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体育祭が終わった。一組は見事優勝。特にアンカーのリュウが良かったと、その日の教室での話題に持ち上がっていた。クラスのみんなに囲まれているリュウに僕は嬉しくもどこか寂しい気持ちで一番端から三番目の席から見ていた。
クラスの九割は担任も来ていなかったから席を立っている。隣の席で静かに本を読んでいる脚に包帯が巻かれた風上さんの姿が僕の目に焼き付いた。その誰にも認知されないように、ひっそりと座っている姿が、僕と同じで。
体育会系メンバーが活躍する体育祭の次は文化祭だ。文化祭は体育祭と違って、生徒や学校関係者だけではなく地域の人、家族も参加可能だ。それでも、うちのクラスのメンバーはノリがいいので出し物の制作には毎回賑わった。
僕は教室の隅で看板の色塗りをしながら、中心となっている主に女子生徒の指示に従っていた。リュウは重いものを運んだり、買い物の荷物持ちに選ばれたりするようすが忙しそうだった。
文化祭は文化部や各種委員会も教室を借りて出し物をする。正直、僕はこっちの方が楽しみだ。
聞いた話では委員会の中でも毎年図書委員の出し物は毎年人気らしく、去年はしおりのイラストコンテストを開き、当時の美術部の三年生が投票数一位に輝き、図書カードが贈呈された。市立図書館とのコラボも出来るので資金が多いのも図書委員の出し物が自由性に富んでいる理由でもある。
さっそく委員会では案がたくさん出された。親子連れ向けの「読み聞かせ」や、市立図書館の蔵書整理で廃棄予定の本を欲しい人に譲る「本の里親」や、去年も人気だった「しおりコンテスト」の三つが人気だった。しおりコンテストが圧倒的に候補として強い要望があったが、司書の先生は渋い顔をした。
「しおりコンテスト、したいのだけれど……実は去年、採点をする時に盗作が出てきたのよ。それに今は著作権も厳しいから漫画やアニメのキャラも禁止になるの」
司書の先生が遠回しに却下と言っている。委員長の三年二組の女子生徒は察したのか頷いた。
「じゃあ、次に要望の多かった本の里親と、後は……」
「わたし、お勧めの本のコンテスト、がいいと思います」
小さいけれど誰の耳にも聞こえた声。風上さんだ。
「す、すみません……。割り込んでしまって」
「いいと思うわ、風上さん。委員長や他の人はどう?」
司書の先生の問いかけにみんな頷いた。もちろん僕もだ。風上さんは嬉しそうに、恥ずかしそうに縮こまっている。
「じゃあ、この二つで決定ですね。次の委員会と文化祭の準備期間で準備するから出来るだけ図書委員は来てください」
委員長の呼びかけに僕は絶対こっちに行こうと心に決めた。
文化祭一週間前の土曜日。図書委員の先生が特別に図書室を使わせてくれることになった。委員長は「お勧めの本の整理がまだなので皆さん来てくださいね!」と、言っていたのに図書室にいるのは僕とちぃだけだ。冷房が効いた部屋がやけに寒い。
「夏の当番みたいだね」
「そうだな……。やっぱり土曜日に来る人は普通いないよな」
僕の場合は家にいたくないからだ。あのバーベキューの後、両親には軽く叱られた。それもそうだ。親戚の集まりに出なかったからだ。でも、軽く注意で済んだのが逆に僕は怖かった。自分は正しいことをしている気でいるけれど、それは誰かからの視点からすれば間違いなのかもしれない。でも、世界は意地悪だから、間違っている人を誰も指摘しない。みんな楽しんでいるだけだ。だから、指摘してくれる人がいるというのは、この世界では幸福なんだ。それが後になって分かったとしても。
「先に始めておこうか」
「ちぃも手伝う!」
ちぃと二人ですれば、後から手伝いに来てくれるだろう司書の先生もいればすぐに片付く。そう思ってカウンターの奥の部屋を開けようとした時だった。パタパタと軽い足音が聞こえてきた。
「おはようございます」
消え入りそうな小さな声。風上さんだ。
「おはよう」
「おはよう、ユミちゃん」
僕とちぃは挨拶を返す。ちぃは風上さんを「ユミちゃん」と呼んでいる。人懐っこいからすぐ人をあだ名で呼ぶ。
僕に気が付くと風上さんはホッとした顔を見せたが、すぐに僕以外誰も来ていないことに気が付くと肩を落とした。
「みなさん……来ていないんですね」
「そうだね」
僕が苦笑いすると風上さんもぎこちなく笑った。風上さんがいたらちぃは手伝うことが出来ないが、人数は変わらない。なら、別にプラスでもマイナスでもない。
