赤い蝋燭と彼と

ねこK・T

赤い蝋燭と彼と

 赤い蝋燭の光が山に登ったときは、海が荒れ、船が沈む。


 そんな話をしたのは、誰だったろうか。

 彼はふとそんな事を思いながら、窓の向こうの波と、その向こうになだらかな稜線を描く緑の山とを見つめていた。

 新緑の輝くような明るさを経て、そして、水底の色合いにも似た深い緑へと。海の向こうの山は皐月の日を浴びて、その緑を一杯に輝かせている。

 そして海もまた。光を反射して輝く白い波打ち際と、視界の奥へと広がってゆく紺青と、その双方の色の対比を鮮やかにこちら側へと届けていた。

 こんな美しい景色を、ただ一本の赤い蝋燭が崩してしまえるなんて。

 ――そんなこと、普通は考えないよな。

 物悲しい、その赤の蝋燭を目の裏に描きながら。彼はその話を紡いだ作家へとそっと思いを馳せてみる。どんな思いでその物語を考えたのだろうか、と。


 そして彼は、窓辺から外を見ていた。

 広がる海、その向こうの山――ああ、やはり美しい。いつも通りだ。彼はそしていつも通りに、ほうと息をつく。あぁ、やはりいつもと変わらないじゃないかと、安心したように。

 息をつき終えて、一つ瞬きをして。ふと彼は気付く。

 ――今、山をちらちらと上る光が見えなかっただろうか?

 目を何度も擦ると、彼はもう一度緑を見つめ直した。間違えないように、そして、見逃さないように、と。きゅう、と自らの瞳孔が締まるような、そんな感覚が目の内側に起こる。

 一点を見続けていたためか、目が悲鳴を上げる。その痛みと戦いながらも、彼はじっと視線を逸らさずに、山の姿を見つめ続けた。

 ちらり。

 ――見つけた。

 彼が見つけた、緑の中で揺れながら上へと上る光。――それは、

 

 はた、と。

 彼はそこで瞼を開ける。――ああ、あの光も、目の奥の痛みも夢だったのだと。大きく安堵の息をつきながら、彼はいつの間にか横たわっていた身体を起こす。

 ――何時の間に寝ていたんだろうか。

 まずいなあ、こんな事を続けていたら、風邪を引いてしまう。自嘲しながら彼はそっと窓の外へと瞳をやる。


 窓の向こうには、いつもとは違う泡立つ暗い海があった。

 大きすぎる波音が、逆に何もかもを飲み込んで無音の世界を作っていた。 

 山には揺れる光が上る。その光の数々は、きっと、赤い蝋燭に灯されているのだと彼は悟った。

 暗い波が一つ大きく大きく逆立ちをするように――

 彼と、彼の居た場所を飲み込んだ。




 はた、と。彼はそこで瞼を開けて――。

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