三章 十月の文化祭と丈の短いスカート

1

「いっけー! 走れー!」

「そのまま差をつけろー!」

 テント下に設置された観客席の騒がしさ。夏とはまた違うどこか乾いた日差し。白い線が行き交うグラウンド。ハチマキをたなびかせて走るリレー選手。

 体育祭が始まるともう二学期なんだなって毎年、僕は実感する。

「次、リュウ君がアンカーだよ!」

 休憩用テントから離れて、人が少ない体育の用具置き場から僕とちぃは観戦する。テントはブルーシートが敷かれていて座れるけれど、人口密度が高くて逆に暑いから僕はこっちの方がいい。僕たちは用具置き場近くの半分にタイヤを切って埋めた跳び箱代わりの用具を椅子代わりにする。

 リュウがバトンを受け取った。その瞬間僕らも応援を始めた。

「リュウ! 二組を抜かせ!」

「リュウ君あともう少し!」

 二組との差はそんなに開いていない。野球部で鍛えられているリュウは二組のサッカー部のエースと並んだ。歓声はどんどん白熱し、リュウも二組のアンカーもどちらも譲らない。二組のアンカーも当たり前だけれど、速い。

 海嘉瀬中学校は市立の中でも運動部の強豪校だ。二組のアンカーであるサッカー部も今年の夏に行われた大会で優勝している。それでもリュウは歯を食いしばりながら追い抜いた。

 その瞬間一組のテントからワッと声が響く。リュウは一歩一歩地面を蹴って、二組を抜いていく。砂が後から舞い上がる。残りの半周で差は開き、リュウは大阪のグリコのポーズみたいにゴールした。

 パアンッと、銃声が響く。続いてもう一つ。

「やった!」

 思わず僕は立ち上がった。ちぃも隣で拍手をしながら「リュウ君さすがー!」と、目を輝かす。

 選手退場でリュウは「1」と書かれた旗を掲げて退場口へと走る。観客席からは熱い声援に混ざって黄色い声も上がる。

「リュウ君、ドラゴンみたいに強いよね」

「まあ、『龍』だからな」

 僕は友達の活躍にどこか誇らしくなった。

 あの試合からリュウはちょっと変わった気がする。元々サッパリとして竹を割った性格だけれど、それがいい方向に表に出始めた。外見がスペインの血が濃く、「ウルフアイ」と呼ばれている琥珀の目と高い身長から近寄りがたい雰囲気があったけれど、和らいだ気がする。リュウは自分の見た目で印象を決めつけられることは誰よりも知っている。素直な性格だから、人から向けられる視線を誰よりも感じ取るのだろう。それで野球部の同学年から誤解を受けていたことも知っている。でも、今は飾らないリュウの性格に野球部のメンバーもリュウに絡む姿をよく見かける。

「これでリュウ君のファンが増えるね」

 ちぃの言葉に僕は思わず苦笑した。

 リュウは最近女子にモテるようになった。いや、クォーターと野球部レギュラーだからモテてはいたんだろうけれど、リュウは野球が好きだから、気づかなかったんだろう。元々引退頃を狙っていた人もいると思うし、リュウの性格で好感度がアップした女子もいるはずだ。でも、リュウはやっぱり「彼女より、野球とダチだな!」と、いつも言っているから、友達の僕としてはちょっと嬉しい。

「次終わったら、僕の出場種目だから準備してくるね」

「了解なのです! 勝利の女神ちぃがここで応援しています!」

「お前、天使だろ」

 笑いながらツッコミを入れていると別の物置からクラスの女子の怒声が聞こえてきた。

「ちょっと! アンタ、何であんなところでこけるのよ!」

 どうやら種目での失敗を責めているのだろう。三年生は今年で最後だから熱くなる分、負けると苛立ちや腹立たしさも大きいのだ。特に、海嘉瀬中学校はクラスが二クラスしかない小さな学校で、僕のクラスメイトの部活は大方運動部所属なので体育祭は特に引退した学生の最後の活躍となる。