「始めようか」
「はい」
風上さんはそういうと学校指定のリュックサックを読書用の長机に置いて、奥の部屋に一緒に入った。部屋の中から各学年から回収したお勧めの本が記入されているアンケート用紙の入った回収箱を重ねて持ち運ぶ。
長机に六つの箱が置かれる。
「意外と大変かもしれないですけど、頑張ろう」
「はい」
「じゃあ、僕は一年生を先にするから、風上さんは二年生の方をお願いします」
三年生はひと箱ずつ分担をしよう。僕は一年一組の箱を開く。紙の擦れる音と共にアンケート用紙が机に散らばる。
「セイ君、いっぱいあるね」
若干顔が引きつっている僕にちぃが同情の目を向ける。これは、絶対に夕方までかかる。でも、文句を言っても仕方ない。僕は黙々とアンケート用紙に書かれた記入を見て、ルーズリーフに箇条書きしていく。今年は社会現象にもなった映画があったからその原作である小説が多く、思ったよりもはかどった。それに僕には、
「セイ君、一票忘れているよ!」
と、目ざとい天使がついている。
「あ、やばっ。ありがと……」
思わず声に出してしまうと斜め上の席で作業していた風上さんが顔を上げる。
「青林君?」
「あ、いや……今日、風上さんが来てくれて助かったなっと」
慌てて誤魔化す僕に風上さんは柔らかく笑った。
「それなら、良かったです。私が言い出したので、絶対に参加しないと思ってましたので」
責任感が強いなっと僕は思った。風上さんは口数も主張も少ない生徒だから、あの時、提案した風上さんに驚いた。けれど、本が好きな風上さんらしさも感じた。
「風上さんのアイデアいいと思ったよ」
「あ、ありがとうございます。でも、本当に些細な理由なんです」
「どんな?」
本の話になって僕はまた、いつの間にか敬語が抜けていく。風上さんには不思議と話しやすさがある。リュウみたいにフレンドリーな気質ではないけれど、気品の良さが僕には落ち着く。
「私、年々読む本を自分で狭めてしまっているんです。新しい文体や内容の本について行けられなくて。つい、同じ作者さんとか、昔からある出版社の本とかを選んでしまうんです。だから色んな人のお勧めの本を聞いて、冒険がしたかったんです」
その理由は共感できる。本の世界も時代と共に色濃く変わっている。そのスピードは年々増していって、一年経っただけでもう主流のジャンルが変わるなんて当たり前の世界だ。
「分かるよ。僕も物心ついた時から読んでいた方だから、今でも苦手な文体があってさ。この書き方はルール違反って聞いたけれど、今は変わっていったのかなって素直に言ってしまいたくなる時もある」
アンチみたいだよね。僕は苦笑いした。でも、風上さんは首を振った。
「そんなことないですよ。私も硬派な文体の方が馴染み深いので。でも、最近はこうも思うんです」
風上さんがアンケート用紙の仕分けをしながら続ける。その投票に目を細めながら、薄い唇が古文のような美しい言葉を紡ぐ。
「古き良き文学もありますが、時代と共に移ろうのも、人の世界と変わらないと」
「物語が生きているみたいだね。本の世界はずっと長い時間生きていて、登場人物にも生きてきただけの人生があって、完結してもその中でずっと生きていて。読者はその鱗片を見ているんだね」
僕が本の世界にずっと感じていること。いや、物語を紡ぐ世界に感じていること。物語はいつも書き手と読み手それぞれの世界を渡す橋で。橋が時代と共に木の橋からレンガに、コンクリートに、変わるように、その時代と生きた証を感じさせる。名作だと称された物語も、密かに読まれることを待っている物語も。
「擬人法お上手ですね」
ふふっと風上さんが笑う。風上さんがこんな風に笑ったところは初めて見た。年相応の可愛らしい笑顔だった。桔梗の花が似合いそうな。
「擬人法使いセイ君だもん!」
何故かちぃは誇らしげだ。
「青林君は、本を、物語を大事に読んでいるんですね。そこに存在しているんですね。登場人物が」
「倒置法だね」
僕が当てると風上さんは少しだけいたずらに頷いた。僕は初めて人と技法の話が出来て嬉しくなる。それが、あまり話す機会のない風上さんだとよけいに。
「最近は比喩表現が多いけれど、やっぱりこういう表現技法も面白いよね」
「はい。そういうところが好きなんです」
秋の近くなった風が窓から入り込んで声を運んでくる。その声がいつもと違って、小春日和で。僕は心がむず痒かった。
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