第2話 眠る男

 列車のすぐ底から響いてくる振動は、眠気を誘うような心地よさとは無縁な、一言で例えるなら粗暴ともいえるものであり、とてもではないが快適な旅路といえるものではなかった。


 というのも、このカイセン鉄道、路線が引かれたのは数年ほど前と比較的新しいのだが、乾燥した不安定な土地柄ということもあり、線路が敷かれる大地をならすという作業が難しかったことに加え、その距離ゆえにろくにメンテナンスもされていなかった。


 しかしながら、乗車する人々も、他の鉄道というものを知らないので、皆が列車とはこのような乗り物なのだという認識で、別段不満を漏らすこともなく、利用をしていた。


 唯一不満の声が出たのが、一等車両にてサービスとして提供された葡萄酒が振動によって零れてしまったということくらいである。


 そんな乗り心地であるが故に、人々のすることといえば、気を紛らわすために車窓からの景色に意識を向けることくらいであるのだが、生憎にも現在進んでいる地域は青い空と茶色い大地の二色でできた、乾いた土と岩からなる代り映えのしない光景であった。


 また、列車の内装も乗客をもてなすような装飾がされているわけではなく、板張りの床やクリーム色をした内壁に、天井付近にはランプ型の照明が吊り下げられている程度で、乗って数分で興味を失うような造りである。


 そのため、乗客の多くは、老若男女、皆どこか疲れたような表情で、唯一の癒しであるモケット地の座席に身を預け、トルカンへの到着を待ち望んでいた。


 ただ、そのような環境であるにも関わらず、二人掛け用の座席の上で横になり、ひじ掛けに頭と足をそれぞれ乗せて、呑気に眠りこける一人の男がいた。


 ただ、その顔の上には光を避ける為であろう、帽子がマスク代わりに乗せられていて、どんな顔立ちをしているのか、把握することは叶わない。


 身に着けている服も褐色のズボンとジャケットに白地のシャツと、周囲の視線や行儀を気にしない姿勢から、そこそこに若く、図太い人間であるのだという印象は受ける。


 また、中央に走る通路に飛び出した革靴は、相当くたびれており、長年使い続けている、もしくは日頃よりかなりハードな動きをしているという雰囲気を放っていた。


 乗車に関するマナーが決して良いとは言えない三等車両であるが、それでもこの男ほど大胆な態度をとる者はそうはいない。


 時折突き上げるような強い衝撃が襲ってくるにも関わらず、泥酔でもしているかのような深い眠りに入っている男の姿は、やはり異様であり、現在空席となっている向かいの座席であるが、仮に誰かしら座っていたのなら、恐らく困惑した顔で声をかけるべきか、放っておくか、逡巡をすること間違いない。


 というのも、同行者もなしに一人眠りこけるという行為によって、手荷物が奪われる危険が生じるからである。


 列車内という閉じられた場所であるとはいえ、ここは三等車両だ。


 モラルのある倹約家を除けば、どこに金品を奪おうと目論む輩がいるかもわからない、無法地帯に限りなく近い車両なのである。


 ただ、それでも男が被害に遭っていないのは、そのだらしない姿が異様に目立つからでもあり、非常識な行動が結果としてプラスの方向へと働いたのだといえる。


 しかしながら、車両の中央で寝息を立てる、顔を見せない不躾な輩を除けば、結局は退屈な旅路であることに違いはない。


 ――何か、事件が起こるようなことさえなければ。


「ちょっと、やめてくださいっ!」


 それは、ロセの駅を発ってから数十分後の出来事であった。


 周囲に町も集落もなくなったこのタイミングを見計らったかのように、若い女性の叫び声が、事件の狼煙を上げるかのように、突如として三等車両の中へと響いたのだった。

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