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『なあ、セイ。今、暇か?』
八月のお盆前。早くも虫の音が聞こえてくる夜。リュウから急にメッセージが届いた。僕のスマートフォンは今年から塾の送り迎えに持たされたものだ。メールも電話も無料。でも、電話は友達にかけることに母親はあまりいい顔をしない。だから、極力メッセージアプリでやり取りをしている。
『いいけど、どうした?』
そう返すと、返事の代わりに電話がかかってきた。スマートフォンには「リュウ」と表示されている。僕はすぐに出た。
「リュウ、どうした? 明日、県大会の決定試合だって前に言っていたよな?」
あの後、リュウから日時と場所の連絡が来て、僕はその日のために普段は利用しない方面のバスの時間を調べたり、熱中症対策のグッズを買ったりと応援客としての準備をしていた。それは選手であるリュウも同じ……いや、それ以上だろう。リュウはああ見えて努力家だ。
『……そうなんだけどナ』
「何か、怪我でもあったのか?」
僕の問いかけにリュウはすぐに否定した。身体の調整はバッチリで、家族も明日全員、ちょうど夏休みと言うことで日本旅行ついでにスペインから祖父も応援に来てくれると嬉しそうにメッセージでも話していた。昨日までくだらないやり取りもしていたし、リュウはいつも通りだった。だから、リュウが悩んでいることがあるとすぐに分かった。
『セイ、笑わない、カ?』
「笑うわけない。今、本気で、悩んでいることがあるんだろう?」
『……明日の試合、勝てるか、急に不安になってサ。これがオレにとって最後の試合だし、進路にも影響するかもしれないって、考えたらサ』
リュウの声は切羽詰まっている。不安と緊張が電話越しでも、リュウの顔を直接見ているほど伝わってくる。
リュウの志望校は、全国でも甲子園出場校として名高い。全国からわざわざ寮に入る生徒もいる。裏を返せば全国から野球の名手が集まる。スポーツ推薦はスカウトみたいなものだと僕は認識している。だから、リュウにとって明日の試合は絶対に結果を残さないといけない、自分の未来に関わる大事な試合なのだ。
「リュウ、こんなこと今、言うのもおかしいけど、初めて勉強会するまでずっと誤解していたんだ」
『セイ?』
「僕は目立つのが苦手で、クラスの中心になっている女子とか、いわゆる勝ち組みたいな人とかには関わらないようにしていた。僕とは別の世界の人間だって決めつけてさ。でも、リュウは自分の夢のために頭を下げて人に頼むことが出来るし、こうやって自分の弱みも話してくれる。それって僕には到底真似出来ない。僕は自分の世間体の方が大事にしてしまったことがある。それが今になって、とてつもなく後悔しているんだ。だから、上手く言えないけれど、リュウは評価を気にせず野球をしている姿が一番輝いている。明日、リュウらしい姿を見せたら、リュウの試合は勝ちだよ」
無言の時間が続く。ジワリと手に汗が滲む。僕はリュウを傷つけてしまったかもしれない。そう、怖くなってきたのだ。でも、リュウはそんな器の小さい奴じゃなかった。
『オレ、らしくないことで悩んでたんだナ!』
あーと叫び声と「兄ちゃんウルサイ!」と、リュウの弟の声が聞こえる。そのようすが目に浮かび思わず笑ってしまった。
『アリガト! セイ! オレ、明日絶対に勝つからナ!』
リュウの声は自信が戻っている。僕は安心して思わず息を大きく吐いてしまった。
「ああ。観客席で見ているから」
『約束だゼ』
「もちろん」
約束をした僕たちは一言、二言交わして電話を切った。ふと、外が気になってベランダに出ると満天の星が広がっていた。夏の星はずっと見ていたくなる。いつまでも、夏休みを見せてくれるみたいで。
「綺麗だな……」
「そうだね、セイ君」
ちぃがいつの間にか隣にいた。その顔はどこか嬉しそうだ。
「セイ君カッコよかったよ」
「聞いていたのかよっ」
熱い青春ドラマみたいなやり取りを思い出して恥ずかしくなっているとちぃが小突いた。
