第213話 通じ合う心
アスラン皇子が憤然として去り、宰相を始めとしたその一派が去った謁見の間で、ムザッハルはまだ、呆然としている。
「あのままでは、奴らが二人にちょっかいを出すことになってしまう……俺は結局、彼らに迷惑をかけてしまう。こんな俺を『友』にしてくれた、ファリドとフェレに……」
彼は、怒っていた。それは宰相やアスランに向けた怒りではない。この程度の挑発すらうまく捌けず、あれだけ自分に尽くしてくれた友にとばっちりをやってしまう、自分の無力さ、不器用さに怒っているのだ。
「ふむ、ムザッハル。お前は常に自分が中心の考え方をする男と思っていたが……その『軍師』『女神』とは、よい付き合いをしているようだな」
思いがけなく情愛のこもった言葉に、はっとして玉座に視線を向ければ、そこには父たる皇帝が、自分を見つめる姿がある。その眼からはいつもの氷を思わせる厳格さが抜けて、珍しいことにその口元も少し緩んでいる。ムザッハルの胸に、感慨が満ちる。
「はっ、陛下。今や私にとって彼らは……かけがえのない親友です」
「そうか……今まで、済まなかったな」
それは、寵姫の子である長兄アスランの方ばかり向き、ムザッハルを顧みなかったことへの謝罪であろうか。今更感はあるものの、二十年以上冷え切っていた父子の間に、漸くにして僅かながら心が通ったようであった。
「いえ、陛……父上は、皇帝として強くあらんと念じ、私にもそれを求めたまでのこと。今日父上にお褒めの言葉を頂き、この十数年の努力が、報われた気が致しました」
「うむ、今後はもう少し、率直に褒めるよう努力しよう」
ひざまずいたまましばらく父の言葉を噛みしめていたムザッハルが、何かを決心したように顔を上げ、まっすぐに皇帝と視線を合わせた。
「父上、私の功をお認め下さるなら、一つお願いがございます」
「言ってみるがよい。余程のものでなければ、叶えようではないか」
「わが友……ファリドとフェレを、故国イスファハンに帰らせてやって欲しいのです」
「むっ……」
余裕たっぷりだった皇帝の表情が、こわばる。さもあろう、たった今アスランに「あの二人を使って見せろ」と言ってしまったのは、皇帝本人なのだから。これで言を逆しまにして彼らを帰国させたりしたら、自身の威信に関わると言うものだ。
「いや、うむ、その……」
「わかっております。兄アスランが彼らにアプローチする機会を与えないわけにはいかないことは。しかし一定の時間を与えた後には、彼らの解放を考えて頂きたいのです。彼らは『友のため』と言って、自らには全く利のない戦であるにもかかわらず、あのように偉大な力を使ってくれました。今度は私が彼らのために、彼らが望むことを、してやりたいのです」
「うむ……テーベにいても出来る褒美というわけには、いかんのか?」
「彼らの望みは、家族と平穏に故郷の村で暮らすこと、それだけです」
皇帝は、考え込む。これまでなら自身の意に沿わない進言など一撃で切り捨てていた彼だが、ムザッハルの訴えを真剣に考えているのだ。
「陛下、私からもお願い申し上げまする。あの二人の功、軍監としてこたびの戦をつぶさに観た我々からしても、まさに神と比肩しうるものです。とても敵国の安全を客将として護るために振るうレベルのものではありません。我が国が得た利益はすでに計り知れず……彼らの望みを叶えてやる時期に、来ているのではないかと愚考致します」
年嵩の軍監がムザッハルに賛同し、真剣に奏上する。もちろん彼も「さすがにそろそろ帰してやってもいいんじゃないか」とは思っているが、これほど熱心に皇帝に説くのは、もう一人の軍監であるハディードにしつこいくらい刷り込まれ、「やはり年長の貴方でなければ陛下はお聞き入れ下さらぬ」などとおだてられて、その気にさせられていたからである。
当のハディードは黙然としつつ、ただ皇帝に真っ直ぐ視線を向けているだけ。ムザッハルに与していると悟られないことが、彼の身を安全たらしめるために必要な、処世術なのだから。己の言いたいことを他人に語らせる手管に関しては、高いスキルを持つ彼である。
皇帝も、寄せた眉をふっと緩めた。ムザッハルの言い分だけを聞いた形では何かと軋轢があろうが、今回の戦を中立的な立場で評価し、公平な賞罰を起草する役目である軍監の意見を採り上げるということであれば、皇帝としても前言を曲げる名目が立とうというものだ。
「ふむ、軍監の意見、聞くべきものがある。二人の功、イスファハンへの帰国を許すに値するものであることに、異存はないが……先程アスランに、彼らを使うよう命を下したばかり。さすれば、そこに期限を設けるとしよう。あと二ケ月後に、彼らを解放すると約束しよう……アスランが成功しているかどうかは、関係なしにな」
「父上、あ、ありがとうございます!」
ムザッハルが、その顔を少年のように輝かせる。無言で控えていたハディードも、ぐっと拳を握りしめた。
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