第49話 眠れる獅子の目覚め

 格闘においてタフさというものは、勝負の決定打にはなりづらい要素と思われがちである。


 それはタフネスという要素が直接的に相手のダウンに結びつかないからというのが大半の理由であろう。


 しかしながら、一対一あるいは一対複数において、タフさというものは、戦況に大いに影響を与えることがあるのも事実である。


 勝負の雌雄は極論、相手を再起させないことに帰結する。


 故に、多くの者は相手を打ち倒すことに尽力し、強者ともなればその経験も幾多にも及び、また、経験を積めば積むほど、攻撃と反応との因果が見えてくる。


 相手を牽制する一撃、ダメージを与える一撃、そしてダウンさせる一撃。


 そういった身体に染みついた感覚を、タフな人間は破壊するのだ。


 普通であればダウンしているはずの攻撃を受け、なおも立ち続ける敵の存在。


 そういった予想外の相手に、ある者は恐れ慄き、またある者は冷静さを失い、そこに生じた動揺や焦りから状況を挽回していくことも珍しいことではない。


 いわば、精神面において相手より優位に立つことが可能な要素であるといえるのだ。


 そして現在のマフィアのボス――ロベルト・バレス。


 彼もまた、自らのタフネスを武器に、ボスの座までのし上がった存在であり、銃火器を伴わない戦闘においては無類の強さを誇る人間であった。


 ただ、ボスという立場上、長らく抗争の前線に出ることもなくなったことや、年齢による衰えもあり、以前と同等ではないにしろ、タフさは健在であった。


 それを誇示するように、グリードの膝蹴りを直に腹部にもらったにも関わらず、ロベルトはその場に膝を着くこともなく、数歩後方へとよろめく程度で、なんとか踏みとどまってみせる。


「……ったく、本当に容赦しねぇんだからよ」


 ロベルトは腹部を押さえながら、顔を持ち上げ、ダメージを与えた張本人――グリードをにらむ。


 常人であれば、渾身の一撃ともいえる蹴りを食らい、なおも立ち続けるロベルトに気後れしてしまいそうなところであるが、このグリードという男に限っては、例に外れた存在であった。


「そりゃあ、本気で潰すつもりだったからな」


 グリードは不敵な笑みを浮かべながら、ロベルトより奪い取っていた拳銃を元の所有者へと向ける。


 そこには、強靭なタフネスでグリードの蹴りを耐えたロベルトに対する、畏怖も驚きもなく、ただ眼前の敵を倒すという目的のみを追求する、機械的な人間のみが存在していた。


 そんな規格外な人間に、生まれて初めて遭遇したロベルトは、額に汗を浮かべながら、強張った表情でグリードを捉えながら、おもむろに前屈みになっていた姿勢を正す。


「……で、これからどうするつもりだ?」


「そいつは、アンタ次第だな」


「そうか……なら、今度は俺の番だな」


 ロベルトはニッと笑うと、瞬時に身体を縮ませ、タックルでもしかけるのかという勢いで、拳銃を構えているグリードへと迷うことなく突っ込んだ。


 瞬間、グリードは顔をしかめ、小さく舌打ちをする。


 しかし、その音はロベルトの耳に届くことはない。


 グリードがとっさに拳銃の銃身で懐に入ってきたロベルトを殴りにかかるが、いかんせん体勢が悪い。


 カウンターを決めるつもりであったなら、上方より叩きつける強力な打撃となれたであろうが、その準備ができないまま、重心を移動する前であったが故、グリードの振り下ろした一撃は、ロベルトの突進を沈めるには至らない。


「――ぐっ!」


 グリードは胸部に激突したロベルトの肩に思わず苦悶の声を漏らしたかと思えば、次の瞬間にはグリードの身体は遥か後方へと大きく跳ね飛んでいた。


 見惚れてしまいそうなほどのきれいに磨かれた床の上をバウンドした後、多少ふらつきながらも素早く起き上がるグリード。


 その手には、握られていたはずの拳銃は既になく、グリードから離れた床の上に転がっていた。


「まったく、無茶しやがる……いい年して、こんなことするのかよ」


 着崩れたジャケットを軽く整えながら、愚痴のように言葉を漏らすと、グリードは改めてロベルトを目で探す。


 そんなグリードの視線を誘うのは、他でもないロベルトの声であった。


「年なんて関係ねぇよ。それとも、泥臭いケンカは嫌いだったか?」


 それは、先ほどまでグリードが立っていた場所で仁王立ちするロベルトの姿であった。


「――まぁ、好きだろうが嫌いだろうが、俺はこのままやらせてもらうがな」


 口端を吊り上げ、冷たい目元とのアンバランスな笑顔を作りつつ、ロベルトはグリードにそう宣言する。


 そして、グリードが返事をするのを待つことなく、ロベルトは先に動き出したのであった。

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