第209話 何とかしましょう?
この命令には、畏まっていたムザッハルもさすがに眼をむいた。
もちろん、近海に敵軍が遊弋している限り、アレキサンドリアの海港機能は失われる。最大の貿易港であるここから敵海軍を追い払うことの必要性は、彼とて理解している。
だがそれは、物理的に無理な命令なのだ。相手が海に浮かぶ艦船である以上、ムザッハルの率いる機動部隊も、アスランの率いる歩兵部隊も、攻撃する手段を持っていない。唯一抵抗できる戦力であった五百隻のテーベ海軍は、アスランの深追いが災いして海の藻屑と化している。
「陛下は、我々が今戦闘艦艇を有していないことをご承知で、そのご命令を?」
「恐らくは」
「うむむ……」
豪胆かつ脳筋のムザッハルと言えど、この無茶な命令の意図を汲み切れず、言葉を失う。彼の困惑は、軍監の次の言葉で、さらに増幅された。
「そして、合一した軍の指揮は、第二皇子ムザッハルに命ずるものとす」
一体、父たる皇帝は彼に何を求めているのか。敗戦必至の任務を与えることで彼の戦功を突出させない政治的な目的があるのか、それとも本当に彼が何か奇跡的な成功を収めることを期待しているのだろうか。混乱するムザッハルだが、実際のところ彼には選択権などない。
「勅命、謹んで承る」
◇◇◇◇◇◇◇◇
「なんで全軍の指揮官が奴なのだ! 私は第一皇子だぞ! 当然私が総指揮官になるべきではないか。陛下は何をお考えなのだ!」
軍監が去った後、取り巻きの貴族たちに怒りをぶつけるアスラン。すでにアラック酒の杯を十杯ほども空けている。部下の兵たちが酒どころか日々の兵糧にも困っていることなど、毛ほども考えぬ皇子なのだ。
「まあまあアスラン殿下……よく考えてみればこたびの勅令、おかしくはありませぬか」
「おかしい、だと?」
「そもそも戦闘艇を失った我らが、カルタゴ海軍を駆逐するなど不可能事。それを承知で陛下が勅命をアスラン殿下でなく、ムザッハル殿下に下された真意がいずこにあるか、考えるべきかと」
取り巻きの貴族にそうささやかれれば、酩酊気味のアスランも考え込まざるを得ない。
「確かにおかしな話だ。お前は、どう思うのだ?」
「次期皇帝についての陛下の御内意が、アスラン殿下にあるということですよ」
「わからんな。私を皇太子にしたいなら、なぜ弟を総指揮官などにするのだ」
「負けをつけるためでしょう。こたびムザッハル殿下は、陸戦で最強の戦象部隊を始めとするカルタゴ軍に大勝し、アレキサンドリアでも敵城塞を完璧に破壊するという大功を挙げられました。これだけの功あるムザッハル様を差し置いてアスラン殿下が皇太子に指名されれば、軍部から疑問が出るでしょうから」
取り巻きの言わんとすることを悟ったアスランが、我が意を得たとばかりに卓を打った。
「そうか、陛下の意は私の上にある。故にムザッハルの戦功にケチが付くように、この実現不可能な任務を下されたというわけか。さすがは陛下だ、私は『果報は寝て待て』というわけだな、ふっふっふ……」
◇◇◇◇◇◇◇◇
意気揚々と出かけて行った指揮官が、すっかり憔悴した様子で自陣に帰ってきたのを見たムザッハル配下の兵たちは、何やら隠れてこそこそとささやき合い、本陣の天幕を窺っている。
「して、陛下の御意はいかがなものでござりましたか。殿下のその後様子を見る限り、芳しからざるものと推察致しまするが」
本来の軍師……盟主の相談役たるラージフはそういうわけにもいかず、軍監からの勅命について主君に問い質す。ファリドも傍らに控えているが静かに座っているだけだ。こんな時に心に響くのは、人生経験豊かな年長者の言葉であろうから。
「俺は、陛下に嫌われているのか、期待されているのか、もうわからぬ……」
そう漏らしたムザッハルが、本部で与えられた勅命について、ぽつぽつと語りだす。今まで、戦勝の時はもちろん敗戦の時でも覇気を持ち続けた彼も、さすがに今回の仕打ちには戸惑いと落胆を禁じ得ないようだ。
「やはり、父はアスランのみを愛しておられるのだろうな」
「いえ、そのようなことは……」
「我が母は、陛下から愛されていなかったからな」
ムザッハルの母は正妃であったが、皇帝の愛は薄く、すでにこの世に亡い。一方アスランの母は側妃であったがその寵愛を独占していたのだという。その子であるアスランを次期皇帝にと父が考えることは無理のないことだと、諦めたようにつぶやくムザッハル。
「まあ、それはわかっていたことだ。俺はここんところファリドとフェレのお陰で勝ち過ぎた……ここらで一回くらい失敗するのも、親孝行と言うものか」
俺様マインドの彼に似合わぬ寂しげな横顔に、ファリドが声を掛ける。
「何を諦めてるんだ、ムザッハル? 皇帝陛下の好き嫌いをどうこう言うつもりはないが、戦う前からなぜ勝つことを放棄しているのだ? らしくないぞ」
「俺だって負けたくなんかないさ! だが艦船もないのにカルタゴの艦隊をどうやって屠れと言うのだ!」
激情に駆られてムザッハルが言い返すと、意外なことにファリドはにこりと微笑んだ。
「良かった、それでこそいつものムザッハルだ。大丈夫だ、こういう時は友を頼るんだ……俺とフェレは、お前の友のつもりだぞ」
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