姉ちゃんと茶髪の女性

 公園から誰もいないであろう家に戻った私は、昨日録画をしておいたテレビ番組を見るためにリビングに向かった──そこまでは私の想像していた今日の一場面だったのだけれど、実際にリビングに入ってみるとそこには、姉ちゃんと昨日姉ちゃんが押し倒していた茶髪女性の姿があった。

 てっきり姉ちゃんも私は、学校に行っているのだと思っていたらしく、驚きの表情を見せている。

 私はそんな姉ちゃんと手に頬をついて空っとしている茶髪女性に向かって、思いっきり頭を下げてその場から立ち去ろうとした。

 そりゃもちろん姉ちゃんと一対一ならば普段通りに接することなんて、苦にもならないけれど、実際にその人が目前にいるとなると、流石の私も動揺を隠すことは難しかった。

 けれど姉ちゃんは、そんな動揺を隠せずにあわあわとしている私の腕を握って、引き止めようとする。

「今日はちょっと待ちなさい」

 やはり姉ちゃんは、母さんの血を色濃く受け継いでいるのだなと思わせるほどに、鋭い目つきで私を睨む姉ちゃんに私は、小さな声で返すことしかできなかった。

「はい」

 姉ちゃんに怯えきっている私は、姉ちゃんと茶髪の女性が、対面で座っている場所から少し距離を置いて、腰を下ろす。

 その私に、軽く手を振る茶髪の女性、私は女性に小さく会釈をする。

「コホン」

 空気を変えるために、軽く咳き込む姉ちゃん。

 姉ちゃんはそのまま自分のターンを続ける。

詩織しおり、あんたは確実に勘違いをしてる」

 助走など無しに早速本題に入る姉ちゃんに私は、正直どうでもいいと、ここから逃してくれと思いながらも、なんとか悟らせないよう、少しでも興味があるように返答する。

「別に勘違いなんてしてないよ、私は見たままのことを、見たまま信じてるだけだから」

「それが勘違いだって言ってんの、昨日詩織が見たあの、その、私がりんを押し倒してたのは、その手違いだから」

「わたしは、嬉しかったですよ? 天音あまねにあんなことされて」

 姉ちゃんが、燐と呼んだ茶髪の女性その人は、手に頬をつきわざとらしく言う。

「燐は少し黙ってて、それにあの後は何もなかっただろ? 詩織にもっと勘違いされるようなこと言うなよ」

「わたしは別に⋯⋯妹さんに天音との関係をどんな風に勘違いされようと、困らないですよ?」

 そう言って、燐さんは、頬をついていた手で、姉ちゃんの右手さすった。

「燐が困らなくても、今はまだ私が困るの、だから上手く話を合わせてよ」

「えー、わたし話合わせるの苦手なんですよねー、本心しか出さないとても良い子なので、そういった自ら嘘をつくとかはちょっと」

「何を──、いつも私に嘘ばっかりついてるじゃん、昨日だってそれで──」

 とても仲が良さそうにイチャついているカップルの間に入るのは、気後れしたけれど、流石に我慢の限界というやつだった。

「あのー、勝手にイチャついてて構わないので、私は部屋に戻ってもいいでしょうか?」

 どこの部分が気に障ったのはわからないけれど、姉ちゃんは何故だか強がりを見せつけてくる。

「別に、イチャイチャなんてしてないよ、普通、これが私たちの普通なの⋯⋯そりゃはたから見たら多少、少し、ちょっとだけ仲が良く見えるかも知んないけどさ」

 呆気にとられる。

 そんな反応を見せてくるのなら、私にわざわざ隠す必要なんて微塵もないのではないだろうか、なんだか少し頭に血が上ってくるような、そんな気がしてくる。

 面倒くさい。

 さっさと付き合えよ。

 私はどうでもいいんだよ、この二人が、どうなろうが私には関係ない、なのになんでこんなにも時間を拘束されなければいけないのか、姉ちゃんが怖くなければ、今すぐにでも部屋に戻って、ゲームでもしていたいのに本当に、この血はよくない。恐怖で人を支配しようとする。この家族は──。

 私は、溜息を吐く。

「あのさ、私は姉ちゃんとその、燐さん? がイチャイチャしていようとしてなかろうと、興味がない。二人が、付き合って結婚しようが、勝手に離婚しようが、私には関係ないし、深く関係を作りたいとも思わない、それにもし昨日のことを気にしてるならそれは大丈夫、元から言わないし言う気もない。二人のこと私は、どうでもいい」

