応援コメント

一月十七日」への応援コメント


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     自分は自分が勉強できない原因は周辺環境に置きますね(いや半分趣味なので止められてもやりますが好きな分野は)。人間、自分があるようで実はそこまで強くはありませんから。そもそも自我というのは社会があってはじめて存在するものです。実際、人の目がある方が、たとえ無関係であっても、ないより勉強できますしね(社会心理学的にはという話だが)。それこそ家より図書館や教室の方が。(私だけか)
     ニーチェに言わせてしまえば、生きる意味なんてありませんからね。私もないと思いますし。というか、常にそんなこと考えて生きてはいません。人間何かを考えている時、その瞬間はその内容が何より大事になっているものです。昨日の自分と今日の自分は別人と言いますが、そもそもとして、人間は一瞬たりとも同じではあり得ないものです。

    最後に、実は拙作の格言集のストックなのですが、この返信欄で先に出すのに相応しいと思ったのでここで。

    「生きることの意味がなにかとは言えない。けれども、つねに意味というものはある」
    ————メルロ・ポンティ


    追伸 ちなみに自分もいつ死んでもいい派です。正確には、死んだら何もわかりませんから、別にどうでも良いのです。

    作者からの返信

    お疲れ様です。

    社会があって、自分が在ると。いや、そもそも社会がなければ自分が自分であることさえ認知出来ないのだから、いたって普通の事実なのか。

    色々なコトにモヤモヤして自分の知識量や価値観で作られた領域を深くしていくとその先には過去にそこへ至り、それを定義してしまった先駆者(哲学者)がいるんですね。尊敬しなくては。

    全部虚だから積極的に生きるアレの考えっていいですよね。

    早くシフトしよう。

    あ、格言、大切にしますね。