「す、すみ、ません……。足、がもつれ、ちゃって……」

「綱引きなんてアンタみたいなひ弱なお嬢様は何もしなくていいの。邪魔以外だけは!」

「ごめん、さない……次の競技は、失敗しませんから……」

 聞いたことがある声が二つ。気弱そうな声で謝る女子生徒にクラスの中心である女子生徒があり得ないことを言い出した。

「もう、アンタ出なくていいから。サボって」

「そ、んなこと、出来ません……。先生に、怒られて……」

「優等生ならそれぐらい許されるでしょ!」

 女子は「じゃあアタシ準備に行くから」と走り去っていく。道中で友達に会ったのか、別の話題でキャッキャと楽しそうに入場口へ向かっていく姿が見えた。

 熱くなるのは分かるけれど、ここまで責めるのは理不尽ではないか。正直反論したくなるけれど、あまり面倒なことには関わらないでおこうと僕は遠回りして入場口へ行こうとした時だった。

「セイ君! あの子泣いているよ!」

 ちぃが心配で様子を見に行ったのだろう。でも、僕にも種目が……。それに、関わるとあの責めていた女子生徒はいい噂聞かないし。

「セイ君! 男なんだから女の子が泣いている時は行ってあげないとちぃが神様に言いつけるよ!」

 うっ。それは……。もし、これで試練が不合格になったら僕の願いが叶わない。ちぃを生き返らせるという願いが。

 僕は渋々行くとそこにいた女子生徒はよく知った顔だった。

「風上さん……」

「あお、ばやし……くん」

 地面に座っていた風上さんはいつもの眼鏡を膝の上に置いて、涙を白い絹のハンカチで拭いていた。本当に僕なのか確認しようと目を凝らしているのが、同じ近眼として分かる。

「すみません。すぐに、どけます」

 フラッとよろついた風上さんの白い腕を思わず掴んだ。細い。ちぃよりも華奢な腕だ。風上さんの膝をよく見ると土と血で滲んでいた。綱引きだったから引きずられたところまでうっすらと血が出ている。

「保健室行こう」

 気づいたら風上さんの腕を引っ張って保健室の方向へ体を引っ張っていた。敬語もどっかに吹っ飛んでいた。

「でも……」

「怪我なら先生も許してくれると思うから」

 一つ頷くと風上さんは俯いたまま僕に保健室に連れて行かされている。ちぃは黙って僕たちの後をついて行く。その道中の水道場で軽く土を流すために僕は蛇口をひねった。

「足、動かせられる?」

「はい、それぐらいなら」

 運動靴と血が付いた白い靴下を両足脱いで、風上さんは水で土を流す。すらりとした手が恐る恐る傷口についた土を取る。白い足はこの日差しに負けてしまいそうだ。

 あらかた土が取れて、風上さんは水を止める。

「このままだと靴が濡れてしまうな……」

「ハンカチで拭きますので」

「汚しても大丈夫? 高そうだったし」

 あの絹のハンカチは細かい刺繍が施されていて、いかにも高そうだった。誰かからのプレゼントなのかもしれない。そんなことを気にしている僕をよそに、風上さんはハンカチで濡れたところを拭いた。白いハンカチに赤いシミがつく。

「後は、一人で行けるので」

 風上さんはそう言って靴を履き、靴下を持って保健室の方へと行ってしまった。

「あっ……」

「行っちゃったね……」

 僕とちぃは呆気にとられてチョロチョロと流れている水道の音の中で、立ち尽くしているとリュウが呼んできた。

「オイ! セイ、種目の準備に来ないから探されているゾ!」

「リュウ、ごめん。それが……」

 風上さんが怪我したから保健室に連れていこうと思って。僕はその言葉が出てこなかった。きっと言ってしまえば、風上さんは嫌がる。僕は風上さんと同じ属性の人間だから、察することが出来た。

「セイ?」

「何でもない。すぐ行くよ」

 僕はリュウとさっきのリレーについて話しながら入場口へと向かう。その姿はあの女子生徒二人の姿と何ら変わりはなかった。

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