
「いえ、このようなお菓子は初めてで……」
日本人なら確かに馴染みのない味をしている。でも、アーモンドが効いたポルボロンは毎回僕が遊びに来るとこのポルボロンをお土産に渡してくれる。頂いたものなので機会があればお返しはしているし、家族にも食べさせたことがある。でも、両親は「どうせ材料は外国産のどこの会社か分からないものを」と失礼なことを言うので、腹が立って以来、僕は部屋でこっそりちぃと分けて食べている。
「最初は不思議な味だと思うけど美味しいよ。なあ、リュウ」
「材料は丹波家秘伝の調合だからナ!」
「へえ……そうなんですね」
風上さんは一つ取ると「いただきます」と丁寧に挨拶をしてサクリと齧る。
「美味しい……!」
「だロ!」
リュウが嬉しそうに笑う。風上さんは一つずつ味わうように食べると分析するように、言葉を選ぶ。
「これは……スノーボールクッキーに似ていますね。アーモンドプードルがいっぱいで。ケーキの方も芳しい香りです」
また一つ、二つと食べていく風上さんはとても美味しそうに食べていく。顔がほくほくしている。そのようすを微笑ましそうに二人で見ていると風上さんは恥ずかしそうに手を止めた。
「すみませんっ。私、お恥ずかしいところを……」
口を押さえて顔を赤くする風上さんにリュウは部屋のドアを開けて、一階に向かって叫んだ。
「オフクロ! ユミの分もポルボロン頼むナ!」
「分かったワ! ママ、張り切っちゃうわネ!」
会話を終えて、座り直すリュウに風上さんは尋ねた。
「いいんですか?」
「あったり前だゼ!」
「ありがとうございます……。わたし、頑張ってお二人がいい点を取れるように教えますから!」
そう、風上さんは眼鏡をかけなおして、気合を入れていた。
「では、これでとりあえず範囲は一通り教えました。後は、特に出そうな問題を中心に振り返りをしたら……二人とも大丈夫ですか!?」
風上さんがあたふたと心配をする。それもそうだ。中間テストが思った以上に範囲が広く、風上さんの性格に似合わない的確で鋭い教え方について行くので必死だった。
「何とか……今回は範囲が広すぎる……」
「オレ、もう頭パンクするゼ……」
机に突っ伏して溶けている僕たちに風上さんは「すみません。もう少しスピードを考えれば」と謝っている。
「セイ君、情けないよー!」
こっそりとポルボロンをつまみ食いするちぃを僕は隠れて睨んだ。許可を出してないはずなのに……。
ふと、リュウが顔を上げると僕たちに聞いてきた。
「そういえば、セイ、ユミ。お前たち、どこの高校行くんダ?」
「……わたしは、花美川私立女子高校です」
その名前を聞いて僕も思わず顔を上げた。県内屈指の難関校で有名だからだ。
「スゲー! 県内でも有名な女子高だゼ!」
「母の出身校なので……わたしもということで」
花美川私立女子高校はお嬢様学校ということで礼儀作法にも厳しい。きっとその分性格のきつい人もいるに違いない。風上さんは大丈夫だろうか。僕は清水先生から聞いたことを思い出して口を閉ざしてしまった。
「なるほどナ! オレは洲坂実業高校だゼ!」
「野球部が有名な高校ですね」
「リュウは野球が好きだからな」
リュウが明るい性格で良かった。僕なら話を続けられない。
「ああ! スポーツ推薦で入るつもりダ!」
「わたしも、推薦入試です」
「どっちの高校も推薦入試一月だったよね」
二人は頷く。花美川私立女子高校は私立にしては早い推薦入試だし、洲坂高校も全国から推薦入試を受け付けるのでその分時期が早い。そして、今度は僕の番が来た。
「セイはどこの高校にするんダ?」
「僕は、海嘉瀬高校か西松……」
ちょうどその時、窓から五時を告げる音楽が外から聞こえてきた。
「やば! もう帰る時間だ!」
僕が急いで片づけをしていると、隣で風上さんも真っ青になりながら教科書やノートをしまう。その手は震えていた。
「ごめんなさい、急がないといけないので」
風上さんが礼儀よく、お辞儀をして部屋を出る。パタパタと階段を下りる音と、リュウの母親からクッキーをもらって帰る声が聞こえる。僕は嫌な予感が過った。
「リュウ、ちょっと風上さんが心配だから送りに行っている」
「セイ、優しいナ」
「お前ほどじゃないよ」
僕はそう笑うと、鞄を持って階段を下りる。玄関の前にはリュウの母親が紙袋を用意していた。
