第239話 皇帝と軍師と
「さて、稀代の『軍師』は、これからどうするつもりなのかな」
「それよりも、陛下ご自身がどうなさりたいかです。混乱しているとはいえ、今この国を率いているのは、他ならぬあなたなのですから」
あごひげを撫でつつ問いかける皇帝アレニウスに、フラットに言葉を返すファリド。軍事国家の専制君主に対するものとしては、随分と礼を失した応対ではあるのだが……この皇帝はニヤリと口元だけで笑っている。周囲はおもねる者、おそれ仰ぐ者ばかりだった彼には、こんな接し方をしてくる若者が新鮮に感じられるのであろうか。
「ふむ……」
なんの迷いもなく帝国を導いてきた彼が、こめかみに手を当てて考え込んでいる。彼の視線が向く先には、焚火……ではなくなぜか炭火が赤々と熾きている。
離宮のある渓谷にほど近いこの岩山は、典型的な乾燥地帯。昼間は灼熱の太陽が照りつけ暑さをしのぐのも一苦労だが、夜ともなれば極端に冷え込み、火でもなければ凍えてしまう。
行動力あふれるマルヤムとオーランが、食料調達のついでに枯木の山をしこたま集めて来ているのだが、そのまま燃やしたのでは煙が洞窟の中に立ち込めてしまう。そもそも煙くて仕方ないし、万一追手が近づいたときには一目で気づかれてしまうだろう。
そんなわけでファリドが命じたのは、魔術による炭焼きだ。集めた木を砂に埋めたところで、その砂山の温度をフェレの魔術で強制的に上げてやる。空気のない状態で蒸し焼きにされた木は、そこそこ良質な木炭に変わるのだ。
そんな過程まで、惜しまず見せたのは、彼らと争う不毛を皇帝に悟らせんがためだ。実際のところそんな生活に密着した魔術であっても、アレニウスに深い感銘を与えたらしい。炭火の灯す優しい火を見つめながら、普段は厳しいはずの皇帝が、友にでも語るような調子で語りかける。
「まずは、帝都で我が物顔に振る舞う愚かなアスランを、懲らしめねばならぬな。儂はあれを甘やかし、つけあがらせてしまったようだ」
「そのようですね。寵妃のお産みになった、しかもご長男……ある程度は、やむを得ないでしょうが」
「奴は、その『程度』を超えたと言うことか」
「間違いなく」
この件に関しては、ファリドも皇帝の失態をあげつらうに、遠慮はしない。アレニウスはここまで長い間大過なく帝国を治め、外敵の侵入を許してこなかった。その功績はファリドも認めるものの、アスランの愚かな行動を掣肘しなかったことといい、あんな小物の宰相を重用していることといい、人を見る目が決定的に足りない。息子に帝都から追われ弱気になっている今のうちに、その点だけはわからせないといけないのだ。
「儂は、皇太子を定めてこなかった。長子アスランは貴族たちの支持を集めていた。順当に奴を後継指名していればそれで決まりであったのだろうが……儂にはテーベを大陸一の強国に保つ責任もある。武を以て立つテーベを率いるという視点で見れば、どう見てもそれに相応しい者は、猛き男ムザッハルだ」
皇帝はそこで言葉を区切り、大きく息を吐いた。その眉間には、深い皺が寄っている。
「だが、儂の眼にムザッハルは、ただ力におごり暴れまわるだけの乱暴者に見えていたのだ。奴にこの国を委ねれば、いつか勝てるはずもない戦に挑み、亡国に向かって突っ走ってしまうのではないかとな。それも今となっては、寵妃の子を優先したい意識がそう思わせていたのかも知れぬがな」
「しかし、その思いは、変わったのですね」
「そうだ。ムザッハルが東方に征き、お主らを連れ帰った頃から、奴は変わった。信じる者の言葉に耳を傾け、その力を借り、そしてその者らを尊び、守る。奴に欠けていたそんな資質が……お主らと出会い、親しく交わるうちに、目覚めたようであった」
「ええ。ムザッハルは実質的には虜囚たる我々にも敬意を払い、共に酒を飲み、笑い、そして戦にあたっては意見を求めてくれました。ゆえに俺とフェレは、彼の覇業に与せんと働いたのです」
ファリドが、皇帝の眼を真っ直ぐ見つめて口にした言葉に、この厳格なはずの男が、一瞬頰を緩めた。だが数秒も数えぬうちに、その笑みは消え、眉間にはまた苦悩の皺が深く刻まれる。
「そう、もはやムザッハルは、テーべの君主たる資質を全て備え、長年の宿敵カルタゴを完膚なきまでに叩き伏せる、赫々たる戦果を挙げた。さすがに儂も、奴こそ次期皇帝になるべきものだと認めざるを得なかったが……佞臣どもに儂の意のあるところを悟られてしまったことが不覚であった。奴らは愚かなアスランを焚き付け、ムザッハルを害し儂の自由を奪うことで、自分たちの権力を保とうとしおった」
ここに至っても、皇帝はアスランを本気で見捨ててはいないらしい。彼の中でアスランは「乗せられた被害者」であるようだ。ファリドは小さくため息をつくと、この哀れな父親に向き合う。
「それで陛下は、その佞臣たちと、騙された皇子様を、どうなさるのですか」
「取り巻きどもは皆、一族含めて処刑し、家はとりつぶす。アスランはたぶらかされた身、生命までは取らぬよう……とか言うと、思ったか?」
皇帝の台詞の途中で、ファリドの表情が動いたのに気付いたのだろう。皇帝は少し面白そうな顔で、こちらを見ている。
「テーベは、良くも悪くも専制国家だ。こんな国を保ち、民を守ってゆくためには、下剋上を図ったような者に、一切の情けを掛けてはならぬ。そんなことをしたら最後、国は滅びよう。儂は、間違っていないだろう?」
「ええ、安心しましたよ」
ファリドも、ようやく口元に笑みを浮かべた。
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