 そう思ってるから──唖然としている姉ちゃんに対して燐さんは、どこかほっとしているというか、内心喜んでいる風にも見える。

「あのね、詩織⋯⋯詩織がそういう性格でそういう考え方をしてるのはよくわかってるよ、けど⋯⋯もう少し興味持ってほしいな、私に」

 姉ちゃんは、昔からこうなのだ。

 私が昔から、こういう全てをどうでもいいと思っている性格だったものだから、家族に対しても、いつもどうでもいいという反応しかしてこなかった。

 私は、それでも上手くやっているつもりだったけれど、姉ちゃんは違うようだ。もう少し興味を持ってほしい。その言葉通りに私は、姉ちゃんに興味を抱かない。ただの姉。少し早くに生まれた人。血が繋がっているただそれだけの人。そんなイメージ。

 それは、母親、父親にも同じことが言える。

 だから、母と姉は、私を恐怖でコントロールしようとするのだろう、どんな話をしたところで、私は、全部どうでもいいと返してしまうから。

 姉ちゃんが、興味を持ってほしいと思うのも、必然なのかもしれない。だって、私が考える常識だったら、多少仲が悪かったとしても、姉妹は姉妹だ。興味を持たないわけがない。

 けれど、そんな姉ちゃんの気持ちを知っていたとしても、私はこう言ってしまうのだろう。

「どうでもいい」

 姉ちゃんは、悲しそうに俯きながら、小さく呟いた。

「そう⋯⋯だよね」

 その姉ちゃんを、燐さんは見えない笑顔を浮かべながら、優しく撫でていた。

「大丈夫、天音には私がいますよ、天音の全部を知りたいと思うぐらいには、興味も持っています。だから⋯⋯私にも興味を持って──」

 燐さんの、言葉を全て聞くことなく、私はリビングを後にした。

 聞いていられなかった。

 どうでもよすぎて。

 あの二人の光景を見させ続けられるのなら、学校にでも行ったほうがマシと思える。

 そのぐらい、私にはあの空間、空気間は、きついものだった。

 リビングを後にした私は、縁側に腰を下ろしていた。

 別段用事なんてものはないけれど、少し憂さ晴らしに鯉と雑談でもしようかと思っただけだ。

「おい、鯉。少し雑談でもしようよ」

 私が、上から目線で鯉を呼びかけると、池から男の声が聞こえてくる。

 これでも由緒正しい鯉のはずなのに、私にはどうしても、そうは思えなかった。

「なんだよ、クソチビひねくれ女」

「クソチビひねくれ女の私よりも、小さいお前と雑談でもしよかなってきたんですよぉ」

「そうかい、俺はお前なんかと雑談なんてしたくないけどな、どうせこの前みたいに俺のことなんて興味ないんだろ?」

「そりゃそうでしょ、喋る鯉なんてどうでもいい、私は暇つぶしをしたいだけだよ」

「暇つぶしにね、俺なんかと喋っても大して暇つぶしになんかなりゃしないだろ」

「そうでもないよ、私、全部どうでもいいと思うけれど、誰かと喋っている時間は好きだから」

 もちろん人によるけどね──

「喋ってて面白くない人と喋っても、当たり前だけどさ楽しくないよ」

「じゃあ俺との会話は、楽しいってことか?」

「まぁ、人並みにね」

「俺、人じゃないぞ」

「そっか、じゃあ、鯉並みにはかな」

「鯉並み、そりゃハードル下がるわけだ」

「確かに、あんたが人だったら、楽しくないかもね。よかったよあんたが鯉で」

「なんか微妙に嬉しくないなそれ、まぁどうでもいいかそんなの」

「あー、それ私の言葉」

「あ? そんなこと気にすんなよ、どうでもいいんだろ? この世の全部」

「そうは言ったけどさ、なんだか少しだけ、癪だよ。私の言葉取られるのは」

「どうでもよくないこと見つかったな」

「そんなのないけど」

「お前は、自分の決めゼリフかなんかは知らんけど、どうでもいいって言葉を取られるのが嫌なんだろ? それはもうその時点でどうでもよくないじゃないか」

 そうか? そうなのか?

「そうなんだよ、お前にも大事なもんがあったそれだけでいいんだよ。もしこの世のほとんどのことがどうでもよくても、家族のことさえどうでもよくても、お前の中にある数少ないどうでもよくないものだけでも、大事にしたら、それでお前はいいんだよ」

 なんだそれ。

 それこそ。

「どうでもいいよ」

「だな」

 その時、私の顔は、笑っていた。

 

 どうでもよくないこと、他にもあるのだろうか。

「あるよきっと、それも案外近くにな」

 そんな根拠なんてどこにもない、嘘で嘘を塗り固めた、到底信じることなんてできないようなセリフを最後に、今回の雑談は終了となった。

 まぁ、今回は、少しだけどうでもよかったかな。

 私は、背伸びをして、自分の部屋に戻っていった。

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