「セイ! ポルボロンネ!」
「いつもありがとうございます」
「イエイエ。こちらこそアリガトウ!」
「それでは、また来ます。お邪魔しました」
僕は受け取るとリュウの家を出て、急いで自転車に乗る。紙袋と鞄を自転車の籠に押し込んだ。辺りは暗くなり始め、僕の心も不安に駆られる。
風上さんは住宅街を抜けた横断歩道にいた。
「風上さん!」
「青林君!?」
僕が横断歩道の信号が青に変わるのを待っていた風上さんに話しかけると目を開いている。その横断歩道の先は学校だ。
「ごめん、夜も近いから一人で帰らせるのは心配になって。もうすぐ最終下校も五時になる頃だしさ」
「いえ、心配しないでください」
「でも、学校の方に行っているからリュウの家と反対ならすごく時間がかかるよ」
僕の言葉に風上さんは黙り込んだ。信号が青に変わる。僕と風上さんは横断歩道を渡る。
「五時に迎えの車が学校に来るんです」
信号を渡り終えた時、風上さんが小さく呟いた。
「迎えってことは家が遠いの?」
「……家が厳しいのです」
絞り出すような声で僕は察した。風上さんと同じ属性と思っていたのはもしかすると、風上さんの雰囲気から同じ家庭環境を感じたのかもしれない。
「そうなんだ。僕の家も厳しいんだ」
「そう、なのですね……」
風上さんはスカートをぎゅっと握りしめながら家庭環境を打ち明けた。
「わたしの家は、父と母が仕事上名の知れた人たちなので、迷惑が掛からないようにしないといけないんです。祖母は昔からこの近辺の地主でしたし……。だから、勉強も生活も、迷惑をかけたらいけないのです。わたしがいい成績でいたら、家族も安心しますし、わたしの未来の役にも、立つので」
子供は外で傷だらけになって、親に迷惑を少しぐらいかけても、丈夫に大きくなったらいい、何て、そんなの嘘だ。子供は親の作品。世間に自分たちが不利にならないようにするための作品だ。その作品は傑作であればあるほど評価は高く、親の将来も安泰だ。子供がどう生きたいかなんて、親にとっては別の人生で、一生邂逅できない。
「僕もそうなんだ。ハッキリと言われていないけれど、僕は妹が生まれるまで理想の子供になれなかった。妹が親の理想なんだ。だから、今は両親と妹の迷惑にならないように生きないといけないって、家族を見ていると思い知らされるんだ」
「窮屈、ですね。青林君だって頑張っているのに」
「そんなことないよ。僕は妹が生まれながらに親の理想になっているから必要ないって逃げているんだ。風上さんは逃げていない。必死に応えようとしている。凄いことだよ」
「青林君……」
風上さんは急に泣き始めた。静かにポロポロと涙を零して。
「すみません。また、お恥ずかしいところを……」
風上さんは白い絹のハンカチで涙を拭く。そのハンカチも両親から持たされたものなんだろう。風上さんは「お嬢様」とも言われていた。進学先も県内では有名なお嬢様学校だ。風上さんは親に逆らえない環境に違いない。無言の圧力というやつだ。本来の風上さんはあの時、本について話してくれた笑顔が控えめだけれど、誰かの期待に応えたい、そのためなら頑張れる、優しい人なんだ。それを環境が押し殺しているんだ。
妹に押しつけて逃げている僕とは違って。
「でも、無理したらダメだよ。風上さんにだって意思あるんだからさ」
風上さんはこくんと頷く。
「今日の勉強会すごく楽しかったです。わたし、あんなに楽しいの初めてで。今まで、金持ちの娘だって距離を置かれることが多かったので」
「風上さんはひけらかしてないし、僕たちも風上さんとたくさん話せて楽しかったよ」
「じゃあっ! また、勉強会に誘ってもらっていいですか……?」
風上さんの頬が夕焼け色に染まっている。おさげの髪が薄く透けて、キラキラしている。僕は綺麗だなって素直に口から零れそうになった。
「当たり前だよ。リュウも絶対喜ぶよ!」
僕が笑って返事をすると風上さんは、
「はい!」
と、今までで一番大きな声で返事をした。僕の心も嬉しくて高揚していた。
僕たちは学校まで一緒に帰る。今日の勉強会の話をしながら。とても楽しくて、時間がすぐに過ぎていく。
夕焼けの影にちぃが染まっていることにも気づかずに。
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