第9話 小物

 どよめく乗客たちを手にした拳銃で威圧する、黒服の男たちの間から、マルクは少々窮屈そうに前へと出ると、自らにとって因縁の相手ともいえる存在――グリードの様子をうかがおうとする。


「返事がないようだが、どうした? まさか、驚きのあまり声もでないか?」


 自らが優位に立ったという自覚があるのだろう、マルクは幾分興奮したような声色で、グリードの座席へと足を進めた。


 しかしながら、マルクが目にしたのは、恐怖で怯えるグリードの姿でも、この事態に困惑し、顔をしかめるグリードの姿でもなかった。


「……あ? もしかして、俺に言ってたのか?」


 そこに居たのは、座席の間にある小さなスペースで、壁に背を預けながらしゃがみ込み、帽子越しに頭を押さえているグリードの姿であった。


 ところが、グリードの表情は、緊張感のない寝起きとも取れるような気怠さを多分に含んでおり、急停車した反動で転倒しただけというような様子をしていた。


 そんなグリードの態度は、マルクが望んでいたような危機感を覚えているようなものではないということだけは確実に言えるのであった。


 無論、それを目にしたマルクが、冷静でいられるはずもない。


「この野郎が、自分の立場がわかってんのか? この状況で、お前の命を奪うことなんて造作もないことなんだぞ! それが嫌なら、相応の態度を示すのが筋ってもんだろうが!」


 顔を真っ赤に染め、感情的に声を荒げ、今にも殴り掛からんばかりの勢いで、マルクはありったけの言葉を投げつける。


 それでも、実際に殴り掛かったりといった実力行使に打って出ないのは、グリードによって痛い目に遭わされたという苦い記憶が、まだ脳裏に残っていたからに違いなかった。


「それじゃあ、お前は俺に命乞いの一つをさせるためだけに、こんな大所帯を引っ張ってやってきたのか? 随分と過保護なんだな」


 わざとなのか、それとも純粋に思ったことを垂れ長さいているだけなのか判断のつかないような、グリードの思慮を欠いた言葉に、マルクの怒りは容易に臨界点を突破する。


「この野郎……おい、こいつを撃ち殺せ! 余計な仕事をするななんて命令、知ったことか!」


 感情に任せて、黒服たちへと命令を飛ばすマルク。


 ところが、黒服は誰一人として銃の引き金を引くことはなかった。


「どうした、早く――こいつを撃つんだ」


 自分の指示を実行しない黒服たちに、マルクは背後を振り返り、癇癪を起こした子供のように語気を強め、命令を繰り返す。


 すると、それまで主張を押さえていた黒服の一人が、マルクの前に一歩踏み出し、低く響く声でマルクの言葉を一刀両断した。


「その男を殺すことに、一体何の意味があるのだ?」


「そ、それは……ブツを奪うための、障害とか……」


「見たところ、我々の動向を邪魔するような素振りはないが?」


「いや、でも……俺が奪おうとした時は、こいつのせいで失敗を――」


 自らの発言が、私怨によるものであるという自覚が生まれたのか、マルクの声は次第に歯切れが悪くなっていき、その視線も黒服を直視できないほどになっていた。


 目に見えて気弱になっていくマルクの態度に、黒服も事情を察したのか、半ば強引にマルクを押しのけ、グリードへと問いかける。


「一つ聞きたい。この男……マルクの言うことは本当か?」


「いや? 俺は寝ていたところを、この茶色いのに邪魔されたからやり返しただけで、別に邪魔をするつもりなんてないし、そんな依頼を受けていないからな。邪魔する理由がない」


「……そうか」


 仕切り役ともいえる黒服の男は、それだけ述べると、他の黒服たちの方へと振り返り、次の行動の指示を出した。


「一同、カフォットの令嬢を見つけ出し、荷物を奪え。邪魔するものは排除しても構わん。この男とマルクの指示は無視しても構わない。では、行動に移れ!」


 仕切り役の指示により、数名の黒服は一斉に動き始める。


 それと同時に、通路の端――ちょうど黒服たちの反対側に位置するドアの前で、トランクケースを手に脱出を試みようとしている、上級な外套を身に着けた、つば広帽の少女が、びくりと反応し、振り返る。


 それは、黒服たちが彼女を追いかけるには、十分過ぎる理由だった。


「――っ!」


 隙を見てこっそりと姿をくらますのは無理とわかるや否や、少女は一気に貨物車両へと繋がるドアを開け、その奥へと飛び出す。


 黒服たちも、彼女を逃すまいと、一斉に駆け出し、その小さな背中を追いかけ始める。


 急転直下、目の前で逃走劇が始められたにも関わらず、グリードは相変わらず壁に寄り掛かったまま、軽く目でその動向を追うのみで、黒服へ伝えた発言同様、関与をするような素振りは一切見せなかった。


 一方のマルクも、取り巻きのように付き添っていた黒服たちが一斉に姿を消し、一人三等車両に取り残され、呆然と通路上に立ち尽くしていたのだった。

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