第211話 艦隊 vs. 騎兵隊
先頭を切って駆けるラクダ騎兵が、カルタゴのガレー船に向かって、松明を投げ込む。たっぷり染みこませた魚油の力を借りたその炎は、あれよあれよという間に船本体に燃え移る。船乗りたちが慌てて叩いたくらいでは、消えるものでもない。そうしているうちに反対側からも別の松明が投げ込まれ、本格的に船は炎に包まれるのだ。
「しゃらくせえ! テーベのやつらを斬り殺せ!」
船乗りたちが燃える船から飛び出して、刀を抜く。カットラスと呼ばれる、海軍では最もよく使われる片刃の剣である。だが、船上で取りまわしが良いように短く造られたその刀身は、氷の平原と化した海の上では、テーベ騎兵達が操る槍やシャムシールに、全く抗しえないものである。海の勇士は次々と、己の血で白い氷を、紅く染めることになった。
「すげえぞ! あのいまいましい海坊主どもを、狩り放題だ!」
「海の上では手が出なかったが、女神イシスさまがご加護をくださったからな!」
「こうやって足元さえしっかりしていれば、俺らは無敵だよな!」
海軍力を失ったテーベ軍はこれまで、海の上から嘲罵を浴びせるカルタゴに対し、ギリギリと奥歯を軋らせつつも、何もできなかった。だが、彼らが「女神」と讃えるフェレが、信じがたい魔術で彼らが駆けるべき「地面」を与えてくれたのである。
踏みしめる地面さえあれば、彼我の戦力差は圧倒的だ。抵抗はどんどん弱々しくなり、やがて完全に止んだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
湾を埋めていた海氷が、ようやく溶け切ろうとしている。
ガレー船の燃えかすが、代わりに水面を埋めている。千隻を数えたカルタゴの船のほとんどが、氷に動きを阻まれたまま、為すことなく焼け崩れてしまったのだ。最も外海にいた二十隻ばかりは逃げ去ったようだが、カルタゴの誇る最強の精鋭海軍は、ほぼ壊滅したと言ってよかろう。
「まさか、ラクダ騎兵で海軍に勝てるとは……」
「だから言ったろ、『友を頼れ』ってな」
勝利の高揚よりも、むしろ当惑が大きい風情のムザッハルに、気楽な調子で答えるファリド。彼の隣には、もちろん安定の仏頂面で立つ、フェレがいる。ラピスラズリの視線が向かう先には、バドルと名付けた仔象に乗り波打ち際で戯れる、愛娘マルヤムがいる。すでに彼女の関心は戦を離れ、家族にしか向いていないのだ。
「そ、そうだったな。か、感謝するぞ、ファリド。だがあまりに驚きが大きくて、まだ信じることができないのだ」
「そう言ってもらえて光栄だ。何しろ俺たちの目的は、未来のテーベ皇帝にイスファハンの実力を知ってもらうことで、両国の間に無駄な戦が起こらないようにする、そう言うことだからな」
そう、フェレがこのテーベで連発して見せた「奇蹟」は、戦の切り札となるであろう大魔術だ、普通に考えれば秘匿するのが常道であろう。それをわざわざ、ド派手な形で、まるで見せつけるように使ったのは、ムザッハルに手柄を立てさせる目的だけの為ではない。彼をはじめとするテーべ軍幹部の脳裏に、フェレが理不尽な力を振るう姿を刻みつけ、女神を擁するイスファハンと争うべからずという気運を育てんがためなのである。
「うむ……今となってはわかる、イスファハンと干戈交えんと息巻いていた過去の俺が、いかに愚かであったのかと。お前たちが味方で、本当に良かった」
「ムザッハルがそう思ってくれている限り、フェレの力がテーベに禍をもたらすことはないさ」
半ば脅しのような、だが半分以上本気なファリドの言葉に、ムザッハルが変な汗をかいていたその時、ゆっくりと軍監の二人が近づいてくる。
「いやはや、驚きましたな。海を凍らせ、騎兵たちを海上で戦わせるとは。あの大魔術は『女神』殿のものでありましょうが……仮想敵国の民である『軍師』と『女神』にこれほどの手腕を振るわせる殿下のご器量、感服致しました」
そう、普通であるなら実質虜囚であるファリドたちがテーベ側に力を貸すことは、本来あり得ないのである。しかもその力は、規格外も極まるもので……年嵩の軍監が絶賛するのは当然である。
ハディードの口元も目論見通りの成り行きに綻んでいるが、一歩下がって言葉を慎んでいる。間違ってもムザッハルと組んでいると思われてはならないのだから。彼がわざわざ宣伝せずとも、年嵩の軍監は皇帝の前でムザッハルとフェレの功業を激賞してくれるだろう。
「いや、軍監どの。『軍師』と『女神』が味方してくれたのは、私の器量によるものではない。戦の以前より親交を結んでいた彼らが私の窮状を知り、友情で助けてくれたのだ。彼らの寛大な心が、テーベに勝利をもたらしてくれた」
「殿下はご謙遜なされておられる。殿下にご器量あればこそ、本来敵であるはずの彼らも、友情を寄せたのでしょう。いずれにしろ、彼ら二人にも功に見合うものが与えられるよう、我々も陛下に奏上せねばなりませんな」
「まったくですね。『軍師』と『女神』の巨大な功績、漏らさず報告し、ふさわしき恩賞が下されるよう、動きましょう」
ここぞとばかり、ハディードが訴える。ムザッハルを誉める言動は避けていた彼も、ファリドたちに恩を返したい思いは、抑えきれないのだ。
「ふむ、ハディード殿下、ふさわしき恩賞とは?」
「ええ、そこで相談なのですが……」
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