「勝利の神様だね!」
「あー! らしくないことをするんじゃなかった!」
そっぽを向く僕にちぃは胸を張って自分の天使の力を自慢した。やっぱり、第三ボタンは悲鳴を上げている。
「ちぃは天使なので通話内容は聞こえているのです」
「プライバシーの侵害だろ!」
「今更ちぃに隠すことがあるの?」
「あるわ!」
ちぃとの昔みたいなかけ合い。懐かしくて、安心感を覚える。
明日、友達が勝てるように僕はひっそりと星に願っていた。
試合当日。僕は試合に十分に間に合うように起きて、電車に乗るために最寄り駅に来ていた。田んぼの広がる無人駅。券売機はあるが、ICカードも使えない田舎っぷりだ。ご丁寧に防犯防止の監視カメラは設置しているので、改札も変えて欲しい。
この駅から六駅先で降りて、そこからバスターミナルで試合会場へと行く。あと五分で電車が来る予定だ。
しかし、電車は三十分過ぎても来ない。この時間帯の電車は三十分に一本来るのでおかしい。遅延だろうか。
「電車来ないね」
ちぃも不安そうに顔を曇らせる。僕はスマートフォンで検索するも詳しい内容までは出てこない。予定していたバスの発車時間、海嘉瀬中学校野球部の試合開始時間が頭を過るばかりだ。
夏の暑さと遅延にイライラしていると、砂嵐の音と共に音割れしたアナウンスがようやく流れる。
『――日本鉄道からのお知らせです。――駅で事故のため――ぶ、ん……遅れがが、出ております。繰り返します。――きで、事故のため、――分、遅れが、出ております。お客様には、大変ご迷惑をおかけ致します』
重要なところがピンポイントで音割れしているアナウンスに僕は思わず怒声を上げた。
「このド田舎駅!」
「セイ君、怒っちゃダメだよ」
ちぃが落ち着かせようとするが、僕は腹が立って仕方なかった。リュウが昨日あんなにも勇気を出して電話してくれたこと、今までのリュウの努力が無駄になってしまうと、試合を見に行かないとそれら全てを無碍にしてしまうと、僕は叫びたくて仕方なかった。
「遅刻は確定だな……」
次の電車がいつ来るかは分からない。バスも一本遅れると次までに時間が空いてしまう。タクシーならと、財布を開いてお金を確認する。五千円。多めに持ってきていたとはいえ、五千円では到着駅にすらつかない。
「どうしよう。ちぃも試合応援したいよ」
バッサバッサと翼を羽ばたかせながらちぃがあたふたする。僕はその鳥よりも遥かに強靭な翼に、保健室に運んでくれたことを思い出した。
「ちぃだ!」
僕が叫ぶとちぃは振り返る。真っ白な翼が太陽に反射して輝いている。僕にはこれが希望の光に見えた。
「千尋! 僕を会場まで運んでくれないか!」
ちぃならすぐに自信満々に頷くと予想したが、その顔はどんどん青ざめていく。
「無理無理! 遠すぎてちぃの腕が持たないよ!」
「休憩しながらでいいから! リュウが活躍するところだけでも間に合いたいんだ!」
僕は頭を下げた。プライドも世間体も捨てた。今だけかもしれないけれど、それでもだ。空中に浮かんでいる中学生など目撃されたらネットにあげられて、拡散する未来しか浮かばないが、今はそんなことを言ってられなかった。
「分かった」
顔を上げるとちぃは頷いた。その目は真剣だ。
「ちぃはセイ君の守護天使だから! セイ君が頑張っているからちぃも頑張る!」
「ありがとう」
僕は久しぶりにちぃにちゃんとお礼を言った気がする。ちぃは意外そうな顔をしたがすぐにお礼を要求してきた。
「お礼はダッツのいちご味を所望します」
「友達の約束が守れるなら安いな」
ちぃは僕の頭上から手を伸ばす。僕はしっかりとその手を掴んだ。ひんやりとして、軽い手だった。
「じゃあ行くよー! ちぃフルパワー!」
大きな羽音と共にゆっくりと僕の身体は駅のホームから離れる。気球に乗っているみたいに景色がどんどん小さくなる。
「千尋、場所は覚えているか?」
「もちろん!」
ちぃは会場の方向へと僕を引っ張って飛ぶ。やはり天使と言えどお重いのだろう。いつもより羽ばたく回数が多い。何度も、何度もちぃは家の屋根や電柱と激突しそうになった。
