第10話 逃走

 背後から迫ってくる黒服の男たちから逃れるべく、少女は列車の狭い車両内を懸命に進んでいた。


 しかし、小柄な体格をしている少女にとって、両腕で抱えきれないほどのサイズをしたトランクケースを手に逃走を図るのは、困難を極めた。


 足元こそ、比較的歩きやすい皮製の靴であったが、つば広の帽子や厚手の外套は、決して動きやすい格好であるとはいえず、狭い隙間を縫うように前進するには、大きな障害となっていた。


 だからといって、追手がそんな事情を配慮してくれるはずもなく、むしろ好都合とばかりに距離を詰めてくる。


 そんな少女にとって、唯一の幸運といえたのが、貨物車両の扉に鍵が掛かっていなかったという点くらいであろう。


 元々鍵を掛けない運用をしていたのか、それとも偶然に鍵を掛け忘れた日であったのか、この場において確認することは叶わなかったが、逃げ道を確保できただけでも少女にとっては十分であった。


 貨物車両内は、旅客車両と異なり照明がほとんどなく、薄暗い空間が広がっていた。


 また、荷物も大きな木箱に山積みにされた穀物であったり、厳重に封をされ、丁寧に火気厳禁と注意書きがつけられた木箱などが所狭しと並んでおり、漂う埃っぽい空気が、侵入を拒んでいる。


 それでも、今更になって後戻りのできない少女は、人ひとりがようやく通れる隙間を、手にしたトランクケースが引っかからないように、高さや角度を調整しながら、貨物車両を奥へ、奥へと、足早に進んでいく。


 もちろん、逃走のスタートを目撃していた、追手である数名の黒服たちも、積荷の奥へと消えゆく少女の後ろ姿を確認することはできたので、見失いはしまいと、身を擦りながらも少女の後を引き続き追い始める。


 ただ、持っている荷物に差があるとはいえ、小柄な少女と大柄な男たちでは、満足に動けない細道においては、前者の方に利があった。


 人が中を突っ切ることなど想定していない荷物の置き方に、少女と追手との距離は目に見えて離れていく。


 その事実に、黒服たちにも焦りが生まれる。


「くっ、殺さなければ最悪大丈夫だろ、撃つぞ!」


 しびれを切らし、先頭に立って少女を追っていた黒服が、一旦足を止め、手にしていた拳銃を少女の背中に向けて構える。


 一方の少女は、逃げるのに必死で自分に拳銃の照準を合わせられていることに気付いていない。


 このままいけば、拳銃が火を噴き、少女も無事では済まないことは誰の目にも明らかであった。


 だが、寸前のところで、黒服の指は背後から飛び込んできた、仕切り役を務めていた黒服の声により引き金を引くことを免れた。


「ダメだ。ここで撃つのは危険すぎる! もし爆発であるとか引火したらあのカバンも無事じゃ済まないぞ!」


「でも、このままじゃ、逃げられて――」


「……いや、大丈夫だ。お前たちはこのまま追え」


 数秒程間を置いた後、仕切り役の黒服はそう言い残し、一人車両を引き返していく。


「……追うか?」


「まぁ、そうしろって言われたら、するしかねぇだろ」


 残された黒服たちは、その姿を黙って見送った後、一度互いに見合い、拳銃を仕舞うと、仕切り役に言われた通り、少女の後を追っていくのだった。

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