「千尋、そろそろ休もう」
そう言っても頑なに、
「嫌!」
と、上昇をした。ちぃはいつもそうだ。僕が無理だと言っても「絶対できるもん!」と出来るまで諦めない。意固地になっても、泥んこになっても、ちぃの母親に叱られても、ちぃはいつも諦めることがなかった。好き嫌いの評価が分かれる、諦めない心。ちぃとリュウはこういうところも似ている気がした。僕には決してない、強い心。
ふと、地上を見るとバスターミナルが見えてきた。ちょうどバスが停まっている。
「あのバスだね!」
ちぃが嬉しそうに言った。けれど、神様とやらが与えた試練は厳しいものだ。バスは発車してしまった。
「次のバスで行くから、もう降ろして……」
「ここまで来たら会場まで行こう!」
ちぃは最後の踏ん張りを見せるように加速していく。ちぃが僕以外の人のためにここまで本気になるのは初めてだ。リュウのことをちぃなりに僕の友達として助けようとしているのだろう。僕は友達が認められた気がして、嬉しかった。
「ダッツもう一個追加するからな!」
「じゃあ、マカダミアナッツがいい!」
「了解!」
僕とちぃは試合会場へと向かう。県の競技場のドームが見えてきた。
「あそこだね!」
ちぃが下降していく。試合は既に開始。前半戦終了に差しかかっていた。
「セイ君! リュウ君が負けている!」
ちぃの言葉に点数表を見ると点数差が開いていた。あまり野球はよく分からないがホームランを決めればまだ逆転の可能性がある。そんなところだ。
バッターのリュウは空から見ても緊張しているのが伝わってくる。
リュウは何かを探すように観客席を見やる。僕を探しているのだろう。でも、今からじゃあ観客席に間に合わない。僕は一切の羞恥心を捨てて叫んだ。
「リュウ! かっ飛ばせ!」
リュウは空を仰いだ。絶対、僕の声は聞こえている。理屈はないけれど、僕には分かる。
そして、前を見据え、構える。相手のピッチャーも鋭い鷹の目で、気迫で肌がピリピリする。でも、リュウは絶対……。僕はそう信じていた。
ボールが投げられる。ストレートの速い球だ。シュンと風を切る音が聞こえてくる。
その音をかき消す音が会場に響いた。リュウがホームランを決めたのだ。
「リュウ!」
「リュウ君!」
僕とちぃは無我夢中で上空から応援した。自分たちの状況なんて頭にはない。
一人、二人とベースに帰っていく。そして、リュウも。
その瞬間、歓声が響いた。天にまで届く歓声が。点数が入っていく様子に僕は手の力が抜けそうだったけれど、ちぃがしっかりと握ってくれていた。
僕とちぃは後半戦を観客席で応援した。勢いに乗った海嘉瀬中学校は逆転勝ち。観客席は大いに盛り上がった。
試合終了すると、各学校の選手は握手を交わす。悔し涙や嬉し涙を流す選手もいるが、リュウは笑顔だった。
「良かったね、セイ君」
夕暮れのバス停までの帰り道。翼を使うのは疲れたらしく、歩いてついてくるちぃ。僕はあの選手と観客が一体感になる感動に浸りながら、純粋にリュウが優勝できて嬉しくて頬が緩む。
「セイ!」
あの片言の呼び方に振り返ると、肩で息をするリュウがいた。
「リュウ! お疲れ……いや、学校のバスはどうした!」
学校が用意したバスはもうとっくに発車しているはずだ。それなのにこの場所にいるリュウに僕もちぃも驚いた。リュウは僕の質問には答えず、こう言った。
「セイ、どうしても礼が言いたくてサ。前半戦の時、発破かけてくれたの、お前だロ?」
「えっ」
確かにそれは僕だ。でも、あの時の僕は観客席にはいなかった。
「おかしいけどサ、空からセイの声がしたんダ。かっ飛ばせって。だから、かっ飛ばしてやったゼ!」
グッと拳を突き出すリュウに僕は拳をぶつける。
「ナイスホームラン!」
「カッコよかったよ! リュウ君!」
僕だけが知っている影のMVPはそっと僕らに拳をぶつけた。
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